49話 危機
アリヤがシエナたちと別れて人影を追い始めたのと同じ時刻、学園自治連合。
エクセリアは部屋の中で、窓を濡らす雨粒をじっと眺めている。
「力を取り戻すために特訓しようと思った途端にこれだ。忌々しい。天め、私が力を取り戻すのを恐れたか!」
閉ざされた都市パンドラにも気象はある。
大気中の魔素濃度を調整するため、各地区ごとに毎時おきに魔素濃度が測定されている。その値が一定値を超えて濃くなりすぎると、高空に配された気象管理システムが雨を降らせるのだ。
そのため、同じ都市の中であっても地区ごとに天気は違う。アリヤのいる地区は晴天だったが、今日の学園は雨模様だ。それもかなりのザアザア降り。
屋外でやろうとしていた予定が潰れたエクセリアは、ユーリカの部屋を訪れてダラダラと過ごしている。
「暇だー。ユーリカ、暇」
「んー、コンブちゃんはどうしてるの?」
「寝てた」
「そっかあ。猫は自由だねえ」
学園が襲撃を受ける少し前から、エクセリアは暇があるとこの部屋に遊びに来て入り浸っている。
本棚にシエナの漫画が並べてあって暇潰しになるし、長時間いてもシエナもユーリカも嫌な顔一つしない。
エクセリアは自分ではできないことが多い代わりに、頼っても大丈夫な相手を見つける嗅覚がある。
ユーリカは昨日に引き続きなにやら編み物をしている。エクセリアも少し挑戦させてもらったが、細かい作業はまるで向いていないことがわかっただけ。
緻密な作業に見えるのだが、ユーリカは同じ部屋でエクセリアがだらけていて時折話しかけても嫌がる様子がない。むしろ作業中の話し相手がいて喜んでくれているよう風なので、ついつい長居してしまうのだ。
「ユーリカ、それは何を編んでいるんだ? 昨日のとは違うやつ?」
「うん。昨日のは手袋で、今日のはマフラーだよ。パンドラは寒い日が多いから」
「へ〜。でもあんまりユーリカっぽくない色だな。青とかカーキ色とか」
「それはシエナちゃん用よ。あの子ほっとくと服装が適当になってくるから、私が色々用意してあげなくちゃ。ふふっ」
「ふーん。ユーリカはマメなんだな」
よく掃除の行き届いたフローリングに寝そべって、壁沿いに足をググッと伸ばすエクセリア。別にストレッチとかではなくて暇を持て余している。
そんな折、チン、とオーブンの音がした。ユーリカが作業の手を止めて、「焼けた焼けた」とキッチンへ向かっていく。時刻は二時過ぎ、ふんわり漂うバターの香り。
冷ます時間を考えたら三時ごろにはおやつにありつけそうだなと期待に胸を膨らませながら床をゴロゴロ転げていたエクセリアは、ユーリカが縫い物をしていた座椅子の横に何かが置いてあるのが目に留まる。
「お、ノートだ。裁縫のコツとか書いてるやつかな」
興味を惹かれて、エクセリアは軽い気持ちで手に取って表紙を開く。
が、ペラペラとページをめくっていく指はやがて動きを止めた。
「な、なんだ、これ」
ノートの中身は絵だ。描かれているのは頭のページからずっと延々と同じ人物ばかり。
繊細な細い線で、ショートヘアの少女がすべてのページにびっしりと描かれている。シエナだ。
笑ってるシエナちゃん、走ってるシエナちゃん、勉強しているシエナちゃん、居眠りしてるシエナちゃん、パンをくわえてるシエナちゃん、ゲームをしてるシエナちゃん、シエナちゃんシエナちゃんシエナちゃん。
少女漫画チックな画風でびっしりと描き込まれていて、1ページ1ページそれを見ていると、エクセリアの中にぼんやりと疑問が浮かんでくる。
「うーん……? シエナってこんな顔か?」
シエナは顔が良い。さっぱりと整った顔をしている少女だ。
だがこのノートに描かれているのは、少女漫画チックな画風で描かれたお耽美なイケメンと化したシエナだ。シエナのことを男性視している?
ついでにいかにも女子っぽい絵柄でデフォルメされたシエナも端々に描かれていて、シエナちゃんシエナちゃんシエナちゃんで一から百までが構成された様は偏執的に感じられる。
理解できずにエクセリアが首を傾げていると、背後からすっと影が落ちた。
「……エクセリアちゃん」
「ひっ!?」
「見ちゃった?」
「み、見てない!」
記憶を失くしているエクセリアは恋愛感情だとかがよくわからない。それが同性間ともなればなおさらだ。
ただ、これが見てはまずい類のノートだということは本能的に理解できた。膝の上で開いていたノートを両腕で隠して、とっさに無意味な言い訳を口にする。
が、ユーリカはエクセリアの腕をそっとどけると、ゆっくりとノートを持ち上げる。
「後ろの方、見た?」
エクセリアはふるふると首を横に振る。
「真ん中より前まで!」
「ふーん……」
それを聞いたユーリカはノートを机の上に置いて、何事もなかったかのように柔和な表情を見せる。
「キャロットケーキが焼けたよ」
「う、うん」
「粗熱が取れたら食べられるから、一緒におやつにしようね」
「うん……」
「エクセリアちゃんはいい子だから何も見てないし、誰にもお話ししないよね?」
「は、はい。絶対」
「……後ろの方は、見てないんだよね?」
「見てない! 見てない!」
「うんうん。それじゃあ一緒におやつにしよっか!」
難しいことはわからないが、地雷を踏みかけたことはわかった。後ろのページを見たらまずかったこともよくわかった。
ふんふふーんと鼻歌を歌いながらキッチンに歩いていくユーリカの背を追いながら、エクセリアは身震いしつつ今の記憶を封印することに決める。
……その時、部屋のチャイムが鳴らされて、ドアがドンドンと叩かれた。
「ユーリカさん! ユーリカさんはいらっしゃいますか!?」
学園自治連合のメンバーの青年の声だ。その声色は切羽詰まっていて、ちょっとした用事という雰囲気ではない。
すぐにユーリカが出ると、青年は慌てた様子で要件を口にする。
「ら、来客です。シエナさんを出せと言っています」
「来客……? 誰かが来る予定はなかったはずだけど」
「いえ、向こうは強硬で、まともな対話ができる相手ではなくて!」
「落ち着いて。その人はどこの誰と名乗っているの?」
「し、血の門から来た雷春燕と……」
「血の門……!?」
ユーリカの表情が一気に青ざめる。
血の門。それは七面會と組んで学園に戦いを仕掛けてきている傭兵団の背後にいる、パンドラ最大の暴力組織の名だ。
学園が危機を乗り切るための交渉候補には含めていたが、まさか今向こうから接触してくるなんて、とユーリカは息を呑む。
今シエナはいない。ミトマもいない。前ならこんな時は副リーダーのリズムが判断していたが、学園を裏切った彼も行方不明だ。
「私がなんとかしなくちゃ……すぐに行きます」
「ユーリカ、私も行く!」
「エクセリアちゃん?」
「記憶こそないが曲がりなりにも姫だ。ハッタリが効くかもしれないぞ」
「……そうね、ありがとう。お願いしようかな」
それから10分と経たず、急いで準備を整えたユーリカとエクセリアは応接間へと足を運ぶ。
そこにいたのは威圧的に肩を並べる大勢の黒服と、尊大な態度で机の上に足を投げ出した一人の少女。
だがその少女よりも目を惹くのは、並ぶ黒服たち全員の頭部が巨大なキノコだという点だ。まるでエリンギのような形状に、色味だけがファンシーでポップ。
ホラー? メルヘン? 理解の追いつかない状況に緊張を高めつつ、ユーリカは少女の向かいに腰を下ろす。
「シエナ・クラウンいないんだって? まあいなきゃいないでいいんだけどさ」
「……代理として、私がお話を聞かせてもらいます」
「うん。別に誰でもいいよ。うちの老大、マダム紅からのメッセージだ。藤間或也を引き渡せ」
「え……? アリヤくんを?」
「そ。簡単でしょ? どうせ部外者なんだから。そしたら学園を攻撃してる群狼団を撤退させてやる。ウチの傘下だからね」
偉そうに語る少女はゴシックドレスに袖を通し、髪を結んでいる。
だが、エクセリアはその少女の声に微かな違和感を覚えて口を開く。
「おい、お前男だろ。なんでそんな格好してるんだ」
「へえ……? 気付くの早いね。別に隠してもないけどさ」
雷春燕と名乗るその少年は、不敵な笑みを浮かべながらピンと指を立てる。
「ま、言ってはみたけどボクらも暴力組織ったって脳筋じゃない。藤間或也も不在なのは知ってるよ。だから本当の要求は別。藤間或也が自分からウチを訪ねてくるまで、人質を預からせてもらう」
雷の目が、すっと細められる。
「エクセリア姫を人質に、ね」




