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#8 喝采

酒場の熱気が、俺の木製の身体を包み込むように押し寄せてきた。あの常連の懇願に押されて、俺は「みんなの前でやってやろう」と口にした。その一言が、俺の人生における、最も高価な賭けの始まりだった。


シエラは、俺の決断を静かに見つめていた。彼女の瞳には、計算が完了したような、静かな満足の色が浮かんでいた。彼女は、俺が自ら「コスト」を支払うことを選んだのだと理解しているのだろう。俺の「命」が削られることを、彼女は知っている。


「準備はいいか、レン」シエラが尋ねた。その声は、人形の喉から出る、囁きより少し大きい程度の、乾いた音だった。


「ああ」俺は答えた。この人形の体で「ああ」と言うことは、まるで、重い石を喉に詰まらせるような感覚だった。


俺たちは、賭博場の広間へと足を踏み入れた。数十人の常連たちが、既にテーブルを囲み、熱狂的な期待を抱いていた。彼らの顔には、疲労と、それでも諦めきれない「希望」が混じり合っている。彼らは、この場に「運命」という名の物語を求めて集まっていたのだ。


俺は、シエラに促され、広間の中心へと進み出た。俺の姿は、この場においては異質だった。精巧に作られた、しかし感情を読み取らせない木製の顔。それは、彼らの「物語」の文脈に収まらない、異物だった。だが、俺はそれを逆手に取るつもりだった。


「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます」


俺は、人形の口から、できる限り軽妙で、愛想の良い口上を紡ぎ出した。この木製の口は、本来、囁きを届けるためのものだ。だが、俺は、この「異様さ」を、最高の小道具として利用することを知っている。彼らは、この人形が「喋る」という事実自体を、一種の「奇跡」として受け入れてくれるだろう。


「私は、この場に存在する、いくつかの『種』を、一つずつ、解体して見せる者です」


最初のターゲットは、骨で作られた賽だった。テーブルの中央に置かれた、あの均整の取れたように見える賽。俺は、その賽に近づいた。


「この賽。一見、完璧に見えますね。しかし、完璧なものなど、この世には存在しない」


俺は、賽を手に取った。その重み、表面の滑らかさ。俺は、先ほど観察した、指の力の入れ具合と、着地時の微細な振動を、この瞬間に再現するつもりだった。俺は、賽の底面、最も目立たない部分に施された、極めて微細な「重心の偏り」を、指先で感じ取った。


俺は、賽を手のひらで受け止め、ゆっくりと、まるで儀式のように、それを回転させた。そして、意図的に、その偏りを最大限に利用し、賽を床に叩きつけた。


カツン、という音。


賽は、期待されたランダムな着地とは異なり、特定の目、すなわち「六」に強く偏った形で止まった。


広間が、一瞬、静まり返った。そして、すぐにざわめきが起こった。


「なんだ、今の?」

「偶然か?」


俺は、その反応を待っていた。彼らは、この「偶然」を、自分たちの「運命」のせいだと解釈するだろう。


「偶然ではありません」俺は、人形の顔を微動だにさせず、淡々と告げた。「これは、意図された『偏り』です。この賽の底面には、目立たない場所に、微細な重りが組み込まれています。この重りが、特定の目が出る確率を、統計的に操作しているのです」


俺は、賽を割るように、手のひらで強く叩きつけた。骨が砕ける音。そして、重りが転がり落ちる。それは、彼らが「運」と呼んでいたものが、単なる「物理的な操作」であったことを、音と視覚で突きつけた。


割れんばかりの喝采が、広間を揺らした。


「見事だ!」

「なんて巧妙な仕掛けだ!」


俺は、その熱狂を、まるで舞台装置の音響効果のように受け止めた。この歓声こそが、俺が求めていたものだった。8年ぶりに浴びる、生の「舞台の音」。俺は、自分が、この「喝采」という名の燃料を、今、大量に消費していることを、本能的に理解していた。


次に、札だ。俺は、テーブルの上に置かれていた、ランダムな記号が印刷された紙片を手に取った。


「次に、この札。これもまた、物語を語るための道具です」


俺は、その札を光にかざした。そして、特定の角度から、光を当てた。


「この記号の配置。一見、ランダムに見えますが、特定の箇所に、極めて微細な『刻み』が施されています。この刻みは、光の当たり方や、指の圧力によって、特定の記号を視覚的に強調するように設計されている。これは、観客の『選択』を、無意識のうちに誘導する仕掛けです」


俺は、その札を、光の筋の中をゆっくりと動かした。刻まれた部分が、まるで生きているかのように、光を反射し、際立っていく。


「君たちは、自分が選んでいると信じている。だが、君たちの視線は、既に仕掛けられた道筋を辿っている」


再び、喝采。今度は、より知的な、興奮したような拍手だった。


そして、最後の仕掛け。天井の梁だ。俺は、広間の天井を見上げた。古びた木材の隙間。俺は、その梁の裏側、目立たない箇所に、極小の鏡が嵌め込まれているのを発見した。


「そして、最も巧妙なのは、この空間そのものに仕込まれた『目』です」


俺は、天井に向かって手を伸ばした。人形の腕は、重く、ぎこちない。だが、俺は、その鏡の存在を、まるで自分の身体の一部であるかのように感じ取った。


「この梁の隙間に、極小の鏡が埋め込まれています。これは、特定の角度から光を当てた際に、テーブル上の特定の札の記号を、一瞬だけ、客の視界の端に『ちらつかせる』ための仕掛けです。君たちが『確信』を得た瞬間、その確信は、この鏡によって増幅されていたのです」


俺は、鏡を外すように、慎重に、その仕掛けを分解した。鏡が床に置かれる。光が、その鏡を介さずに、そのまま広間に拡散する。


「これで、全ての『物語』は、解体されました」


広間は、完全に静まり返った。それは、後に山村の泉で味わうことになる、息を殺した静寂とは違った。これは、全てが剥ぎ取られた後の、虚無に近い、圧倒的な静寂だった。


俺は、その静寂の中で、自分が何を得たのかを理解した。


俺は、8年ぶりに、この「喝采」という名の、生の舞台の音を浴びた。それは、俺が、この人形の体で、最も渇望していたものだった。俺は、自分が、この「見破ること」という行為に、どれほど依存していたのかを、痛感した。


その時、広間の後方、影の中に、一人の男が立っているのに気づいた。


彼は、他の客とは異なり、熱狂的な参加者ではなかった。彼は、静かに、俺の全てを見つめていた。その襟元には、見慣れない、しかし格式高い紋章が、微かに光を反射していた。


俺は、その男を認識した。それは、俺が、この世界に転移して以来、一度も意識的に注意を払わなかった、異質な存在だった。


だが、俺は、その男の存在を、意図的に無視した。俺の意識は、今、この「喝采」という名の、高価な代償の重さに囚われていた。


俺は、この熱狂の中で、自分がどれほど危険な領域に踏み込んでいるのかを、まだ知らなかった。俺は、ただ、この「喝采」を、貪り続けていたのだ。

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