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29話 炎の中で

 世の中、大体の子供は自分を世界の主人公だと思ってる。子供じみた全能感、幼児的万能感ってやつだ。

 それが大人になるにつれて、社会と触れて他人と比較されて摩耗して角が取れて、そうではないと気付いて画一化されていく。

 妄想癖が取れて現実と折り合いをつけて、まともな人間になっていく。

 俺には、その感覚が理解できない。




「オラオラ焦げちまえ!!!」


 アブラの両手の間に、電弧(アーク)のように炎の橋がかかる。

 右の掌が俺に向くと、そこから砲撃めいて炎弾が吐き出された。

 空気中のチリを焦がしながら迫る熱塊。俺は左に転げてそれをかわしつつ、血でシンプルな形の片手剣(グラディウス)を形作る。

 血が残り少なくて頭が重い。投げ槍や弓矢みたいな飛び道具で血を使い捨てる運用はもう無理だ。シンプルに、コンパクトに。前へ走る!


(あいつはとにかく高火力だ、離れても得はない。ふところに入って戦え!)


 熱された空気が暑い。砂埃が呼吸の邪魔をする。グッと息を吸って留めて、アブラの左手から放たれた炎を低く転げて掻い潜る。

 一、二、大股で三歩。跳ねて距離を詰めた俺は、渦のように上体を捻ってアブラの脇腹へと水平に片手剣を叩き付けた。が、刃が通らない!


(なんだ!? 急に剣が柔らかくなった!)

「ヨォ、熔鉱炉を見たことはあるか? この俺の服、熔鉄衣(パイロマニア)はそれと同じよ」

(この赤い上着、布の色じゃない……熱で赤く光ってるのか。一瞬で血の鉄が溶かされた? そんなまさか!)

「初めてだろ? 掻き消せない超高温に直触れするのはよォ。熱したフライパンとはワケが違うぜ? アチチじゃ済まねえ!!」


 燃えるように赤い腕で、アブラは俺の左手を直に掴んできた。

 瞬間、赤熱が俺の腕へと移って燃えて、熱さと痛みが脳髄へと駆け上がった。


「ッッッ!! うぐあああああッ!!」

「ブツブツと泡が弾ける音を聞いたか!? 細胞が煮えて弾けて肉が蒸発ゥ……骨まで燃える感覚は楽しめてるか!?」

「離、せえっ!」


 骨まで燃やされる! 

 激痛で揺れる脳を必死に回転させて、腰を起点に脚を跳ね上げて腕を蹴り払う。

 少しでも熱を軽減できるように靴で蹴ったが、燃えるそでに触れただけで靴底が溶けて燃えて、化学繊維の燃える刺激臭がツンと臭う。

 服に着いた火を消すために俺が地面を転げていると、アブラがガスマスクの下からすすり泣くような声を漏らしてきた。


「シュラはなあ……あいつは良〜いヤツだった。俺ら七面會(マスケラド)の中で一番歳下でよォ、世界にいた頃から俺たちのことをしたって言うこと聞く素直なヤツでなぁ。初めて彼女ができたときは何故か会議に彼女を連れてきやがったりイキり散らしてウゼェとこもあったが、それでもつくづく可愛いヤツだったんだ。それを! なんてヒデェ! サイコ野郎が!!」

「言ってることが滅茶苦茶なんだよ! 先に俺を殺そうとしてきたのは向こうだろうが!」

「うるせえっ、ブチ上げてくぞクソガキ! 燃えて死ね!!」


 アブラが背面のジェットパックを吹かして、低空を飛びつつ猛烈な勢いでラリアットを放ってくる。

 俺は身をかがめて紙一重でそれを避けるが、すれ違いざまに服と掠めた頬に火傷を負う。

 痛いってレベルじゃないぞ、声も出ない。垂れた脂汗が傷口にズクズクと染みる。

 俺の戦いを支えているのは異世界転移と同時に身に付いていた自動治癒の力だ。だがシュラ、さらに炎機人(イフリート)との連戦のせいで、血が尽きる寸前で傷の治りも遅い。

 焼かれた左腕が動かない。少しでもいい、動かせるようになるまで時間を稼ぐべきだ。

 俺はアブラへと質問を投げてみる。


「……さっきアンタの言った、世界ってなんだ?」

「オイオイオイオイそんなことも知らねえのか。まあそりゃ知らねえか。ペーペーのルーキーだもんなァ。元俺たちがいた地球が礎世界、このパンドラが異世界。基本だろうが? 生意気なんだよそんなことも知らねえザコがよ!!!!」


 意外と丁寧に教えてくれた。

 そう思ったのも束の間、アブラは両手から炎の奔流を放ってきた。


「…………っ、か!!」


 体力が底を尽きかけてる俺は満足に避けられず、左の膝から下をモロに焼かれてしまう。

 俺の足はどうなってる? 感覚がない。形は残ってるのか? まさか炭化してるのか?

 確かめる気力が湧かない。全身の水気が抜けてしまったみたいに酷い気分だ。

 

「ごめんなさいで済むもんじゃねえ。インスタントに手に入れた力でイキってんじゃねえぞイミテーション野郎が。オラ!! ボケっとしてんな!!」


 アブラが俺の首を掴んだ。

 首の皮がブスブスとくすぶって、喉が焼かれて呼吸が詰まる。


 俺は地面を転げた時に故意にばらまいておいた血のフィルムケースに視線を向けて、辛うじて動く右手の指を手繰るように畳んだ。

 アブラの背中めがけて発動する『血茨(アドラ)』。だが灼熱のコートがそれを阻んで蒸発させてしまう!


「オイオイオイ、今のは何だ? 弱っちい攻撃しやがって。無駄にあがいてんじゃねえよ!」


 口の端から垂れた血混じりの唾液も、高熱を受けてすぐに蒸発した。

 力任せに俺の体を持ち上げて、アブラはガスマスクの向こうのつぶらな瞳に未だ消えない憤怒を燃やす。


「年季が違うんだよ、年季がよォ」

「……」

「もう声も出ねえか? 俺ら七面會(マスケラド)は礎世界の魔術師グループだ。お前みたいな一般のガキは知らねえだろうが、地球にも魔法を研究してる人間がそこそこいた。礎世界ではあくまで理論研究でしかなかったが、この異世界にゃ魔素(マナ)がある。机上の空論を実現し放題ってワケよ。こうやってお前を燃やし尽くしちまうこともな!!!」


 シュボッとマッチを擦るような音がして、俺の視界を炎が包んだ。

 手も足も動かす気になれない苦痛の中、遠くからエクセリアの叫び声が聞こえる。


「がんばれ! 負けるなアリヤっ!」


 泣き出しそうな声で、辛うじて涙をこらえながら健気な応援を俺に向けている。

 ……俺が負けたら代わりにアブラをボコボコにするとか言ってたけど、今のエクセリアじゃ無理だろうな。こいつは強すぎる。

 しばらく一緒にいてわかったけど、エクセリアはビッグマウスだ。すぐに虚勢を張るクセがある。

 記憶をなくす前だって「私は最強だ!」とか言ってからわりとすぐにブリークハイドに負けていたから、あのビッグマウスっぷりは生来のものなんだろう。

 それはいいとして、俺が負けたらエクセリアはどうなる? 

 燃さんなら悪いようにはしないんじゃないかって気もするけど、結局は騎士団の上の意向次第だ。

 もしアブラたち七面會(マスケラド)に連れ去られたら最悪だろうな。またカプセル入りの実験体扱いかもしれない。

 ……ああ、モチベーションが湧いた。エクセリアを、姉さん似の君を泣かせたくはないから、俺はまだ戦える。




 話を戻す。

 俺は二十歳になった今でも、自分のことを世界の主人公だと思っている。

 世の中の大半の人が自分が主人公じゃないと気付くのは、人と自分を比較して負けを味わった時、それか挫折を知った時らしい。

 まともに生きてきた人間は、成績、受験、部活、就職、どこかで相対的な社会での立場と自分の限界値を知ることになる。

 だけど、俺にはその経験がない。

 姉さんの仇を討つ。それ以外のことに興味を示さず、他人に興味を示さず、社会に参加せずに生きてきた俺は、挫折と自分の限界値をまだ知らない。

 姉さんの仇討ちにこそ一度は失敗したが、あれはまだ終わってない。俺が生きていたんだから復讐は続いてる。俺は挫折していない。


 やればできる。根拠のない自信過剰。やってこなかっただけ。一切裏付けのない自負心の暴走。俺の勝ちだ。過信の権化。精神的勝利者。現実逃避の天才。自己肯定感の擬人化。誇大妄想野郎。


 アブラ、あんたたちの研究は礎世界では身を結ばなかったと言ったな? 

 それは敗北だ。あんたたちの人生というノートに垂らされた一滴の墨。消せない黒星が一つ。俺にはそれがない。

 なあ異世界、魔素(マナ)に精神が呼応するって言うのなら、俺の肥大化した自尊心に応えてみせろ。不敗のイメージを反映してみせろ。


 俺はまだ、負けてない。




「なんだぁ……?」


 ガスマスクの下で、いぶかしげにアブラが目を細める。

 刃向かう人間を何人も何人も灰にしてきた彼の体感では、そろそろ頭部は完全に炭化して骨だけになっているはずだった。が、まだ原型が残っている。いやに焼けにくいな、と。

 それどころかとっくに絶命してておかしくないこの男の腕がぴくりと動いた気がしたのだ。

「……んなわきゃねえ」

 アブラが自分の誤認に鼻を鳴らした瞬間、声が響く。

 

「『灼血(イグナイト)』」

「な——」


 アブラが驚きに息を呑んだのと同時、俺は首を思い切り後ろに引いて、全身全霊のヘッドバットをかましてやった。

 メキリと硬い音がして、アブラのガスマスクに亀裂が走る。

「う……!」と声にならない声でよろめいたアブラの頬に、これでもかと大きく振りかぶった激烈なフックを一発!


「はあッ!!!」

「!? が、くッ……う! お、まえ……どうなってやがる!? 体が燃えてるのに……!」


 ガスマスクが砕けて割れて、アブラの顔が露出する。

 ああ、わりと想像通りにガラの悪い顔だ。肌艶がいい辺りお育ちは良さそうだけど、自分ヤンチャですって目付きをしてやがる。

 わがままそうな表情も、オールバックに固めて後ろに結び目を作った髪型も、どちらも容赦なく殴れそうで精神衛生上ありがたい。


「決着付けようか」


 俺の状態を説明してやる気も余力もない。

 アブラからの問いかけを完全に無視して、俺は残った体力を振り絞って身構える。

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