第3章 ①
この日は想定外な出来事が2つ起こった。
とはいえ、近頃は想定外なことばかりだから、それほど騒ぎ立てるほどではない。しかし悠人にとっては猫が喋るよりも狼狽える事態だった。
1つ目はクラスの女子に話しかけられたことだ。もちろん今までその子と話したことはなかったし、どちらかというと苦手なタイプだった。彼女と一緒にランチをしていた子の内の1人だった気がする。
「ねぇ、君って楽と仲良いの?」
明朗快活な声だった。多分この子は明るくてクラスの中心的な人物なのだろうと思った。そういえばクラス委員長を務めていた気がする。この質問も何の裏表もなく、純粋な疑問なのだろう。
この子は彼女がホームから飛び降りたことも知らないし、悠人が助けたことも知らない。
ただここ最近の二人を見て、訊いてきたのだろう。それなら誤魔化すのはそれほど面倒ではない。
「いや、そんな関係じゃないよ」
「でも最近一緒に帰ってるじゃん」
「それはたまたま帰り道が同じだけだよ」
嘘と本当が入り混じった波風が立たない最適解だ。
「ふーん、そっか」
その子はそれ以上深く追求することはなく、友達の輪に戻って行った。ただそれだけの出来事だ。
問題はもう1つの想定外。それは彼女と下校している最中に起こった。
彼女が右側を歩く。少し後ろにはいつの間にかシンが付いてきていた。
きっかけはたった数秒の沈黙に耐えかねて、苦し紛れに出した話題だった。
「今日、仲良いのかどうか聞かれたよ」
つまらない話題だと思っていたのに、彼女は意外にも食い付いてきた。悠人の顔を覗き込みながら尋ねてくる。
「え、誰に?」
「君といっしょにご飯食べてるクラス委員長の人」
「あぁ、カナだね。それで悠人くんはなんて答えたの?」
彼女の声が弾んでいた。まるで絵本の続きをせがむ子どものようだった。
「帰り道が同じだけって言ったよ」
「ふーん」
彼女は、はにかんだような、それを躊躇うかのような不思議な表情を見せた。
彼女が何を考えているのか、悠人には想像がつかなかった。少なくとも彼女にとっては最適解ではなかったようだ。
「君も聞かれたんじゃないの?」
「うん。聞かれたよ」
「なんて言ったの?」
悠人はぶっきらぼうに尋ねる。それでいて彼女の表情を窺おうとする自分が矮小に思えた。
彼女は少し考える素振りを見せた後に口元に手を当てて、「秘密」とだけ呟いた。
そんなズルい彼女にも、慕情が湧き起こる自分がいることに気付いて、気持ち悪いなと自己嫌悪に陥った。そんな気持ちに背を向けるように、悠人は話題を振る。
「あの子にも伝えてないんだよね?」
「何を?」
「……死にたくなること」
訊いてからこの話題は失敗だったと気づいた。彼女が取り繕った笑顔を浮かべていた。
「そうだね。そんなこと言っても、変に心配させて騒ぎになっちゃうだけだから」
だけど、と付け加えると、彼女は穏やかな表情に戻っていた。
「どうしてだろう。不思議だよね。悠人くんだったら信じてそのまま受け入れてくれるって思ったんだよ」
彼女に指摘されて、悠人は自分でも不思議になった。
彼女の話を聞いた時点で、カウンセリングやら診療を勧めるのが一般的だ。それなのに自分は初めから彼女の言うことをすべて信じて、その可能性を排除した。
おそらくシンから真相を聞かされていなくても、彼女を言うことを疑うことはしなかっただろう。その声の主を探し続けていた。あまりにも盲目的だ。
それほどまでに彼女のことを清廉潔白であると信じ切っていた。これが彼女への不純な気持ちから来るのであれば、これほど反吐が出るものはない。
「買い被りすぎだよ」
悠人は自分のなかの不純を吐き捨てるようにそう言ったが、彼女は照れ隠しだと思ったのかクスッと笑った。
「ねぇ、このあと時間ある?」
「え、うん」
突然の問いかけに、反射的に応じる。この後はバイトだが、まだ時間には余裕がある。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「いいけど、何するの?」
悠人が訊くと、彼女はいたずらっぽく笑う。
「デートだよ」
「え!?」
今日の想定外な出来事、2つ目。
彼女は悠人の噴火のような動揺を置き去りにして、軽やかに歩みを進めた。




