34. お兄様が帰っていきました
数日後。
すっかり元気になったヘンリーお兄様は、同じように回復したポーレット領騎士の皆と、ポーレット領に帰ることになった。
出発前、お兄様と最後の抱擁をする。お兄様は優しくて温かいが、ジョーがいいと改めて思った。
「アン。元気でね。何かあったらすぐに知らせてね」
お兄様は笑顔で、だけど心配そうに私に言う。そんなお兄様に、大きく頷いていた。
そして、お兄様は私の隣にいるジョーに向き直る。
「ジョー。僕の妹を、よろしくお願いします。
また、結婚式の日にちとかが決まったら教えてね」
「もちろんだ、ヘンリー。
その前に、アンとポーレット侯爵領にも正式に報告に伺うつもりだ。
オストワルは、ポーレットとともにある」
お兄様とジョーは、固く手を握った。お兄様もジョーも、これからも仲良く元気でいて欲しい。
「ヘンリー、時間だよー!」
セドリック様が笑顔で告げ、お兄様の肩をぽんぽんと叩く。
「ありがとう、セドリック。
アンの様子を見に、また来るよ」
お兄様の過保護にはほどがある。だが、いつでも会いに来て欲しい。私だけでなく、ジョーやセドリック様だってお兄様を歓迎しているから。
私は、ジョーの隣で去っていくポーレット領御一行に頭を下げた。お兄様と離れて少し寂しかったが、こうやってジョーの隣にいられて幸せだ。
ジョーを見上げると、ジョーは嬉しそうに私を見下ろしてくれる。この笑顔が大好きだ。
「アン。オストワル辺境伯領に残ってくれて、ありがとう。
これからも、よろしくね」
セドリック様がにこにこと私に言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、深々と頭を下げていた。
セドリック様にはお世話になりっぱなしだ。
見ず知らずの私を迎えてくださって、家や職場まで用意してくれた。お兄様も温かく迎えてくれた。私は、セドリック様にも恩返しをしなければいけない。
「そうそう。結婚式の日取りも決めなきゃだけど、アンはジョーの婚約者なんだし、騎士団長邸に引っ越したら?あの別荘では窮屈でしょー?
それとも、ジョーはグランヴォル家に帰るのかな?」
思わぬ言葉にぽかーんとする私だが、ジョーはセドリック様に告げる。
「俺は次男だから、グランヴォル伯爵領の領主になるつもりはない。
アン、騎士団長家に引っ越そう」
ちょっと待って!いきなりの共同生活!?私、まだ心の準備が出来ていないのだけど……
真っ赤な顔の私だが、ジョーは至って普通だ。そのまま真顔で告げた。
「俺の妻となると、俺のことを憎む奴から狙われるかもしれない。
アンには、すぐに助けられるところにいて欲しい」
「それなら、やっぱり剣の練習をしなきゃね」
ジョーにそう告げていた。
ヘンリーお兄様を憎む人がいたように、ジョーを憎む人だっているだろう。
私は今回の一件で、ジョーにもたくさん心配をかけた。これからは、ジョーと心穏やかに過ごしたい。
こうして、私の置かれる環境は、再び目まぐるしく変わっていった。
私はすぐにオストワル辺境伯領騎士団の宿舎の隣にある、騎士団長邸に居を移した。
騎士団長邸は立派な一軒家で、多くの部屋と多くの侍女が揃っている。ジョーは今まで一人でこの大きな一軒家に住んでいたのだろうか。そして、騎士団長がいかに身分が高い者なのか実感した。
私が騎士団長邸に足を踏み入れると、
「奥様、お待ちしておりました」
侍女が一斉に頭を下げる。その中には治療院で診たことがある人もいるし……奥様!?その言葉に飛び上がった。まだ結婚もしていないし、今までのように薬師のアンちゃんのほうがずっとマシだ。
私はずっと平民として暮らしてきたから、こういう特別扱いは苦手だ。
「よ、よろしくお願いします」
引き攣った顔を必死に笑顔にして、頭を下げた。
そして……
「アン!」
奥の扉が開き、ジョーが現れる。
ジョーは勤務中なのだろうか、いつもの見慣れた隊服姿をしていた。いつものことながら、ジョーがすごく嬉しそうに甘く微笑むから、顔が真っ赤になってしまう。そして、相変わらずかっこいいと思う。
こんなにかっこよくて強いジョーと……結婚するんだ。今まで実感がなかったが、この家に来てから少しずつその状況を理解し始めた。
「アン、俺はすごく嬉しい」
そんな子供みたいな笑顔で言わなくてもいいのに。そんな無邪気な顔をするから、私は何も反論出来なくなってしまう。
ジョーは私に駆け寄り、ぎゅっと手を握る。不意に握られるものだから、どぎまぎして真っ赤になる。
「アンの部屋は、俺の部屋でいいな?」
……えっ!?と驚いたのも束の間……
「団長……それは駄目です」
部屋の奥から騎士が現れ、ため息混じりにそう告げた。その言葉を聞いてホッとしたのも事実だ。ジョーと同じ部屋で過ごすなんてとんでもない。心の準備もまだ出来ていないのに。
ジョーは騎士を不服そうに見るが、騎士も強かった。
「ジョセフ団長、アン様の名誉を守ってあげてください。
それに私は、セドリック様から団長が暴走しないように見張っているよう、命じられています」
セドリック様はチャラチャラしていると思ったが、意外とジョーよりもまともなのかもしれない。
そして、オストワル辺境伯領随一の凄腕ジョーだが、騎士団の中では和気藹々とやっているのだろう。ジョーはこの騎士から、意外にも酷い言葉を浴びせられていた。
そんな様子を見て、なんだかおかしくて笑ってしまう。
ジョーは不服そうに私を見て、拗ねた子供みたいに告げた。
「俺が暴走するはずなんてない」
いや、ジョーは始終暴走していると思うが。だけど、それにも負けないくらい、私だって暴走しているのかもしれない。
「さあ、アン。引っ越しも済んだし、明日からは治療院に行くのだろう。今日はこの家でゆっくり休んだらどうだ?
……俺は夕方には帰るから、一緒に食事でもしよう」
ジョーは私の前に跪いて、手に唇を当てる。こうやって、いちいち騎士みたいに振る舞うのも罪だ。隊服を着ているのもあり、ジョーがさらにかっこよく見えるから。
こうやって騎士の振る舞いをするのに、次の瞬間、
「良かったら、一緒に寝るか?」
なんて、あり得ないことを言い始める。だから私も、
「ねっ、寝るはずないでしょう!!」
なんて抗戦することしかできない。
こうやって必死に抵抗しながらも、もうジョーから離れられないことは知っている。だから、おとなしくジョーの妻となるしかないのだろう。
「行ってきます、アン」
ジョーは眩しい笑顔で立ち上がり、私を抱きしめ頬にキスをする。例外なく顔が熱くなって、胸がドキドキした。
私はもうすでに、身も心もジョーのものだ。
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