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12 恋の舞台


 鏡に映った自分の姿を見て、満足げに頷く。


「完璧ね」

「せっかくフィスター卿とお出かけでいらっしゃるのに、このようなお姿で本当によろしいのですか? やはり今からでもドレスアップなさっては……」

「それだと私が王女だと周囲に気づかれかねないでしょう?」

「それはそうかもしれませんけれど」


 私の気持ちに反して、着るのを手伝ってくれた侍女のエルザはとても残念そうな顔をする。

 クルトと出かけるからこその男装だというのに。

 おかげでその結果、私は手段のためならば目的を選ばない女になっている。と、先程気づいたところだ。


(出会いを求めて外に出るつもりが、観光優先になってしまっていたわ……)


 仕方ない。出会いは次の機会に期待するとしましょう。

 今はとにかく恋愛の舞台となった街を散策したい気持ちが上に来ていた。自分がデートする際の下見だと思えば無駄ではないはずよ。たぶん。

 改めて鏡の前でくるりと一回転してみる。

 髪は後ろに一つに纏めて結び、念の為に帽子も被っている。キラキラしている装飾品をつけなければ、裕福な商人の息子と言ってもおかしくない服装。靴は歩きやすい編み上げブーツにしたから、余計に平民ぽく見える。

 ちなみに兄はどうやら昨夜は仕事が立て込んでいたようで、自室には帰ってきていなかった。しかし侍従長から兄の子供の頃の服を回収できたので、無事に男装できたのである。

 尚、侍従長から服を手配してもらうのは少々手こずった。

 「どうしても、お兄様の昔の服が欲しいの」と我儘を言って手に入れたので、もしかしたら私は兄の過去の衣類を回収して愛でるほどの兄オタクだと思われてしまったかもしれない。

 よく考えたら、完全に変態である。

 後で兄がどんな顔をするのか、考えるだけで怖い。だから今は考えないようにしていたりする。


「クルトの準備はできたかしら」


 あえて意識を切り替えて、エルザを見た。

 クルトにも変装してくるように命じている。私だけ変装したところで、目立つ白い近衛騎士の制服姿で隣に立たれたら意味がない。そのため彼も着替えに席を外していたけれど、そろそろ戻ってきてもいいはず。

 とても渋られてしまったけれど、「着替えないなら置いていくわ」と脅したら従ってくれた。


「フィスター卿は既にお戻りでいらっしゃいます」


 エルザは諦めたのか深く息を吐き出した。促されるまま、クルトが待つ部屋まで戻る。

 一歩踏み入れれば、着替えてきたクルトがこちらに向き直った。


「これでよろしかったですか?」


 困惑を見せつつ振り返った相手を見て、一瞬ぽかんと間抜けな顔をしてしまった。なぜかクルトも私を見て目を瞠り、息を呑んでいる。

 私の美少年ぶりに驚いているのかしら!?

 それはともかく、てっきり貴族然とした姿で現れると思っていた相手は、完全に平民に混じれそうな出立ちで現れた。

 お互いに数秒絶句した後、先に我に返って口を開いたのはクルトだった。


「お言い付け通り着替えてまいりました。裕福な商人の子の護衛役、に見えていると良いのですが」

「それ以外に見えないわ。なぜそんなに変装が得意なの?」

「侯爵家の人間だとわかると少々困る時がありますから」

「どんな時に困るの?」

「騎士仲間と街に食事に降りる時ですとか。気兼ねなく出かけたい時もありますので」


 素朴な疑問をクルトが諦めきった顔で説明してくれる。

 なるほど。言い寄られたり擦り寄られたりするのが面倒だから変装を覚えた、ということね。

 まさかの意外な特技にエルザと二人で感心してしまった。

 きっちりと着こなしていた制服を地味な色合いのやや着古した私服に着替えて、首元を緩めているせいかラフな印象を受ける。

 しかし腰には剣を差し、立ち振る舞いは騎士然としていて無駄も隙もないからいいかげんには見えない。上着がない分、体を鍛えているのがわかるので、腕の立ちそうな用心棒と言われたらしっくりくる。

 またいつも上げられている前髪が下ろされているせいか、少し幼く見えた。

 前髪がかかるから目の鋭さが少し緩和されて、普段より親しみやすく感じられる。


「トワイリリィ殿下の前で許される姿ではないのですが」

「気にしないわ。むしろ今のあなたの方が好きよ」


 一緒に行動して、白い制服を汚したらどうしようと気にしなくても良いのは助かる。これなら平気で外階段にも座れそう。

 そんな軽い気持ちで言ったのだけど、エルザが両手を組んで何かに祈り出した。クルトは息を呑んだ後、困惑を見せる。

 はっ。平民の服が似合うと言ったようなものだから失礼だったかしら!?


「もちろん、普段のクルトも格好いいけれど」


 視界の端で今度はエルザが胸を押さえた。先程から彼女は大丈夫かしら。

 クルトは目を瞠ってから、微かに笑みを溢した。

 なんだかその顔が少年めいていて、ちょっとだけ心臓が跳ねた気がした。

 まあ、クルトは地味だけど顔は整っているから。そんな風に笑われたりしたら、ついドキリとしてしまっても生物として仕方がないと思うの。

 気持ちを切り替えるべく、ひとつ咳払いをする。


「では、準備もできたので行きましょう」


 変装良し。護衛も完璧。お小遣いも忘れずに持った。使い魔のシーは今日はお留守番。



 いざ、恋の舞台『王女の休日』名所巡りに出陣!



 準備に手間取ったせいか、いつの間にか手配されていたらしいフィスター侯爵家の馬車に乗って街へと降りた。なんて手際のいい護衛騎士なの。

 馬車から降りる時は周りの人目が気になったけれど、案外周囲は私たちを気にした様子はなかった。大通りだから馬車の乗り降りが珍しくないせいもあると思われる。馬車は後で迎えに来る時間を約束したので、すぐに離れていく。

 残されたのは男装している私と、変装しているクルトのみ。クルトは気を張り詰めて見えるけれど、私は目を輝かせた。


(ここが小説の舞台!)


 そして今の私の住む国。

 青空の下、大通りは人で賑わっていた。たまに高級そうな店に入っていく貴族の姿が見えるけれど、ここにいるほとんどが平民だ。日々を堅実に生きていく人達の行き交う道には活気があった。見渡した限りでは人々の顔は明るい。たまに慌ただしく駆けていく子供も元気いっぱいに見える。

 この大通りを小説の中の王女が歩いた時の気持ちが、今ならよくわかる。


「それで、どちらに行かれたいのですか?」

「!」


 感動して立ち止まったままの私が通行の邪魔になっていると察したのか、一瞬さまよったクルトの手が躊躇いがちに私の手を取った。

 手袋越しではない、皮膚と人の体温が触れ合う感触にドキリと心臓が跳ねた。

 だって男性から! 直に手を! 握られてしまうなんて!


(って、クルト相手にドキドキしたらダメなのよ!)


 私は彼の輝かしい未来を守る立場なのだから。その為の男装である。

 周囲を警戒して視線を走らせるクルトを見て、冷静さを取り戻す。ほら、クルトだって今はこんな姿の私を女の子としては見ていないはずだし。これはただの護衛の一環。

 ただ、なぜだろう。

 気を張って周囲を気にする彼の姿が、妙にかつての記憶に被るのは。


(そういえば、前世では周りを警戒して歩くのは日常だったものね)


 そう思うと、なんて平和な世界になったのだろう。

 ……ついさっき、視界の端にネズミ型の魔族が駆け抜けていくのが見えてしまったけれど!

 小型のネズミ型魔族は通常のネズミよりも歯が丈夫というだけである。だが病原菌の媒体となる上に、わざと広める傾向にあるのでタチが悪い。昔から日常に紛れてよく見かける魔族とはいえ、放っておいて増えたりすると後々困る。


(これは大事になる前に片付けたい、けど)


 心置きなく観光する為にも、目につく邪魔者はすべて排除していきたい。

 しかしその為には、クルトの視線を逸らさなければならない。

 通りすがりの通行人の視線くらいは躱せるけれど、クルトのレベルで警戒されているとさすがに難しい。なんとかして距離を取らなくては。不自然でないように、数秒だけで済むから。

 その時、ふと小説の内容が脳裏をよぎった。


(そういえば、ここの大通りの角で王女はヒーローと出会うのだったわ)


 賑やかな通りに心を躍らせた王女が、向かいの道の店に気を取られたまま角を曲がる。そこでヒーローと勢いよくぶつかり、彼を巻き込んで一緒に転んでしまうのだ。

 その時にヒーローは王女を庇って下敷きになるのだけど。

 そのお詫びに、王女は彼にお茶を奢るのだ。だけど世間ズレしていない姿に疑問と不安を抱いたヒーローが彼女の観光に付き合うことになり、という流れになるのである。

 話の内容はともかく、これは使える。

 実はクルトには、小説の舞台になっているから街を見に行きたいとバレてしまっていた。私が街を降りることに渋りまくっていたクルトに、エルザがバラしたので。

 私は恥ずかしいから黙っていたかったのに!

 あの時のクルトの微妙な微笑みといったら。今思い出しても顔が熱くなってくる。

 だけどバレてしまっているならば好都合。


「クルト、ちょっとだけそこの角を曲がったところに立っていてくれる?」


 クルトが私を見下ろして、不審そうに眉根を寄せる。離れるわけにはいかない、とグレーの目が物語ってくる。その気持ちはわかるけれど。

 ぐっと腹に力を入れて、恥ずかしいのを堪えて口を開いた。


「その、小説の中で、主人公がヒーローとぶつかるシーンがあるの。それで、ちょうどそこだから……再現してみたくて」


 恥ずかしさのあまり、どんどん顔が下がっていった。

 小説のヒロインを体験したいと思われたと考えるだけで顔から火が出そう。クルトがどんな顔で私を見ているのか、確かめるのが怖い。生暖かい微笑みを向けられていたら恥ずか死ぬ。

 すると、頭上から仕方ないなと言いたげな溜息混じりの声が降ってきた。


「離れてお待ちするのは3秒だけですよ」

「3秒!? せめて5秒、いえ10秒で」

「5秒です」

「わ、わかったわ。5秒ね」


 顔を上げると、なぜか真顔のクルトと目が合った。

 しかし5秒の自由は勝ち取った。

 離れるのに2秒、魔族を片付けるのに1秒、再びクルトに向かって走り込むのに2秒。完璧だわ。

 角を曲がってクルトを配置すると、即座に回れ右して地面を蹴った。


(1、)


 身体強化を足にかけたので、通常より速く人の合間を駆け抜ける。


(2、)


 人が驚いて振り返るよりはやくネズミ魔族が逃げ込んだ路地に視線を向けた。巣食っていた影の群れに向かって、指先に溜めた魔力弾を容赦なく打ち込む。

 

(3!)


 音もなく、黒い煙となって消える様を見届ける間も惜しい。横目に確認しつつ即座に身を翻した。

 ここでようやく走る私に驚いた周囲の視線が向けられたけど、気にする余裕はない。


(4ッ)


 再び足裏に力を入れて地面を蹴る。角を曲がって、クルトに向かって飛び込む。

 これで5秒!


(あっ! うっかり足に身体強化を掛けたままだった!)


 予定では軽くぶつかるだけのつもりが、思ったより勢いがいい……!

 しかしもう止まれない。二人まとめてすっ転ぶ衝撃を覚悟してギュッと目を瞑った。

 ごめんなさい、クルト。多分あなたを下敷きにしてしまうわ!


「!」


 だけど私が想像した衝撃は訪れなかった。

 正面から顔ごとぶつかることを覚悟していたけれど、それより速く腰を支えられてふわりと体が浮いた。


(えっ?)


 浮いたのは数瞬で、すぐに地面に足がつく。目をパチパチと瞬かせている間に、どうやらぶつかる前にクルトが私を抱えて、体勢を立て直して再び地面に下ろした模様。

 唖然として見上げれば、困った顔をしたクルトと目が合う。


「そこまで慌てていただかなくても大丈夫です」


 あまりにも予想外のフォローされてしまったので、心臓がバクバクと速く強く脈打ち出す。

 なんとなく、小説の中の王女の気持ちがわかりそうになってしまった。



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