15 君と手を繋ごう
ダニエルには咎められたが、ライオネルはどうしてもミティリアの顔を見たくてたまらなくなった。
あの白く滑らかな頬に触れたい。
キラキラと輝く薄金色の髪に指を絡めたい。
決して欲望からくる願望ではなく、ただミティリアという存在がそこにあるという事実を確かめたい。
足早に歩みを進め、自らの部屋ではなく、その隣の部屋のドアを開けた。
ライオネルの部屋よりも少し小さなその部屋は、今朝家を出た時に比べて、家具や装飾品が増えていた。
客間として使われていた時のような、どこか余所余所しく素っ気ない雰囲気はどこにもない。
アリーシャや使用人達がミティリアが少しでも過ごしやすいように、あれこれと整えたのだろう。
ミティリアの居場所は着々とここに出来はじめているのに、理不尽に奪われてしまう未来が訪れるかもしれないなんて。
やり切れない思いを胸に抱いたまま、窓際に置かれている寝台に近づく。
真っ白なシーツに横になっているミティリアは、もちろんあの稀有な緑色の瞳を閉じている。
薄暗い部屋の中にあっても、その整った美しい顔は、輝いて見える。
ミティリアの顔をより近くで見る為に、寝台の端に腰かけると、ギシリと軋む音がした。
「ミティリア…………」
起こしてしまわないように、柔らかそうな頬にそっと触れると、ふにっとした感触が指先に伝わる。
とても温かく、信じられない程柔らかい。
この少女の何がここまでライオネルを惹きつけるのだろうか。
他に類を見ない美しい容姿だろうか。
それとも他者を思いやる清らかな精神か。
あるいは不幸な境遇への同情心からくるものか。
そのどれを理由に挙げてもどこかしっくりこない。
例えミティリアと同じくらい見目麗しい者を見ても、惹かれることはないだろう。
例えミティリアと同じように心優しい者と出会っても、心奪われることはないだろう。
例えミティリアと同じような境遇にいる者を救い出したとしても、ミティリアのように守りたいと誓いはしないだろう。
理屈ではなく、こんなにもライオネルの心を揺さぶる存在は、今までもこれからも、ミティリア以外に現れることはないと、確信できる。
ライオネルにとって、それだけ大切な存在なのだ。
どんな汚い仕事も、ジークフリートの為ならば、やり遂げてきたし、これからもそのつもりだった。
幼馴染であり友であり主君であるジークフリートは、家族とはまた別の意味でとても近い存在。
幼い頃からこの国を統べることが決められていたジークフリートが、王になる重圧に苦悩していた時期も知っている。
それでも民のために並々ならぬ努力を重ね、身を粉にして働き続ける姿をずっと近くで見てきた。
この王を戴けるわれわれ帝国民は幸福だと、心の底から感じていた。
そんな主君から、国を救うためにミティリアを差し出せと言われたら、ライオネルはどうするべきか。
自分で自分が分からない。
その時、ミティリアの頬に触れている手とは別の、シーツの上に置いていた手に、柔らかな感触が重なる。
ミティリアの白く小さな手が、ライオネルの中指をきゅっと握った。
まるで心まで握られたように、愛しさに胸が締め付けられる。
この愛しい存在を、みすみす不幸にすることなど出来るはずがない。
ジークフリートを裏切ることは出来ない。
それはエルディーダ帝国軍師団長ライオネル・アイゼンバーグとしての矜持である。
その矜持を捨てれば、騎士としてのライオネルは死ぬ。
だが、この愛しい存在を守らなければ、ライオネルの心が死ぬ。
どちらもライオネルにとっては、簡単に切り捨てられるものではない。
…………では、どちらも捨てなければ良いのだ。
調査の結果が望むものであれば何の問題もない。
だが、もしライオネルが懸念するように、奇跡がミティリアに関係したものだけだった場合には、必ず自分がその原因を見つけ出す。
ミティリアの何が奇跡に関係しているのか、解き明かして見せる。
大事な幼馴染に、大切なミティリアを決して傷つけさせなどしない。
心が決まったことで、鉛のように重かった体が少し軽くなる。
調査の手配や段取りなどで明日も忙しくなる。
そろそろ自室に戻り睡眠をとろうかと思案するが、未だにライオネルの中指はミティリアに握られたままだ。
「…………ミティリアが手を離さないせいだ」
少し力を入れれば引きぬける程の拘束だというのに、その手を離してしまうことが惜しくて、離れられないことを全てミティリアのせいにする。
そして、2人で横になっても十分な程の寝台にそのまま体を横たえた。
手に感じるぬくもりが、温かくて、どうしようもなく幸せで。
疲労が蓄積した体には、すぐに気持ちの良い睡魔が襲ってくる。
それに抗うことなく、身をゆだねた。
(………………目が覚めたら、イケメンが隣で寝ていました)
元から大きな緑色の瞳を最大限見開いたまま、ミティリアは隣で静かに寝息を立てている男をまじまじと見る。
(え、この人りゃい様……だよな?…………よく見たら、りゃい様ってめちゃくちゃカッコイイ?目つきが悪過ぎて気付かなかったけど、鼻筋はすっと通ってるし、まつげ長いし、肌はすべすべだよ……)
ふらふらと吸い寄せられるように、目の前にある頬に手を伸ばす。
(うわー、うわー、まじですべすべ。どうしてイケメンって肌まできれいなんだろ…………って、俺何やってんの!?え、え、何血迷ってんの?どうしてナチュラルにりゃい様の頬撫でてるの?……イケメンって恐ろしい。人が苦手な俺が無意識に吸い寄せられるなんて、イケメンの魔力にやられてしまった……)
慌てて手を引こうとすると、それよりも一瞬早く、大きなごつごつとした手に握られてしまう。
「…………ミティリア、おはよう」
寝起きのライオネルの目つきは控え目に言って最凶だった。
「ひえ……」
(…………今朝軽く人を殺してきましたと言わんばかりの威圧感と目つきの悪さ……やっぱこっちがりゃい様って感じだな。……さっきのイケメンは幻だな、うん。なんだか変な扉を開きかけたような気がしなくもないけど、あんなもん幻だ。)
普段の1.5倍増しで凶悪な目つきに顔を引きつらせながら、ミティリアは自らの黒歴史に蓋をする。
そして、握られたままの手をなんとか引き抜こうとするが、強く握られているわけでもないのに、一向に引き抜くことができない。
(ちょっ、離して。勝手に顔触ったのそんなに気に食わなかったの?確かに寝てる時に顔触られるとか、ちょっと気持ち悪いよな。もうしないから。二度としないから。してたまるか!だから離してー)
眠っている間に顔を触るといった点では実はお互い様なのだが、眠りの深いミティリアが、昨夜の出来事を知る由もない。
悪戦苦闘するミティリアを余所に、ライオネルは小さく欠伸を噛み殺す。
まだ少し眠気が残っているようだ。
コンコン
「……入れ」
部屋のドアをノックする音にライオネルが返事をすると、慌てたようにドアが開いた。
開いたドアから飛び込んできたエイダが目にしたのは、一つの寝台で寄り添うライオネルとミティリアの姿。
早朝。
一つの寝台で寄り添って。
手を繋いでいる二人。
エイダは目の前の光景に、上がりそうになる悲鳴を必死で抑え込むと、少し震えた声で当然の疑問を吐き出す。
「ラ、ライオネル様、なぜミティリアお嬢様の寝台にいらっしゃるのですか……?」
ミティリアを朝起こしに来た際に、ついでに寝台に寝転がってみたのだろうか。
それはさすがに無理があるかと、エイダは自らの考えを否定する。
それでは、まさか。
「昨夜ミティリアがどうしても離してくれなくてな」
あくまでライオネルに他意はない。
事実を口にしたまでだが、男女の機微に疎い男は、寝起きということもあり、どう考えても言葉の選択を間違えていた。
その結果、エイダにはねじ曲がった方向で伝わってしまう。
「さ、さ、さようでございますか!それは、お邪魔をいたしました!」
バタン
メイドとしてはあるまじき大きな音を立ててドアを閉めたエイダは、「ライオネル様のお嫁様のおもてなし部隊」の一員として、今見聞きしたことを隊長であるメイド長イリーナに報告すべく、廊下を駆けて行った。
(あれ、今いつものメイドの若い人が入ってきてなかった?気のせいかな?……それにしても、りゃい様の手接着剤でもついてんのかよ。全然離れないよ)
ライオネルの手と悪戦苦闘を繰り広げていたミティリアは、大きな音を立てて閉まったドアの音に、ふと我に返るが、すでにエイダの姿はどこにもなかった。
「……やけに慌ただしいな」
年齢の割に落ち着いている優秀なメイドだと思っていたが、何か慌てるようなことでもあっただろうかと、首をひねる。
そして、一拍置いてメイドが慌てて部屋を飛び出して行った理由に思い当たる。
「屋敷の者が起き出す前に部屋を出るつもりが、寝過ごしたな……」
あらぬ誤解を招いただろうか。
ライオネルも男であるからには、ゆくゆくはそういった関係も見据えてはいる。
しかし、今はまだミティリアとそのような関係ではないし、そもそも、とてもそのようなことをしている場合でもない。
やましさなど一切なく、ただ単純にミティリアと離れがたく思えて、そのまま寝台で一晩を過ごしてしまったわけだが。
「…………母上あたりが騒ぎそうだな」
さすがに婚約者でもない少女の寝台で共に寝たのはまずかったか。
「りゃい」
母親に一体何を言われるだろうかと、少々面倒な気持ちになっていると、ミティリアから名前を呼ばれた。
視線を向けると、繋いだ手を揺らしながら、嬉しそうに微笑むミティリアの姿。
誰かと手を繋ぐなんて経験を、恐らくしてこなかった、いや、出来なかった少女。
ライオネルと手を繋ぐことが、そんなに嬉しいのだろうか。
こんなゴツゴツした剣ダコだらけの手でも構わないのであれば、いくらでも何度でも差し出そう。
「いつだって俺が、ミティリアの手を握ってやる」
(あの、本気でそろそろ手を離して頂けませんか?上下に振っても揺らしても、愛想笑いで下からお願いしても、全然離してくれないよこの人。俺が悪かったです。基本的に人の体温ってあんまり得意じゃないから、あんまり手とか繋ぎたくないんだけど。もう二度と顔は触らないから、俺の手を人質にするのはやめてくれー!)
これ以降、ことあるごとに、ライオネルに手を繋がれることとなるのだが、そんな未来をミティリアはまだ知らない。




