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44話 古本屋の出会い

「西三十七番街のカフェオルカの前で待ち合わせだって。10分あれば着くね」


 アリヤたちとの電話を切ったシエナは、隣にいるミトマへと話しかける。

 二人がいるのはスラムから離れた都市部の路地、人目を避けるようにひっそりと営まれている古本屋の前だ。

 店頭にも中に収まりきらない大量の古本が展示……というより山積みにしてあって、ミトマがラインナップを熱心に眺めている。


「合流するよ、ミトマ」

「ん……少し待ってくれ。まだ時間あるだろ。この辺りにはめったに来ないからな、こんな品揃えの良い古本屋があるとは知らなかった」


 ミトマは凝り性の趣味人だ。

 彼女は長い黒髪をざっくばらんに後ろで束ねて、服は着回しの利くシンプル系で統一しているのだが、それは身だしなみにかける費用を最低限に抑えて趣味に回すため。

 色々なジャンルに広く手を染めているタイプだが、その中でも特に深く追求しているのが車、本、コーヒーの三本柱。

 本はもちろん読むのも好きだが、集めて部屋の書棚に並べるのはもっと好き。愛書家(ビブリオマニア)というやつだ。

 それを知っているシエナは、肩をすくめながら声をかける。


「まあ空き時間だし好きな店を見るのは全然いいんだけどさ、古本屋じゃなくて新刊で綺麗な本買えばいいじゃん」

「普通の書店に並ぶ本は売れ線ばかりで、新しい本が出るたびに入れ変わる。常に置いてあるのはベストセラー作家ぐらいだ。こういう古本屋には過去の名著を発掘する楽しみがあるんだよ」

「ふーん、そういうもんなの。中を見なくていいの?」

「ここは店内は古書とか専門書が中心だからな。小説の類は外だけなんだ。それより、お前も少しは本を読んだらどうだ、シエナ」

「たまには読んでるって。ほら、さっき買ったし」


 シエナはそう言って大判サイズの雑誌が入った袋をカサカサと振ってみせたが、ミトマは呆れ気味に目を細めて首を振る。


「それは漫画とユーリカに頼まれてた料理本だろ」

「うっ……買うとこ見てたの?」

「見てない。見なくてもわかる。いつもじゃないか」

「漫画だって立派な本だってば。今度貸すから読みなよ。ほら、ミトマの好きな車の漫画だってあるよ」

「お前が私の勧めた本を読むなら交換で読んでもいいが」

「えー」


 会話を交わしながらも、ミトマは山積みの本から何冊かを抜き取って手元に重ねていく。

「“西海に消ゆ”、“ティンバー老人の告白”、“最果てのエルモ”、“紅髑髏”……」


 さらに彼女が五冊目を手に取って裏表紙をめくったところで、シエナが不思議そうな声を出す。


「あれ、その本持ってなかったっけ?」

「これは初版を探してるんだ」

「初版〜? 車といい本といいマニア気質だよねえミトマは。本なんてどれも一緒じゃん」

「わかってないな」


 暇そうに本の山を眺め回す友人の横顔を見て、ミトマはやれやれとわざとらしく息を吐いてみせる。


「この本は口コミでジワ売れしてベストセラーになったが、初版の発行部数が少なかった。普通に買えば2000クレジットもしない本だが、初版なら状態が良ければ50000は下らないんだ」

「うっそ! 古本集め侮れないね。手伝おっか」

「現金なやつだな。言っとくけど見つけても売らないぞ私は」

「あ、これ! 初版って書いてあるけど!?」

「それは初版第二刷だ。価値があるのは初版第一刷と書いてあるものだけで……ん?」

「あったの!?」

「違う。後ろだ」


 シエナが振り向くと、いつの間にか背後に長身の男が立っていた。

 会話をしながらも周囲には気を配っていたのに、この男の接近にはまるで気配を感じられなかった。

 男は青年の年頃を過ぎて、中年に届くか届かないかの年頃。黒いコートのえりを高く立てて口元が隠れていて表情が見えにくい。動きの少ない目からも感情は読み取れない。

 肌は少し浅黒く、どこか枯れた印象のその男の顔をシエナは知っている。

 星影騎士団(ステラ・イドラ)の上級幹部、深層六騎(ディープシックス)の一人、フッコだ。


「初めまして。深層六騎(ディープシックス)のフッコ。私たちに何か用かな?」

「お前がシエナ・クラウンか。直に見るのは初めてだ」


 シエナは少しだけ重心を沈めて立つ。もし仕掛けてくるようならいつでも迎え撃てるように、両足にかすかに力を込める。

 フッコは背に大剣を背負っている。何かの建材かと勘違いしてしまいそうなサイズの幅広で厚みのある両手剣だ。

 ネンを介して学園と騎士団は一時的な休戦協定を結んでいるが、まさか一方的に破棄するつもりかとシエナとミトマは警戒心を高める。

 だが、そんな警戒とは裏腹に、フッコは敵意のない様子で口を開いた。


「本は読んだ方がいい。賢くなれる」

「……? あ、うん」


 拍子抜けして、シエナは曖昧な声を返してしまう。

 何を言うかと思えばやけに当たり前なことを……と思いながらも、一応頷くシエナ。

 意思疎通ができていると解釈したのか、フッコはゆっくりとした口調で言葉を続ける。


「賢くなれば利用されずに済む。愚かでいるのは楽だが、あまり良い事じゃない」

「それは、まあ、そうかもね」

「ああ」

「う、うん……?」


 どうしよう、何を考えているのかよくわからない。敵じゃないなら何のつもりで話しかけてきたんだろう。

 そんな具合に困っている様子のシエナを見て、隣にいたミトマが名乗ってから話を引き継ぐ。


「貴方はどんな本を読むんだ? 聞かせてほしい」

「俺は……そうだ、これは面白かった」


 そう言って、フッコは店頭の本の山から一冊を手に取る。

 渡された表紙を見たミトマは、「“異日(いじつ)”……」とその題名を呟く。


「聞いたことないタイトルだね。ミトマは知ってるの?」

「知ってはいるが……賛辞ではなく、悪名として奇書呼ばわりされている本だったはず」

「へえー奇書。面白そうじゃん」

「いや……著者のレールマンという男はそれなりに有名な作家なんだが、この街にまつわる都市伝説めいた妄想を脈絡なく書き連ねてあって、内容があまりにも支離滅裂かつ突拍子もなさすぎて総スカンを食らった本なんだ」

「そんなに酷いの? 私は都市伝説本とかなら好きだけどなー」

「お前が読むのはコンビニの漫画コーナーの近くに置いてある安っぽいムック本だろ。そういうのとは違う。一流作家がきちんと出した本なんだ」

「違いがわからん……あ、締め切りが間に合わなくて適当に書いたとかじゃないの」

「さあな。バッシングを受けすぎて精神を病んだのか、これを世に出した少し後に自殺してしまったんだ。本もその騒動を受けて絶版に。だが書いたのが人気作家ということでそれなりの数が出回っていて、希少価値はそれほどない。と、まあそんな微妙な扱いの本なんだが」


 シエナにそう説明してから、ミトマはフッコに目を向ける。


「貴方はこれが好きなのか」

「興味深い本だ。未読なら、一度は目を通しておくといい」

「……そうしよう」


 フッコのすすめを受けて、ミトマは“異日”を買うつもりの本の中に追加した。

 読む本にこだわりのある彼女にしては、えらく素直に従ったもんだなとシエナは思う。読書家同士で通じる何かがあったんだろうかと。

 そこへ、路地の向こうから「ああっ!! いた!!」と女の大声が聞こえてきた。

 バタバタと足音がして、書店の前に駆け寄ってきたのは燃だ。


「ちょいちょいちょい! フッコさん! なんで一人で勝手にフラッといなくなってしまうん!? 私と一緒に行動しろって上から言われたんやからちゃんと同行してくれますぅ!?」

「燃か。本を見ていた」

「本を見ていた。やないわ!!! なんなん!? 読書系無口キャラとかちょっと古ない!? 少年少女ならまだしも30代も半ば過ぎですよね? いい歳した男の不思議ちゃんとか流行りませんて!」


 学園で年下たちに圧をかけながらヘラヘラと余裕をかましていた時と違い、同僚に怒りつつも、年上相手だからか声色に少し遠慮の色がある。

 よっぽど探したのか、額や首筋に汗が滲んでいるのが見える。

 社会人なんだなあ、と妙な感慨を覚えつつ、シエナは燃に声をかけておく。


「えーと、燃さん」

「はい? ……あ、シエナやん。ミトマも。ランドール家行きは? こんなとこで何しとんの」

「ちょっと色々あって」

「っていうかアリヤくんいてないやん。え、まさか死んだん!?」

「いやいや、生きてる生きてる。敵に襲われて二手に分断されちゃってたんだけど、向こうも無事に切り抜けたみたい」

「あ、そうなん。安心したわ」


 それだけ確認して満足したのか、燃はフッコの服を掴んで強引に引っ張っていく。


「ほらァ! 仕事戻りますよ! なんなんホンマ、同僚ゴリゴリ働かせて自分は街ブラしてJKと絡んでからに。腹立つわ……」

「有意義な時間だった。機会があれば、また会おう」

「なに次の約束取り付けようとしとんねん!! 出会い厨なん!? アホか!! 死ね!!」


 いよいよキレた燃に引きずられて、フッコは通りの向こうへと姿を消した。

 それを見送りながら、ミトマがぽつりと口を開く。


「彼、なかなか素敵な男性だったな」

「え!? ミトマ趣味悪いな!」

「そうか……?」


 友人の好みに首を傾げつつ、シエナは頭の片隅でぼんやりと思考を巡らせる。

 深層六騎(ディープシックス)が二人、街の片隅で何の仕事をしているんだろう。


(まあ、平和な仕事じゃないだろうな。今日はこの辺りには近寄らない方が良さそうだ)


 そう結論付けたシエナは、ミトマが本の会計を済ませるのを待ち、書店の前を離れた。




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