46話 怒りの喪失と正への前進
まあ素直に考えて、一番気になるのはエクセリアだよな。
俺は電話帳の中からエクセリアの名前をタップする。コール音が数回聞こえて、すぐに受話口から声が聞こえてきた。
「アリヤ! いいところに電話を! 助けてくれ!」
俺はぎょっとするが、敵に襲われているとかいうほどの緊急性はない声だなとすぐ察する。もっとシンプルに、日常生活の延長線上で慌てている感じの声だ。
なにか部屋の物をいじってやらかしたかな? そう考えながら、俺は「どうしたの」と声を返す。
「わ、私は料理をしていたんだ! 変なことをする気はなかった! 本当だぞ!? たまにはビシッと上手い料理を作ってだな、帰ってきたお前に食わせて褒めさせてやろうかと……いや、悪気はなくて……」
電話越しの声のトーンが、ゴニョゴニョと徐々に下がっていく。
パニック状態で弾けるように俺からの電話に出たはいいが、途中で(これ怒られるのではないか?)と思い至った、そんな感じだろうか。
それにしても料理関連か。失敗でベタなところだと、何かを焼いて黒焦げにしたとか米を洗剤で洗ったらまずいとかかな。いや、助けてというならもう少しインパクトのあるやつか。
そうだ、エクセリアは卵料理が好きだから電子レンジで卵を加熱したとかかもしれない。家事初心者の大学生とかがたまにやるやつ。ま、それでこんなに慌てるなんて可愛いもんじゃないか。
勝手に予測を立てながら、俺はからかい混じりの半笑いトーンで問いかける。
「はは、まったく。何を失敗したんだよ」
「鍋が爆発した!!!」
「は?」
「お前がこの前買ってた鍋! なんかフタ閉めるやつがあるだろう! お肉とか柔らかく煮えるあれ! あれを、お前がやっていた通りにやったのに……私は何も変なことはしてないのに、なぜかいきなり爆発したんだ! わ、私は悪くないぞ!」
ばくは……え? いやいやいや。
俺の思考が激しく混乱する。
蓋を閉めるやつ……? ああ、圧力鍋か! あれが爆発? 調理器具が? いやそうだ、圧力鍋ならありえる。なにせ圧力鍋を細工すれば爆弾が作れるぐらいだ、扱いを間違えれば、確かにあれはドカンと爆発する。
えっ、結構高かった……この前の学園攻防戦の協力金ってことでもらった報酬でちょっと悩んだけど奮発して買った品で……一体何を料理したんだ? 爆発、爆発? どんな規模で? キッチン周りは、いや部屋は? テーブルにカーペットに……もしかしたらベッドやら壁やらあちこちに……
そんな諸々の思考が電光のように頭を駆け巡ること1秒か2秒、フリーズ状態から復帰した俺は慌てて声を上げる。
「エクセリア、ケガは!?」
「え? あ、ない」
「よかった! 火は? コンロは止めた?」
「あっ!」
バタバタと走る音がして、なにかをパチンと押す音がした。火を止め忘れていたみたいだ。危ねえ。
「怪我がなくて本当に良かった。今部屋の中はどうなってる?」
「うーん……なんかグチャグチャだ。鍋の中身とか飛び散ってて、フタがキッチンの天井に刺さってる」
「ま、マジか……何を煮ようとしたの」
「……カレー作ろうとした。冷蔵庫にあった肉とか入れて」
「カーッ」
思わずノドの深い部分から変な声が出る。俺が使うつもりで買って冷蔵庫に入れていた食材を使ったんだろう。
いや、使ったことは別にいい。ただどうしてよりによって今、料理に興味を持ってしまったのか!
置いておいたのは牛タンと各種野菜とカレー用のルウだ。そう、確かに俺は牛タンカレーをつくろうとしていた。いたけど……圧力鍋には調理NGな具材がいくつかある。牛タンと、カレーやらシチューのルウはまさにそのNG食材だ。
どうしてそれがピンポイントで入ってる今、(そうだ、圧力鍋使ってやろ)と思い立ってしまったんだ!
そんな色々な思考を俺はグッと飲み込む。
まあ起きてしまったことは仕方がない。悪気があったわけじゃないし、気まぐれとはいえ俺に美味い料理を食べさせようとしてくれたわけだ。
……せめて俺に連絡するなり料理の得意なユーリカにやり方を聞くなりして欲しかったけど、まあ、まあまあまあ。
「ええと……猫は無事?」
「コンブなら無事だぞ。鍋から変な音が聞こえてきた時にはもうベッドの下に潜り込んでた。コンブは賢いな〜。可愛いな〜。片付けとか掃除とか嫌なことを全部忘れられるぞ……よしよしよし。片付けとかめんどくさいよな〜。ぜーんぶほっといてもう寝てしまいたいよな〜」
ニャアと猫の声が聞こえてくる。あの猫ちゃんエクセリアが話しかけるとわかってるみたいに返事するんだよな、俺の声には全然反応してくれないくせに。
それにしてもこの期に及んで現実逃避に走ろうとするエクセリアの声を聞いていると、なんだか俺も部屋の様子を気にするのがバカバカしくなってきた。
「ふふ……はは。まあ片付けは適当でいいよ。俺も帰ってから手伝うから」
「ほんとか!? 何もしなくていいか!?」
「いやいや、最低限は拭いといてくれよ」
「えー」
「えーじゃないよ」
「なあアリヤ、今日で私は色々なことを自覚したぞ。私は片付けが苦手だ。料理も苦手だ。肉を切ったり野菜を切ったりしてる時もぜーんぜん楽しくなかった! 硬いしなんかゴリゴリするし皮の剥き方とかわからんし! あと夕方ごろユーリカの部屋でご飯食べさせてもらった後に裁縫してるのを見たり手伝ったりしてみたけどあれも苦手だった。ユーリカと話すのは楽しかったが、ちまちまと布に糸を通して何が楽しいのだ。手縫いだろうがミシンだろうが目が悪くなるぞあんなもの。フン、少なくとも私の深くて広くて大〜きな人間性にはまるで噛み合わん!」
「苦手だらけだ。生活全般ダメダメじゃないか」
「話は最後まで聞けアリヤ。その経験を積んだ上で、私は自分の適性に気付くことができたのだ」
「ほー。その適性って何だよ」
俺の問いかけを受けて、彼女はフフンと鼻を鳴らしながら溜めを作る。なに偉そうにしてんだ、部屋めちゃくちゃのくせに。
そんな俺の内心も知らず、エクセリアは堂々とした口調で一声断じる。
「姫だ!」
「……うん」
「なんだその反応は。おお! とか、やはり! とか言わんか! いいか、これは妄言でもなんでもないぞ。私は記憶がすっぽり抜けてしまっているが、それにしたって普通は家事だのなんだのの雑事は多少体に染み付いていたりするものだろう? だが私にはそういうのが全然ない。そもそも楽しくない! そして改めて自認を得た。私はこの街の諸人を統べる姫だからこそ、そういう雑事に手を割く暇はないし頭の容量を回すようにできていない。つまり私はやっぱり姫なのだ。ほら見ろアリヤ、Q.E.D.というやつだな!」
「言ってることがめちゃくちゃだぞ。あとQ.E.D.とかどこで覚えたの」
「Twisterで書いてる人がいた」
「ああそう……」
奔放に知識を吸収していてなんだか不安になる。記憶喪失で知識がフラットな状態でネットミームに触れさせていいんだろうか。
証明完了ぐらいなら別にいいけど、スラングだのホモネタだのを使い始めたら目も当てられないぞ。年齢フィルターとか設定したらそういうの弾けるんだっけ?
俺がエクセリアの教育方針に頭を悩ませていると、通話口の向こうで彼女が力強く声を発した。
「お前が頑張ってくれてるからな。私も頑張ることにしたぞ」
「頑張る?」
「見ていろアリヤ、私は力を取り戻してみせるぞ。この世界の姫としての力が戻れば記憶も戻るかもしれん。記憶が戻れば、お前が知りたいことを色々教えてやることもできるはずだ」
「……ありがとう、エクセリア」
「なーに気にするな! お前が私のことを姉にそっくりだとか気色悪いことを言うものだからな、だんだん私もお前が弟みたいな感じに思えてきたぞ。姉弟だったら力になってやろうとするのは当然のことだからな! ふふふふ!」
無邪気で楽しそうな笑み声。君は知らないだろうけど、俺の姉さんはそんな陰のない笑い方はしないのだ。
最近はエクセリアのことを全然姉っぽいとは思ってない。むしろ妹がいたらこんな感じなのかなと思える。
そんな頼りない彼女が俺の力になってくれようとしているのは本当に嬉しい。姉さんと両親に先立たれて永遠に喪われたはずだった家族愛すら感じてしまう。
「それにしてもアリヤ、お前の顔を見ずに電話で話すのは初めてだな? これはこれで存外に悪くない。うん、なんか落ち着くぞ。私はアリヤの声、なかなか好きだな」
「俺も楽しいよ。エクセリアの声は元気いいからな、こっちも強制的に元気になる」
「強制的ってなんだ。なんか悪口っぽい雰囲気感じるぞ」
「そういうのじゃないけど鍋爆発はなあ。かなり眠かったのにすっかり目が覚めた」
「お、終わった話を蒸し返すな!」
「終わったことにするなよ!? 保留にしてるだけだからな! ベチャベチャになってるところぐらいは雑巾で拭くんだぞ、今日中に!」
「えー」
「えーじゃない」
エクセリアと話していると心が穏やかになる。姉さんとそっくりでいて姉さんとまるで似ていない少女。
まるで妹みたいな彼女と接していると、姉さんの存在が少しずつ俺の中で薄れていくのがわかる。
……いや、そうじゃないな。姉さんが俺の中からいなくなることはない。
家族ってそういうものだ。幼い頃からの人格形成に関わってきてるわけだから、ちょっとやそっとのことで消えたり失せたりするもんじゃない。もちろん父さんも母さんも。
じゃあ何が変わっているんだろうと考えると、それは多分俺の中にある怒りの感情だ。
誰とも関わらずに薪をくべ続けてきた心の中の後ろ暗い怒りの炎が、エクセリアと話していると弱まり、大人しく燻っていくのを感じる。
それが心地よくもあり、怖くもある。
まだ姉さんの仇を討てていないのに炎を弱めてしまって本当にいいのか? このままだといつか復讐を忘れてしまわないか?
俺が家族を亡くしても生きてこられた原動力は怒りと怨みだ。それが消えていく体感に得体の知れない恐怖がある。
それでもエクセリアとの関わりは心地よい。負の方向を向いて足踏みをしていた自分が、正の方向に足を踏み出しているような体感もまた得られているのだ。
それからしばらく、俺とエクセリアはお互いの今日一日の出来事を語り合う。
こっちはなかなか濃い一日だった。エクセリアの「はー。ふーん? へー!」と素直な相槌に合わせてつらつらと語っていく。
「私もそのバーガンディって人と会ってみたいぞ。なんかすごそうだ」
「インパクトは抜群だよ。まあ教育上あんまりよろしくないタイプの人でもあるけど……」
「それにキョウノってやつ。友達ができそうでよかったな、アリヤ」
「うん、あいつとはなんとなく仲良くなれそうな気がしたな」
そんな風に話をして、さらにとりとめもない雑談へと話を転がしていくうちに、気付けば時刻は一時を回っていた。
バーガンディとの交代時間が近い。今のところシエナたちの部屋からトラブルの気配もない。
俺は交代のことを伝えて、エクセリアとの電話を終わることにする。
「話聞いてくれてありがとう、エクセリア。いい感じに眠らずに済んだよ」
「ふふん、この世界姫と話せることを光栄に思うがいい」
「威厳を感じられないけどなあ」
「……わざわざ言うようなことでもないが、鍋の爆発を話したとき、怒るよりも先に私にケガがないか聞いてきたのは悪くなかったぞ。やはりお前は信用できるヤツだ。うん」
言っておいて気恥ずかしかったのか、最後の方はちょっと早口だった。
誤魔化すように空笑いをして、エクセリアは一声言い添えて電話を切る。
「じゃあね、おやすみアリヤ」
なんのことはない眠りの挨拶。だがその声が、俺の奥底深くにある何かを刺激する。俺の脳裏に覚えのない記憶がよぎる。
古ぼけた洋屋敷、高価な家財、アンティーク調で統一された内装。天蓋付きのベッドの上に、見覚えのない女が寝そべっている。
なんだこれは。記憶の逆流? 過去のフラッシュバック? いや違う、俺はこんな光景を一度も見たことがない。
だけど不思議なことに、俺はその記憶映像に既視感を覚えている。
頭が痛い。目の裏が痛む。
このフラッシュバックが始まったトリガーはエクセリアの声だ。どうして記憶が暴走しているんだ。……俺は、この会話をしたことがある?
白い薄布で囲われた天蓋ベッドの上から、シルエットだけしか見えない女が手を差し伸べてくる。
「じゃあね、おやすみ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」
「……!?」
聞こえない名前を女が呼んだ直後、俺の意識は急速に現実に引き戻される。
エクセリアとの通話は切れている。時間は通話が切れた時刻のまま、眠っていたわけではないし、謎の記憶に意識を乱されていたのはほんの数秒の出来事らしい。
なのに悪夢を見た後のように、俺の額には大量の脂汗が浮かんでいた。
そして俺は大変なことに気付く。どこかから吹き出てきた大量の瘴気に室内が包まれているのだ。
ギ、ギ、ギギと軋る歯音のような声を漏らしながら、部屋の中にどろりと虚鬼が何匹も現れる。
まさか敵襲か? 今の幻めいた記憶もこの瘴気のせいか?
いや、そんなことを考えてる場合じゃない。
『武装鮮血!!』
俺は魔法を起動させて、瘴気モンスターたちを迎え撃つ。
・現在の好感度
エクセリア 25+10
燃 25
シエナ 15
ユーリカ 15
エヴァン 5
イリス 5
バーガンディ 10




