65話 ビッグマネーチャンス
血の門のボスを暗殺するから手を貸せ。報酬は燃さんの義手。
そんなハイリスクハイリターンな提案を受けて、俺はドミニコとエヴァンの顔を見比べる。
判断は焦っちゃダメだ。こいつはアブラとしてついこの間まで学園を蹂躙しようとしていた敵だ。
生徒にもたくさんの被害が出た。仮にこの話をシエナに持っていったところで、彼女はきっと論外だと突っぱねるだろう。それをわかっているからこそ、エヴァンはシエナに秘密のままでこの話を進めたがっているんだろう。
テーブルの端に押しのけられた料理を諦めてパフェを抱えて死守するエクセリアを横目で見つつ、俺は向かいの二人へと問いかける。
「どうやって接触したんだ。学園で戦ったときの様子だと、元から繋がりがあったって風でもなかったけど」
問われて、エヴァンは極めて不機嫌そうに、不愉快げに舌打ちを鳴らしてから窓の外に親指を向ける。
「アイツだ」
「あいつってどいつ?」
「あそこに停まってる車があるだろ、金持ちのボンボンが乗ってそうな。その横に立ってる野郎だ」
治安の悪いパンドラは路駐が多い。走行車の邪魔になるぐらいずらりと並んだ車を眺めていくと、確かにその中に一台高級そうな車があった。
この街で出回ってる車のことはよくわからないが、ベンツとかそっち系の金持ち然としたフォルムをした赤い車だ。
その横に立っていたのは薄ピンク色に髪を染めたいけすかないオシャレ眼鏡男。
向こうも視線に気付いたようで、なぜかウインクしながら二本指をピッと立ててきた。
俺の心に苛立ちがぐいっと鎌首をもたげる。なんだその気安い挨拶。裏切った自覚はあるのか?
エクセリアも同時に彼を見つけたようで、思いっきり顔をしかめながらピンク頭を指差す。
「あいつ生きていたのか! 思いっきり殴りつけてやったのに!」
「不意打ちでね、あれ最高だったよ。アブラの部下が回収していったとは聞いてたけど、てっきり用済みとかで処分されたのかと思ってた」
「馬鹿かお前、企業連をなんだと思ってんだ」
用済みで処分という俺の言葉を聞いて、ドミニコがあからさまに顔をしかめる。
「あいつが学園を裏切ってこっちに付いた時点で、一生面倒見てやることは確約済みだ。その約束を破る気もねえ。あいつには俺の運転手をやらせてる」
「意外だ。その辺まともなんだな、七面會って」
「企業連、それも俺のニューシティマテリアルはパンドラ随一の大企業だぜ? 福利厚生は手厚いに決まってんだろうが。それを用済みだの処分だの、そこらの三文悪役と一緒にすんじゃねえ」
「ふーん」
そう聞かされてもどうにもピンとこない。なにせ俺がここまでに見てきた企業連の姿なんて、エクセリアを怪しい薬品カプセルに浸けていたのと俺を通り魔まがいのやり方で殺そうとしてきたのと、アブラの学園襲撃とドクロの人肉食いと……まともな印象を持てっていう方が無理だ。
だが事実としてリズムは生きているしなんだか高そうな服を着ているし、自分側の勢力への面倒見は良い方なのかもしれない。
おっと、話が脱線した。
リズムに向けていた視線をテーブルに戻して、気を取り直しつつエヴァンへと問い直す。
「えーと、つまりリズム経由で連絡を受けて協力してるってことか」
「ああそうだよイラつくぜ。俺は元はあの野郎の指示で動いてたからな、連絡先は知られてんだよ。あの野郎が俺らを裏切って利用しようとしたのはマジで腹立つが、妹を助けるためには手段の好き嫌いは言ってられねえ」
正直、気持ちはわかる。俺はもう死んでしまった姉さんの復讐のために人生を投げ出そうとした人間だ。
エヴァンの場合はまだ生きている、まだ助けられる妹のために戦おうとしている。その気持ちは似たものとして理解できるし、もしかしたら俺より切実かもなとも思う。
ただ、リズムの存在が気になって、俺はエクセリアに耳打ちをする。
(なあエクセリア、エヴァンが洗脳されてるってことはないかな。洗脳能力持ちのリズムが向こうにいるけど)
(フン、そういえばあのピンク頭はそんな小賢しい魔法を使うんだったな。だが安心しろアリヤ、私の目は洗脳を見抜く)
(え、そんな能力あったのか?)
(私は姫で天才だからな。この前のでわかったが、洗脳されてる奴は頭の周りが薄く光って見える。エヴァンは洗脳されてないぞ)
被洗脳者を見抜ける? そんなポッと出みたいな能力を信用していいんだろうか。
ただまあ、エクセリアが前にリズムの洗脳を受け付けなかったのは事実だ。その手の耐性とかを持ち合わせてるのかもしれない。
エクセリアはビッグマウス傾向がある子だけど、今回はいつになく発言が具体的で断定的だ。
信じ……いやまあ、半信半疑の信寄りぐらいでいよう。
「ご相談はお済みかよ?」
俺とエクセリアが話していた少しの間に、ドミニコの前には湯気を立てた紅茶が置かれている。
注文したわけではなく、店内に控えている部下の黒服たちにわざわざ専用のセットで淹れさせた紅茶だ。成金趣味の高級なティーカップに赤みがかった液体が揺れている。
「俺はパンドラの茶葉は飲まねえ。質が悪くて舌が腐っちまうからな」
「へえ……質が悪いのか」
「おう、ドブ味だドブ味。茶葉は礎世界産、マックウッズのオレンジペコと決めてんだよ。王室御用達だぜ」
へえ、こだわりがあるんだな。俺はその程度の感覚でドミニコの言葉を聞い流していたのだが、隣のエクセリアがプッと吹き出した。
妙なツボに入ってしまったようで、肩を震わせながら彼を指さして声を上げる。
「ふふっ、なんだ貴様〜、ずいぶん可愛い名前のお茶を飲むではないか。“おれんじぺこ”って面構えには見えんが。あははは!」
「おいやめろ、失礼だろ……」
まあ、オレンジペコって名前可愛いからな。
赤髪オールバックのチンピラ成金顔には似合わないってのは同感だけど、だからって笑うのは……
だがドミニコは笑われたことを意に介する様子もなく、器の中のお茶を俺たちに見せてきた。
「この茶、いくらだと思う? 答えなエクセリア姫」
「茶一杯の値段か? あ、貴様さては私を世間知らずだと思っているな。だが私も多少は物価というものを学んだぞ。侮るな!」
自信満々に口元を笑ませて、エクセリアはクイズの回答者のようなテンションで手を掲げる。
「このごくフツーで大衆的なファミレスの紅茶が二杯分の量で600クレジットだ。これを標準として考えて、お前のそれは礎世界産の茶葉だと言ったな。礎世界産のものは高い。すごく高い! だからそうだな……1万、いや違うな! 2万クレジット! どうだ正解だろう!」
掲げた手を下ろして伸ばして、犯人を指摘する探偵のようにピシリと指先を突きつける。
だがドミニコはその指先を鼻で笑って、まるで親指を下向けるように空のティーカップを逆さに向けた。
「ケッ、なにが姫だ。目利きも利かねえガキがよ」
「なんだと! 答えを言え答えを!」
「120万。市場価格でおおよそ120万クレジットだ。この一杯でな」
「は、はぁぁ……!? わかった、当てられたのが悔しくて嘘をついてるな!?」
「いーや嘘じゃねえ。入ってくる量が少ねえのを俺が買い占めてるからな、値段がバカみてえに跳ね上がってんだよ」
「はあ〜!? 貴様のせいではないか!! 悪徳め!! そんなものをクイズにするな!!」
ギィギィと怒るエクセリアを横目に、俺はドミニコの意図を図りかねて首を傾げる。
「そのクイズに何の意味があるんだ?」
「雑談は嫌いかよ?」
「いや、別にいいけど……ずいぶん意味ありげに聞いてきたもんだから」
「ああ、意味ならあるぜ。シンプルに俺の財力を教えてやったんだ」
「財力? ……金持ち自慢がしたかったのか?」
訝しむ俺に見せつけるように、ドミニコは指先に火を灯した。
義手になってもお得意の火の魔術は健在らしい。まるでライターのようにボボ、と揺れる火を机に押し付けて、2の後に0を7個連ねてCで締める。C、通貨単位のクレジット。2000万クレジット?
「その数字はなんだよ」
「報酬だ。義手は燃が得するだけだろうが? 別途、一人頭1000万としてお前ら二人に2000万クレジットくれてやる」
「は、はあ……!?」
いかん、ちょっと声が上ずった。
クレジットの数字の感覚は日本円に近い。つまり2000万ポンと払うと言われてるようなものだ。義手とは別に?
「……その、条件が美味すぎないか? 正直怪しく感じるんだけど」
「だから紅茶の話をしたんだろうが。俺は一杯120万の紅茶を雑に飲む男だ。2000万ぐらいくれてやったってどうってことねえんだよ」
「ああ、そういう……」
こいつが買い占めた結果市場価格が上がってるわけだから正確に言えば一杯に120万を出してるわけじゃないとは思うが、それにしたって企業連を牛耳る七面會が常軌を逸した金持ちなのはよくわかった。
確かに、憎い商売敵を潰せるなら2000万でも安いぐらいなのかもしれない。
「俺が提示する最大の見返りは金だ。誠意は言葉ではなく金額ってな」
「……」
「“妹想いの兄貴”、“特製の義手”、“札束の山”。さあ、これで俺のカードは出し終えたぜ。ま、決めたら明日中に連絡してくれや」
そう言うとドミニコは席を立って、店員に焦げたテーブルの修繕費を渡して店を出る。
エヴァンも苦い表情のまま、らしくもない殊勝さで俺らへと頭を下げてから店を出ていく。
テーブルに残された俺たちは、呆気にとられたまま顔を見合わせた。
「アリヤ、2000万あったらここのメニュー全部頼めるか?」
「一ヶ月毎日ここのメニュー全制覇しても余裕だと思うよ」
「す、すごい!?」
俺は小市民で、姫と言ってもその記憶がないエクセリアも小市民だ。大金を提示されたことですっかり困惑してしまっている。
……と、懐で電話が震えていることに俺は気付く。見ればバーガンディからの着信だった。
2000万ショックを振り払うように水滴を帯びたコップの水を飲んで、俺は通話ボタンをタップする。




