27. 彼に見送られ、涙が出ます
出発日の朝……
私は、大勢の人に見送られて馬車へと向かった。歩く私のもとに、私が治療した人々が駆け寄ってくる。
「アンちゃん!元気でね!」
「向こうに着いても、お兄様と元気にしてるんだよ!」
そんな言葉が嬉しかった。
だが、
「アンちゃん!?ジョセフ様と結婚するんじゃなかったの?」
当然、そんなことを聞いてくる人もいる。例外なく胸がズキっとした。
結婚出来ればどんなに幸せだったのだろう。今や侯爵家のものとなった私は、ジョーとの結婚に障害はないはずだ。だが、肝心のジョーがその気がないらしい。結局、私はそこまでの相手だったのだろう。
「結婚しません」
私は苦笑いをして答える。平静に、平静にと自分に言い聞かせながら。
オストワル辺境伯邸の前には、お兄様とポーレット領の騎士、そして、立派な馬車が停まっているのが見えた。馬車になんて乗ったことがない私は、急に侯爵の家族となり、馬車なんかに乗る身分になってしまったのだ。それが信じられなかった。
馬車の近くにはセドリック様と、オストワル辺境伯領騎士団も集合している。
オストワル辺境伯領騎士団の隊服を見た瞬間、どきりとした。きっとジョーだっているだろう。私は最後に、ジョーにどんな言葉を伝えればいいのだろうか。
「あっ、アンちゃーん!」
セドリック様が私に手を振る。私は辺境伯領騎士団を見ないようにしながら、セドリック様の元へと歩み寄る。ジョーを見たら、泣いてしまうだろうから。
「アンちゃんが帰っちゃうなんて、悲しいよー」
セドリック様は相変わらずチャラチャラと言うが、心からは悲しく思っていないだろう。だって、いつものようににこにこ笑っているから。
「今まで、大変お世話になりました。
ポーレット領にもぜひ遊びにいらしてください」
セドリック様に頭を下げる私の横で、お兄様も頭を下げてくださる。
「アンをこの地で暮らさせていただき、ありがとうございました。
それに、僕にアンの存在を知らせていただいて……」
その瞬間、
「あーっ!!」
不意にセドリック様は大声を上げた。その大声が唐突だったため、私は驚いて飛び上がる。私だけでなく、お兄様もビクッと体を震わせた。
それにしてもセドリック様は、どうしたのだろう。
「そうそう、アン。ジョーが寂しがってるよ?
僕はてっきり君とジョーが結婚するのかと思っていたけど……」
唐突すぎるセドリック様の言葉に、また胸がずきんとする。
もちろんジョーと私の間には、結婚するだなんて話は出たことがない。だからきっと、私の自惚れだったのだろう。
「セドリック」
騎士団の一番先頭にいる男性が、イラついたようにセドリック様の名前を呼ぶ。だが、その声を聞いて我慢していた涙がどばっと溢れてきた。
「セドリック。余計なことを言うな」
セドリック様にそう告げるのは、紛れもなくジョーだ。私の大好きなその声を聞くと、必死で耐えていた心が粉々になった気がした。そして、見ないようにしようと思っていたのに、ジョーを見てしまう。
ジョーはいつもの隊服を着て、いつもの剣を腰に差していた。私を見ると、一瞬悲しそうな顔をしたが、普段のクールな顔になる。だけど私は耐えられずに流れる涙を、慌ててハンカチで押さえる。
「アン……」
甘く優しいその声で、久しぶりに名前を呼ばれた気がした。その声で名前を呼ばれると、胸が引き裂かれそうに痛む。
そして、こんな時に限って何泣いているのだろうと思う。ここで泣いてもジョーの負担になるだろうし、こんな時にメソメソしている女は嫌われるだろう。
……嫌われる?私はこんな時になっても、ジョーに嫌われないか酷く気にしているのだ。
なんて執着心が強い女なのだろう。
ジョーはゆっくり私に歩み寄り、いつものようにそっと頭を撫でる。涙を拭いて必死に笑顔を作って見上げると、泣いてしまいそうなジョーと視線がぶつかる。
なんでそんな顔をするの?そんな顔をすると、諦めがつかないじゃないの……
「アン……そんなに泣くと、俺も泣きたくなる」
甘く優しい声で告げるジョー。その胸に飛び込めたら、どんなに幸せかと思う。
ジョーはそっと頬に触れ、泣きそうな顔のまま静かに告げる。
「アン、元気で。
俺はアンに会えて、すごく幸せだった」
ジョーのことを忘れようと思っているのに、これでは忘れられないよ。ジョーは罪な男だ、最後の最後まで私にこんな態度を取って。
「ありがとう。私も……」
胸が大きく鳴る。こんなことを言ってしまったら、ジョーを苦しめるだけだと分かっていた。
だけど、最後に言わずにはいられなかった。
「私も、ジョーのことが大好きだったよ」
見つめ合う私たちに、セドリック様が申し訳なさそうに告げる。
「アン、そろそろ出発しないと、日暮までに中継地に着けないよ」
それではっと我に返った。
ポーレット領の騎士団に囲まれているとはいえ、私は狙われている身だ。時間通りに安全な場所まで辿り着けず、お兄様をはじめとするたくさんの人に迷惑をかけてはいけない。
「お世話になりました」
深々と頭を下げて、開かれた馬車の扉から中に入る。涙でぼやける視界の中で、同じように顔を歪めて私を見るジョーが見えた。
笑顔でお別れしたかったのに、ジョーを見るとまた恋心が動き始めてしまう。私はいつの間に、こんなにもジョーのことばかり考えるようになってしまったのだろう。
隣にお兄様が座り、馬車の扉が閉められる。まるで私の自由な空間が閉ざされたような錯覚に陥る。
窓から外を覗くと、並んでお辞儀をするオストワル辺境伯領騎士団の先頭に、同じように頭を下げるジョーの姿が見えた。
止めどなく溢れる涙をもう拭くことも出来ず、ひたすらジョーを思った。
ジョー、大好きだった。ジョーが駆け落ちしようと言った時、一緒に駆け落ちをしておけば良かった。唯一の家族であるお兄様と暮らせるのは嬉しいけど、ジョーがいない世界は色を失ったみたいだ。
馬車は市街地を抜け、大きな門をくぐる。そして、のどかな田園地帯へと差しかかる。
私がこの地を訪れた時は、ジョーと一緒に馬に乗っていた。ジョーが優しく抱き止めてくれていて、心臓が止まりそうなほどドキドキしていた。
「ジョセフ様が好きだったんだね」
お兄様が遠慮がちに言う。
「僕はアンと暮らせるのは嬉しいけど、アンがそんなに泣かれては辛い」
「すみません、お兄様」
そう告げるのに、涙は止まることなくどんどん溢れてくる。
私は駄目な女だ。ジョーにも、お兄様にも心配をかけて。
「アン……君が望むのなら、オストワル辺境伯領に残ってもいいんだよ」
私はお兄様を見た。涙で霞んで見えるお兄様は、少し寂しそうな顔をして私を見ている。
「ジョセフ様の言葉を待つのではなくて、アン自身が決めないと」
お兄様の言葉にはっとした。
私は、ジョーが何も言ってくれないと、やけになってポーレット侯爵領に帰ることを決めてしまった。だが、本心はジョーと残りたいと思っていた。
そうやって、私が帰る責任をジョーに押し付けていたのだ。
「お兄様……ごめんなさい……」
そう告げた時だった。
不意に外が騒がしいことに気付いた。人の叫び声や馬の鳴き声が聞こえる。
咄嗟に窓の外を見た私は青ざめた。
銀色の鎧のポーレット領騎士団は、馬に乗ったまま剣を構えている。その先には、黒色の鎧を着た騎士たちが同じように剣を構えているのだ。しかも、黒色の騎士団は数の上では圧倒的にポーレット領騎士団に優っている。
そのうち、端の方では討ち合いが始まり、ポーレット領の騎士がどんどん倒されていくのだ。
「お兄様!!」
怖くなった私は、お兄様に身を寄せた。震える私を抱き寄せながら、お兄様は腰に差してある剣に手を伸ばす。
「僕たちは、はじめから狙われていたんだ……」
お兄様は今までの能天気な声ではなくて、低くて警戒するような声で告げる。
「オストワル辺境伯領騎士団があまりに強いから近寄れなかっただけで、ずっと待ち伏せされていたのかもしれない」
オストワル辺境伯領騎士団と聞いて、胸がズキっとした。
オストワル辺境伯領を離れた私はジョーに助けを求められないだけではなく……このまま殺されてしまうのかもしれない。
「アン。これも全て僕の責任だ」
嘆くお兄様に、
「そんなことありません!」
私は告げる。
「私はお兄様に会えて、すごくすごく嬉しかったです。
お兄様と幸せに暮らせると思っていました。
でも、やっぱりジョセフ様が好きなのです」
お兄様は、悲しそうに私を見る。私は、ジョーだけではなく、お兄様にもこんな顔をさせて、駄目な女だ。
「私は、オストワル辺境伯領に戻りたい。それでいて、お兄様も幸せに生きていただきたい。
ですから……必ず生きてください!」
なんと、大ピンチです!
いつも読んでくださって、ありがとうございます!