47話 襲撃と夜明け
「だああっ!!!」
血の短刀を逆手に握り、俺は三匹目のゴブリンの首を切り払う。
これまでの戦いで学んだことだが、この瘴気が小鬼の姿を模した虚鬼は対処を間違わなければそう怖くない。
タックルから噛みつきにくるクセがあるので挙動は単純。組みつかれた状態で囲まれないように気を配れば一匹一匹は雑魚だ。
ラスト一匹、突撃してきた顔面に前蹴りを合わせて動きを止めて、すぐさま脳天に短刀を突き立てる。
「ガギャッ」と断末魔とも歯軋りともつかない声が漏れて、部屋に湧いたモンスターたちがいなくなった。
ふうっと短く一息ついて、俺はすぐに頭を切り替える。
(隣の様子を見に行かないと。シエナたちのところにも来てるかもしれない。寝ていたはずのバーガンディも……いや、優先して考えるべきはシエナだ!)
その時、ドンドンと部屋のドアがノックされる。
新手の敵か? そう警戒したのも束の間、ドアの外から聞こえてきたのは意外な声だった。
「アリヤ! 大丈夫!? なんかすごい物音がしたけど!」
「おい無事か? 敵襲なら加勢する。返事してくれ!」
シエナとミトマだ。しかも今一つ状況を掴めていない様子の声だ。
俺は思わず拍子抜けする。なんだ、そっちの部屋はなんともなかったのか。
「大丈夫だ!」と返事をしてからドアを開けると、パジャマ代わりのジャージ姿のシエナとミトマが立っていた。
「うわ、血まみれ!? ってそれアリヤの能力のやつか」
「怪我はしてないか。それと一体何があったんだ」
「うん、血は怪我のじゃないよ。いきなり瘴気ゴブリンが出たんだ。一体どこから湧いたんだか……」
俺の返事を聞いて、シエナとミトマは表情を曇らせる。
「瘴気モンスター? うーん、基本的にはここでは出ないはずなんだけど……」
「出ないと言うと?」
「瘴気って滞留した濃縮魔素でさ、空気よりも重いんだよね。だからパイプラインが壊れて魔素が噴き出した、とかじゃないと、そう高くは昇らないんだ。二階ぐらいならまだしも、この四階にまで届くことはないと思うんだけど……」
「えっ、でも今……ま、まさか俺、寝ぼけてた夢でも見たのか? いやでも、ちゃんと起きてたはずで」
「慌てるな、アリヤ」
俺とシエナが話している間に部屋に入っていたミトマが、破いたシーツの切れ端を持って部屋から出てきた。
よく見ると、真っ白だったはずのシーツがところどころ煤けたみたいに黒く染まっている。
「部屋を見させてもらったが、瘴気の残留物があちこちにある。このシーツのようにな。敵が出たのは事実、君の言う通りだ」
「よ、よかった。少し前までエクセリアと電話してたんだけど、電話し始める前はかなり眠かったから一瞬寝落ちしちゃってたかと焦ったよ」
「あはは、今日疲れたもんね。私は先に寝させてもらってたよ」
軽く笑いながらそう言うシエナの頭を見ると、確かにショートへアの頭にピョイピョイと寝癖が付いている。寝相の悪い方なんだろうか。
まだ寝ていなかったらしいミトマが小さくあくびを噛み殺しながら、部屋の中に警戒した視線を彷徨わせる。
「出ないはずのところに敵が出たということは、事故じゃなく、何者かが意図的に仕掛けてきた攻撃ということだ」
「どうやったんだろう。シエナから今聞いた話だと四階には出ないはずだって」
「それはあくまで“自然には”出ないという話だ。例えば、上階から空調ダクトを通して瘴気を送り込めば四階の部屋にも流れてくるだろう」
「あ、なるほど」
ミトマの説明はシンプルで簡潔だ。
納得して頷いた俺は、続けて湧いた疑問を口にしてみる。
「けど、どうして俺の部屋に出てシエナたちの部屋には出なかったんだろう。今狙われてるのはシエナじゃないのか」
「ふうん……そこは確かに不可解だな」
「それってあれじゃない? ダクト通して送り込んだだけなら単に細かく狙いが付けられなかったんじゃないの?」
「いや、そんな雑なやり方なら私たちの部屋にもいくらかは流れてきていたはずだ。隣室なんだし。アリヤの部屋だけにというのがな」
「うーん……?」
まるでわからず、三人揃って首を傾げてしまう。
ホテル内に敵が入り込んでいる可能性があるのでそっちの警戒もしているのだが、どこから仕掛けてくる気配もない。
廊下の向かいに見えているエレベーターの表示階が動く様子もなく静かなものだ。
深夜のしんとした静けさの中で、俺は唸りながら口を開く。
「うーん……出てきたのは大したことない雑魚だけだったし、一人でいる部屋を狙って寝込みを襲って戦力を減らそうとしたとか?」
「まあ、それなら理解できるな。部屋割りを把握されているのが不気味なところだが」
「なるほどねー、一人部屋のアリヤとバーガンディを狙ったのか……って! バーガンディ! 全然出てこないけどまさか!」
気付いて慌てるシエナの声に、俺とミトマもハッと顔を見合わせる。
すぐに俺たち三人はバーガンディの部屋の前に向かい、ドンドンとドアを叩く。
「バーガンディ! おーいバーガンディってば! 無事ー!?」
「アリヤ、電話してみてくれないか」
「今してるとこだ。コールしてみてるんだけど……おかしい、全然出ない」
「ちょっとちょっと、まさか本当に……!」
すると、勢いよくドアが開いた。
「うっさいわよ!!! なに? 羽虫なの? 何時だと思ってんのアンタたち!!!」
ぬうっと現れたのは頭がピンク色の不気味な人影だ。
俺たち三人は思わず身構えて、ミトマが鋭く警句を口にする。
「新手のモンスターか!? 気を付けろ!」
「なぁにがモンスターよ!! このおバカ!!」
「うぐっ!?」
「ミトマ、アンタは真面目な子だから本気で言ってるのが伝わってきて余計腹立つわぁ〜。アタシ・ご立腹」
モンスターがミトマの頭をガツンと殴る。いや失礼、どうやらバーガンディだ。
声は元気で怪我をした様子はないし、部屋の中が荒れている風でもない。
ただ顔中に塗りたくってある謎のピンクは一体……なまじ背が高く屈強な体をしているせいで外見が悪魔じみたことになっている。八頭身の星のカービィって感じだ。
俺たち三人の視線が顔に集まっているのに気付いたのか、バーガンディはフンと鼻を鳴らして堂々と胸を張る。
「お肌を休めるナイトパックだけど何か? いいわよね、アンタたち若者は保湿なんて考えなくても肌が潤ってて。それに比べてアタシは……キィーッ!!!」
その顔で奇声を上げないでほしい。本気でバケモノにしか見えないから。
結局、バーガンディの部屋にもゴブリンは現れていないようだった。
なぜ俺の部屋だけに? 偶然か? わからなかったが敵が出たのは事実だ。俺とバーガンディは荷物を持ってシエナたちの部屋に移動して、一部屋で残りの夜を過ごすことにする。
二つあるベッドにまだ寝ていない俺とミトマが横になって、シエナとバーガンディが起きておく。これでまた襲撃があっても対応できるはずだ。
……そんな警戒態勢を敷いたのだが、俺が目を覚ました時には何事もなくカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
時刻は朝の8時前。6時間近くぐっすり眠っていたらしい。
同じく目を覚ましたらしいミトマが、隣のベッドでぐぐっと伸びをしながら声をかけてくる。
「おはようアリヤ。よく眠れた?」
「ああ、よく寝れたよ。ミトマは?」
「見ての通りたっぷりと……ふあ、あ。すまない、あくびが。あと一時間寝たかったかな……ふふふ」
いつも黒髪を束ねているミトマがそれを解いている姿は物珍しい。
生真面目でシャンとした印象のある彼女だが、朝は弱いのか、座り姿勢のままうつらうつらとしている。
「おはよー」とミネラルウォーターを飲みながら声をかけてきたシエナが、ミトマの頭をポンポンとリズミカルに軽〜くはたきながら俺に笑いかける。
「いっつも凛とした感じを装ってるけどホンッットに朝弱いんだよね、ミトマは。一番ひどかった時は首筋に氷入れてみても起きなくってさ」
「そりゃすごい。それで起きないってよっぽどだな」
「そうそう。この子かなりのコーヒーマニアなんだけど、それも最初は朝の眠気対策だったみたい。まあ凝り性だから今は品種だの引きの粗さがどうのこうのとかすっごいハマってるけどね」
相槌を打ちながら、洗面所で顔を洗って歯を磨く。
すると浴室がガチャリと開いて、全裸のバーガンディがぬるりと姿を現した。
「キャッ!? アリヤちゃんったら大胆……!」
「反応すんのも疲れてきたな」
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朝食はバイキングだった。よくわからない潰れた豆の煮汁みたいな料理(カレーか?)や西洋ネギを焼いたやつ、ルバーブのジャムみたいな見慣れないメニューと並んで白米や納豆が置いてあるのを見ると、この街の食文化は本当に多様だなと感じる。
俺は俺で目移りしてポークビーンズだのチキンスープだのパスタだのと色々取りまくってしまったけど、それより印象的だったのはシエナだ。彼女の皿を見てバーガンディがうんざりと顔をしかめる。
「ハム、ソーセージ、チキン、オムレツ、マッシュポテト、フライドポテト、ジャーマンポテト、ミートローフ、肉、肉、肉、肉、パン三種類、スクランブルエッグ、ローストポーク、生ハム、ジャムパン、ゆで卵、おにぎり二つ、牛乳。なんだ? わんぱく小僧か?」
「え、ビュッフェってこんなもんでしょ。バーガンディこそなにそれ、おかゆと佃煮とサラダとヨーグルト? 胃でも痛めてんの? 老い?」
いやいや。これはシエナの方がヤバい。
二人が煽り合っているのを俺が唖然と見ていると、バランスの良い和朝食にフルーツを添えたミトマが後ろから声をかけてきた。
「ユーリカが食生活を管理しないとあいつはああいうことになる」
「ありゃひどい」
「ああ、18歳児だ」
呆れる俺たち二人を尻目に、シエナとバーガンディはまだ言い合いを続けている。
「フン、アンタなんかデブになっちまえばいいのよ」
「私ぜんっぜん太んない体質だもんねー」
「キーッ腹立つわね! 見た目は細くてもいずれ内臓脂肪祭りよ。20年後に隠れメタボになればいいんだわ!」
不毛だ。並んでいる食事に唾がかからないように顔を背けて口元を覆ってるだけマシだけど、それにしたってアホらしい争いだ。
しかもシエナはあともう少し取るつもりのようで、メニューをキョロキョロと物色している。
「あれはまだ長いぞ」とミトマが言うので、俺たちは先にテーブルで食べ始めておくことにする。
俺もミトマも、「いただきます」と手を合わせてから食べ始める。
転移してきた日本人の孫だと言っていたけど、生活様式はこっちの日本人と変わらないみたいだ。
と、ミトマは小鉢に生卵を割って、チャチャチャと箸でかき混ぜる。そこに醤油を入れて、さらに混ぜたものを白ごはんに回しかける。
「卵かけご飯?」
「ああ、そうだが。変なものを見るみたいな目をしてどうした? 祖父は日本でも食べていたと言っていたぞ」
「ああいや、全然珍しいわけじゃないんだけど、意外で」
「意外って何がだ」
ミトマが不思議そうに首を傾げるので、俺は覚えた違和感を軽く説明してみる。
「ほら、生卵って衛生管理が大変って言うだろ。きちんと安全なやつじゃないと殻の表面にサルモネラ菌が付いてて食中毒の原因になったり」
「そうなのか?」
「よく聞く話だよ。それで元の世界ではさ、日本以外ではあんまり生卵食べないらしいんだ。日本は衛生管理がしっかりしてる方だから生でもいけるんだけど、世界的には生食はかなり珍しいんだって」
「知らなかったな……そういえば、祖父からは礎世界の日本以外の国の話はあまり聞いたことがなかったよ」
「まあ俺もテレビとかネットの知識だけどね。で、パンドラって色々なことがかなり雑で荒っぽい印象があるんだけど、生卵の管理とかは大丈夫なのかなって不思議になったんだよ」
「ああ、そういうことか」
衛生面を気にする様子もなく卵かけご飯を食べるミトマは、漬物を噛み、お茶を一口すすって口を開く。
「確かにこの街は色々と雑で荒い。デタラメで無秩序な世界だ。ただ、流通している食品の衛生管理は相当しっかりしているよ。というか、ほぼ完璧だ」
「そうなの?」
「ああ。個人の管理がまずかった以外での食中毒はまず聞いたことがない。生卵を食べるのもかなり一般的な文化として浸透しているな」
「へえ〜! なんかイメージと違うなあ」
「企業連の影響だろう。あの七社の中に一つ、食品流通の元締めのような“カルナヴァル”という企業がある」
「カルナヴァル……」
「そこを牛耳っているのが七面會のドクロという男でね。かなり食に対するこだわりの強い奴らしい」
「ドクロねえ。名前からしてガイコツマスクみたいなのを被ってるのかな?」
「かもしれないな。あんまり食事時に見たいビジュアルじゃない」
「はは、同感だ」
そこで俺は一旦席を立つ。ミトマを見て、俺も卵かけご飯が食べたくなったのだ。
ようやくシエナとバーガンディが席に来たのと入れ違いに、卵の置いてあるコーナーへと足を向ける。
そんな具合に、朝食の時間は過ぎていった。
昨夜の緊張から一転、意外に楽しい休息のひと時を過ごすことができた。




