#21 語っても、黙っても
最初に気づいたのは、宿の断られ方だった。
麓から三つ目の町で、シエラが部屋を頼むと、女将は帳面を見もせずに首を振った。満室だと言った。中庭に馬は二頭しかいなかった。
二軒目も同じだった。三軒目で、ようやく厩の隅を貸してもらえた。
「顔が知られてるって感じじゃない」とシエラは言った。「連れてる人形が、って感じ」
翌朝、答えが分かった。
町の教会の扉に、羊皮紙の写しが貼ってあった。
同じものが、井戸端の掲示板にも貼ってあった。人が集まって、字の読める男が声に出して読んでいた。俺は、シエラの膝の上で、腹話術の人形として、それを聞いた。
*
『各教区長へ。奇跡取り扱いに関する通達。第一項』
『近時、無許可の巡回者が各地の聖跡に立ち入り、これを解体して回る事例あり。南部山間の一村においては、当該者の行いにより巡礼が絶え、村の生計が傾き、療養中の病者一名が死に至れり。当該者は、木の人形の形をなし、若き女を伴う』
読んだ男が、そこで顔を上げて、周りを見回した。誰かが、俺のほうを見た。
『信仰は、貧しき者にとって最後の資産なり。これを奪う者は、盗人と異なるところなし』
——反論できなかった。
一行も、間違っていなかった。
巡礼は絶えた。生計は傾いた。ドレクは死んだ。俺は木の人形で、若い女を伴っている。数字も、順序も、正確だった。ゾラン・ヴァイスという男は、定規を使って線を引く。嘘を混ぜると線が歪むことを、この男は知っている。
俺の悪評は、俺がやったことで出来ていた。
*
第二項は、その日の午後に読んだ。
シエラが、掲示板から剥がれかけていた二枚目を、夜のうちに剥がして持ち帰った。
『第二項。しるしの取り扱いについて』
『すべての演出を一律に禁ずることは、現実に即さず。北方のある教区においては、教区司祭が古き技法をもってしるしを起こし、その寄進をもって孤児十九名の冬を支えたる例あり。当該司祭は、巡回の者より指導を受け、しるしの量を減じ、三年をもって畢わる旨を自ら報告せり』
俺は、そこで、読むのをやめた。
やめて、しばらく動けなかった。
『巡回の者より指導を受け、しるしの量を減ずることとせり。三年をもって畢わる予定』
ヨナスの字だ。
あの男の、几帳面な、線を丁寧に引く字。そのまま引用されている。俺が「正直に書け」と言った、あの報告書だ。
『よって、善き目的のもとに行われ、監督の下に量を定められたる演出は、これを容認す。以下の要件を満たす場合に限る——』
要件が、四つ並んでいた。
一、寄進の使途が記録されていること。
二、量を段階的に減ずる予定が記されていること。
三、期限が定められていること。
四、教区長以上の承認を得ていること。
俺が、ヨナスに言った三つが、そのまま一から三になっていた。四つ目だけが、増えていた。
四つ目が、全部だった。
*
「これ、どういうこと」とシエラが聞いた。
「免罪符だ」と俺は言った。
「……」
「この四条を満たせば、教会は『しるし』を公認する。使途を書け。減らす予定を書け。期限を書け。そして、教区長の判を押させろ。この四つを揃えた仕掛けは、これから、合法だ」
俺は、羊皮紙を見ていた。
「使途は書ける。書くだけならいくらでも書ける。減らす予定も書ける。翌年、事情が変わったと書き足せばいい。期限も同じだ。四つ目の判は、金で買える。——ヨナスは、この四つを全部、正直にやった。正直にやれる男が、一人いた。それだけで、この四条は『実例がある』ことになった」
シエラは、羊皮紙の端を摘まんでいた。
「あなたが黙ったから?」
「俺が黙ったからじゃない」
俺は、そこを、正確に言いたかった。
「俺が黙って、そのうえで、畳み方の手順を教えたからだ」
暴いていれば、あの町の仕掛けは、ただの潰れた嘘として終わった。何の先例にもならなかった。
俺は、暴かなかった。暴かないだけならまだよかった。俺は、あの男に、きれいな畳み方まで設計してやった。使途を記録し、量を減らし、期限を切り、悼まれる形で終わらせる。俺は、あの晩、自分の判断を、ずいぶん洗練されたものだと思っていた。
洗練されていた。だから、型として使えた。
粗雑な嘘は、真似されない。よく出来た嘘だけが、雛形になる。
*
ひと月のうちに、それは形になって現れた。
王都の南、二日の距離にある大きな町で、『泣きの聖母』という新しい聖跡が立った。
俺たちは、そこへ寄ってみた。近づかず、宿場の噂だけを集めた。集めるだけで十分だった。
寄進の額が、掲示されていた。使途も掲示されていた。孤児院の名前が三つ、施療院が一つ。立派なものだ。
『三年をもって畢わる』と、掲示の最後に書いてあった。
そして、その掲示の下に、寄進の受付が並んでいた。受付は、一人あたりの上限を定めていなかった。同じ人間が、何度でも来られた。名を記帳させ、次の月に案内の使いが行く仕組みまで出来ていた。
——一人あたりの上限を決めろ。同じ客を、二度呼ぶな。
俺が、あの降霊術の興行師に言った二つだ。
あの二つは、通達の四条に入っていない。
俺が言わなかったからではない。俺が言ったのは興行師の耳元で、ヨナスの耳元では言わなかったからだ。ヨナスは律儀に、聞いたことだけを書いた。書かれなかったものは、制度にならなかった。
俺の言葉のうち、記録に残ったものだけが、生き残った。
*
その夜、街道脇の納屋で、シエラが焚き火の枝を折っていた。
「ねえ」
「なんだ」
「あの村で暴いたら、罪もない村を壊した異端者になった」
「ああ」
「あの町で黙ったら、大きい詐欺の手本になった」
「ああ」
「じゃあ、どうすればよかったの」
俺は、答えられなかった。
答えられないまま、俺は自分が組んできた分類を、頭の中に並べた。そっと収める。公然と暴く。黙認する。三つのうちのどれか。俺はずっと、この三つのどれを選ぶかが問題だと思っていた。
三つとも、使われた。
三つとも、俺の手を離れた瞬間に、俺の意図とは無関係な形で誰かに拾われた。
つまり、問題は「どれを選ぶか」ではなかった。
俺は、そこまで考えて、そこで止まった。その先に何があるのか、まだ見えなかった。見えないまま、焚き火が小さくなるのを見ていた。
「ひとつ、分かったことがある」と俺は言った。
「なに」
「俺は、いままで一度も、相手が受け取ったあとのことを、自分の仕事だと思ったことがない」
シエラは、枝を折る手を止めた。
「幕を下ろしたら、俺の仕事は終わりだ。芸人はそうだ。客が家に帰って何を思うかは、客のものだ。俺は三十年、そう教わってきたし、それで間違っていなかった」
「ここは、舞台じゃないもんね」
「ああ」
俺は、焚き火の向こうの闇を見ていた。
「客が、家に帰らない」




