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★55話 死生の選択

 カラスの言うことを全て信用してるわけじゃない。多分あの男は虚と実を織り交ぜて喋るタイプだ。

 他種族の血を継いでいるのはそうそう珍しい話じゃないと彼は言った。30人につき4、5人ぐらいの割合だっけ?

 それを信じるなら、俺は別に特別な存在じゃない。


 けど、俺にも少しくらいは向こうが知らない情報がある。

 七面會(マスケラド)が俺に興味を示してきているのと同じように、血の門(シュエメン)が俺を名指しして接触しようとしてきているらしい。


 燃さんが隣で刀の燃料レバーを握って火を吹かしながら、俺に横目を向けてくる。


「アリヤくん、そのボロボロ状態で立ったのはほんと偉いわ。男の子〜って感じする。でも足ガクガクやし男の子通り越して骨粗鬆症(こつそしょうしょう)のおじいちゃんかなって感じになってるけど、そこんとこどうなん?」

「正直息をするのもキツい……」

「瀕死やん。そもそもなんでアリヤくんそんなに狙われてるん? お姫様なん? 普通は燃さんがピンチなとこに颯爽と登場して守ってくれるものやろ男の子って。なんで燃さんが守る側なんやろ。腹立つわ〜」


 そう。七面會(マスケラド)しかり血の門(シュエメン)しかり、どうして俺はこんなに狙われる? ありふれた存在というカラスの言動と噛み合わない。

 自惚(うぬぼ)れるわけじゃない。自分が特別だなんて考えるつもりはないが、俺の存在が何かこう……この世界の深部的な部分に触れているんじゃないかと思う。なぜかは知らないし自信もないけど。


 勝ち目はあるんだろうか。

 落ち着け、勝利条件を考えろ。


 カラスとドクロは俺を連れて行こうとしている。そのためには燃さんの排除がほぼ必須で、元々敵対しているのと併せて燃さんの殺害、戦闘不能が勝利条件だ。

 対して燃さんの側は七面會(マスケラド)の数を減らすことが条件。元々はドクロを狙って仕掛けたわけだが、同じ七面會(マスケラド)なんだから殺るならカラスの方でも構わないはずだ。

 けど、俺はなりゆきで首を突っ込んだだけ。この場を無事に切り抜けられればそれでいい。相手の継戦能力を削げれば十分なんだ。

 そのためには何をすればいい? 俺を半死半生に追い込んでいる殺鼠剤(ワルファリン)を短時間でもいいから無効化する、これしかない。


 無理だ。それができれば最初からやってる。

 ……いや、無理じゃない。やりようはある。


 この世界で最も力を持つルール、それはイメージの力だ。

 明確な想像さえあれば物理法則を無視した魔法なんて力が使えるぐらいだ。俺のイメージがワルファリンの溶血作用を上回ればおそらくなんとかなる。


 とは言っても、なんでもありってわけじゃない。

 一瞬で敵が全員死ぬ力! なんてものを実現させようとしても、イメージもディテールも曖昧すぎて不可能だ。

 じゃあ少しだけ詳細に。一瞬で隕石を引き寄せてこの世界を破壊する! なんて空想はどうだろう? 

 無理だ。そんな空想をしてみたところで、俺の脳裏にある知識と常識が邪魔をする。引力は? 空気抵抗は? どこにあるどの隕石を? そもそもパンドラの上空は宇宙なのか?

 一つでも疑問符が浮かべば力は形を成さない。俺の脳が魔法の実現を否定する。

 別に、実際の物理法則だのなんだの正確に理解している必要はない。

 あくまで自分の頭を納得させられる“裏打ち”と、“理由付け”が必要なんだ。

 

 今のままじゃそれは無理だ。血を固める能力へのアンサーとして血を溶かす薬というのがシンプルかつ適解すぎた。少なくとも俺は納得してしまった。

 だったらどうする? 血の入れ替えが必要だ。でも今輸血なんてできるわけがない。それなら。


「燃さん。血、飲ませてくれませんか」

「えっ。……ちょっ、待って? なんのカミングアウト? 怖。どうしたんアリヤくん、今までずっと僕は真面目なのでエロいこと興味ありません〜みたいなムッツリ顔してたのに、何いきなり戦闘中に燃さんを特殊性癖の対象にしようとしてるん? 怖っ……」

「そ、そうじゃなくて。薬のせいで自前の血がもう駄目で。だから血、くれませんか」

「い、嫌やけど……」

「ちょっとでいいんで! 血を飲ませてくれませんか!」

「なんて答えても血を要求してくるタイプの都市伝説か何か?」


 いつも何を言っても言われてもヘラヘラしている燃さんが珍しくドン引きだ。

 いや、そりゃそうだろうとは思う。「実は俺、血液嗜好者(ヘマトフィリア)なんだ!」なんて誰かに告白されたら俺だってドン引きする。

 けど違うんだ、これには理由がある。カラスはワルファリンを俺専用に調整したと言っていた。

 俺の血液用にカスタマイズしてあるなら、他人の血液にはここまで強く作用しないはず。

 実際どうなるかなんて知らない、俺はそれで納得できるからそれでなんとかなるはずなのだ。だから俺は燃さんに迫る。


「一滴! 一滴でいいから! ちょっとだけ! お願いだから!」

「へ、変態や……!!」


 当然、そんなやりとりを向こうがじっと見ていてくれるはずもない。

 カラスがトントンとステッキで地面を叩きながら、意識を集中させ始めている。

 さっきの氷の剣もそうだったが、カラスの大規模な魔術は流石にいつでもすぐ撃てる代物ではなく、いくらかの事前集中が必要らしい。

 ここで止めれば。しかし、その弱点はもちろん向こうも熟知済みだ。集中の間を埋めるように、包丁を構えたドクロが俺たちの方へと駆けてきた。


「何を狙ってるか知らねえけど、一気に決めさせてもらうぜ」

「っ、体が……!」

「アリヤくん下がって。血ぃ吸われるんは嫌やけど、守ってはあげるわ!」


 肉切り包丁と炎の刀が刃を合わせて、火花が宙にチリリと踊る。

 燃さんの太刀筋は舞いに似ている。燃料タンク付きの改造刀なんて現代的な武器を振り回してこそいるが、半身での振り上げ、ひるがえっての一閃、片足を引いての切り下がり、炎が斬弧を描き続ける様は、扇で型を舞うような美しさがある。

 対して、ドクロの斬撃はひたすら奔放だ。ブンブンと左右に刃を往復させたかと思えば、背越しにポンと包丁を放り上げる。視線を誘導しては最接近、透明なセラミック刃をストストと突き刺しては落ちてきた包丁を握り直してさらに斬!

 対照的なスタイルだ。炎を帯びた刀身のリーチでは燃が優位、しかし速さと身のこなしではドクロが上。

 俺も意を決して息を吸い、斬り合いの空白を見計らってドクロへと鉄杭を突き出した。だが見切られる! 腕を蹴り上げられて、鉄杭を取り落とした直後にセラミック刃を腹に突き立てられた。


「っが……ッ!!」

「大人しくしててくれよ〜アリヤ。悪いようにはしねえって」

「信用できるか!」


 間近にあるドクロの顔へと拳で殴りかかる。

 が、渾身の右ストレートは軽く払われ、カウンターのフックが俺の右頬を強く打った。


「ッぐ!」

「なあアリヤ、紂王(ちゅうおう)って知ってるか?」

「知らな……いや、知ってる。漫画で読んだ。中国の王、だろ!」


 もう一発拳を繰り出す。

 だが躱されて、左脇腹にカウンターが突き刺さる。


「おう、それだ。妲己に狂わされて悪行やりまくって破滅した王様だよ。……俺はさ、お前を紂王にしたくねえんだ」

「俺は俺だ。勝手な事を言うな!」

「わかってくれないなら仕方ないけどさ、俺はお前を助けたいんだよ。マジで」


 顎を殴られて視界が揺れる、思考も揺れる。

 そりゃそうだ、俺は武術をちゃんと学んだことがあるわけじゃない。身体能力でゴリ押せなくなったら途端にこんなもんだ。

 だがまだだ、諦めない。意識だけは飛ばさずに、目を開いて戦場を睨み続ける。


「チィッ……!」


 燃さんが強く舌打ちをした。竜巻のように全身をねじったドクロの斬撃が、肩口を鋭く割ったのだ。

 重傷じゃないが浅くもない。痛手を負った彼女は最接近の距離を裂くように刀を真一文字に振るったが、ドクロはますます勢いを増した所作でバック転を多重に決めて回避した。

 開く間合い、止まるカラスのステッキ。ペストマスクの下で詠唱が紡がれ始める。


「“自演する十八の色彩、ただれていく虹の境界。愚昧、惨憺、歪、空転。我が手にならえ、かそけき天則”」

「……!」


 俺は目を見開いた。

 魔法の詠唱なんてものは個人の脳内にあるぼんやりとしたイメージの言語化、音声化だ。

 それとなく魔法の効果を示していたりもするが、特に意味のなさそうな文面だったりすることもある。聞いただけでは他人には何も分からない。

 だというのに、カラスの紡ぐその詠唱は明らかにヤバい代物だと理解できた。本能レベルでの警戒だ。

 燃さんの顔にも狼狽が浮かんでいる。まずい。どうすればいい!?


「アリヤくん、来て」

「!!?」


 突然、燃さんの両腕が俺をグッと抱き寄せた。

 ぴったりと寄せられた体、激しい戦闘で早まった鼓動が布越しに伝わってくる。


「燃さん……!?」

「……本当は変態どうこうより、暴走のリスクがあると思ったんよね。学園での戦いを見てたから」


 燃さんが言っているのはアブラと戦った時のことだ。

 確かに、あの時の俺は言語もまともに喋れなくなるほどに暴走していた。

 幸いあの日はすぐに止まったけど、あのままだったら何をしていたかわからない。

 輪郭を掴み切れてない力を安易に使うのは危険、燃さんはそれを危惧したんだろう。


 だけど、今日は大丈夫だ。俺には一つの確信がある。

 カラスが今にも詠唱を終えそうで、説明している時間はない。

 俺を抱きしめる燃さんが、意を決したように囁いてくる。


「けど、ま……アリヤくんを信じてみる」

「血、貰います……!」


 ドクロの包丁で斬られた肩口に、俺は勢いよく歯を立てた。

 微かな香水と石鹸の香り、花火のような焦げた匂い、汗と血が混ざった匂い、鉄臭い血液の味。

 それがない混ぜになったものを感じながら、俺は滲む血を強く啜った。


「ッ……」


 小さくうめく。痛いんだろうか。そりゃ痛いか。噛み付かれているんだから痛いに決まってる。血を飲み下しているとヒルにでもなった気分だ。

 俺はさっきからほとんど血をくれだの血を貰うだのしか言ってないな。妖怪か?

 そんなどうでもいいことが頭に上るのは燃さんの血を飲んだからだろうか。この人の無軌道な軽口が移ったか。それはなんか嫌だな。


 新しい血、巡る酸素、クリアになっていく視界。

 左、包丁を振りかぶって斬りかかるドクロ。

 傷口から口を離した俺は、左手を濡らした血を急速に凝結。造形したガントレットで肉切り包丁を掴み止める。


「うおっ!?」

「ドクロ……いや、キョウノ!」

「急に速くなりやがっ……!」

「俺の邪魔をッ、しないでくれ!!!」

「がッッはあっ!!?」


 同じように固めた右手で、全力でドクロの顔面を殴り抜いた。

 俺の速さが上回っている。殴打の威力にマスクがビリビリに破けて、身軽な彼も受け身を取れずに地面へと叩きつけられる。

 我ながら単純だと思うが、血を吸ったことでワルファリンの効果がほぼ消え失せたような感覚がある。

 いや、一時的にハイになってるだけかもしれない。吸血ハイ? そんなものあるのか? 知らないけど、動けるうちに事を済ませろ。


 ペストマスク越しにこちらを見るカラスが、詠唱を終えて実行へと移行する。


「——『殺傷式(キルスキル)』」

「させるか……!」


 さっき間近でさんざん痛めつけられてわかった。奴のステッキは魔素(マナ)を収束させる触媒みたいなものだ。

 あいつに高度な魔法の才能があるのは事実なんだろう。ただ、人の身で操れる魔力には限界があるはずだ。無尽蔵なわけがない。

 速く、速く! 造形と動作を高速で! 

 掌に大量の血液を集中させるイメージで血の杭を作り出した俺は、投石機(カタパルト)めいて振りかぶって……投げる!!


「はああっ……食らえッ!!!」

「……! しまった」


 初めて、カラスを狼狽させた気がする。

 俺が渾身の威力で投じた血の杭はまるでミサイルのような勢いで飛んで、カラスが構えていたステッキを完膚なきまで粉々に粉砕してみせたのだ。

 ステッキに集っていた魔素(マナ)が、緑色の霧となって文字通りに霧消する。はっきりと視認できるほどに魔力が凝縮されていたのだ。放っておけば大変なことになっていた。

 だがステッキを壊したことで、カラスの魔法は放たれることなく停止している!


「やった!」


 背後から声がした。

 振り向くと、燃さんが俺に歩み寄ってこようとしている。

 

「やるやんアリヤくん! 今回は暴走する様子もないし!」


 そう告げる彼女の表情には少し疲労の色が見える。

 戦いの疲れか、それとも血を吸われるのってそんなに疲れるんだろうか。

 炎刀を下げて歩く彼女の背後に、赤い光がゆらりと揺れた。

 ドクロ……いや、マスクの割れたキョウノが、燃さんへと殺気の視線を向けて、包丁を高々と振り上げている!




————鐘が鳴る。




『運命分岐点』

「なっ……」

『今ここが、お前の運命を大きく分かつ|岐路

《きろ》。選択肢を示そう。選ぶ権利を与えよう』

「燃さん、キョウノ……!?」



 焦燥、混乱、思考がまとまらない。


 なにやってるんだよ燃さん、どうしていきなりそんな無警戒に!?

 いや、疲れで判断が鈍ってるのか。俺が血を吸ったせいで!

 声を上げれば気付く? 間に合う? いや、間合いが近すぎる、間に合うかはわからない。

 キョウノは……声を掛けてやめてくれるなら苦労はない。ダメだ、俺が止めるしかない!

 だけどハッキリとわかる、包丁はもう振り下ろされる寸前だ。分岐点でいくら思考を巡らせたって、俺の体が追いついてくれない。

 そう、手加減して止めるような時間はない。今このタイミングでキョウノを止めるとすれば……!



【①.声を上げて燃に気付かせる】


【②.キョウノを殺して止める】



 二択だ。





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