#2 腹話術という嘘
夜が訪れ、祭壇の周りを覆っていた埃が、月の光を浴びて鈍く輝き始めた。俺は、シエラが用意してくれた、粗末な毛布の上に横たわっていた。木と金属の体は、冷たい石の床に触れている。この人形の体は、俺の記憶にあるような、柔軟で温かい肉体とは似ても似つかない。重く、硬く、そして、あまりにも静かだ。
シエラは、俺から少し離れた場所で、修理道具の手入れをしていた。彼女の動きは、機械を扱う職人のそれだ。無駄がなく、正確で、まるで彼女自身が、この世界の「からくり」を体現しているかのようだ。彼女は、俺の異様な存在を、まだ完全に受け入れきれていないようだった。その視線には、好奇心と、拭いきれない畏怖が混じっている。
「……シエラ」
俺は、声を出すのに、かなりの集中力を要した。蛇腹と葦笛の機構が、まるで古い時計の歯車のように、軋みながら音を出す。
「……レン」
彼女は、工具を止め、俺の方を向いた。その顔には、警戒の色が濃い。
「俺は……人間だ」
俺は、何度も繰り返した。この言葉が、この木製の口から発せられることが、どれほど滑稽で、どれほど絶望的であるかを、俺自身が理解していた。俺は、日本の病院のベッドの上で、生きたまま、意識だけをここに転送された。実験装置の暴走。その閃光が、俺の存在を、この奇妙な「器」へと押し込んだのだ。
シエラは、何も言わなかった。ただ、俺の全身を、まるで精密機械を点検するかのように、ゆっくりと見回した。彼女の目は、俺の関節の継ぎ目、目元のわずかな動き、そして、この人形の持つ、異様なまでの「完成度」を測っているようだった。
「……どうして、こんなことに」
俺は、言葉を紡ぐのに、膨大な精神力を費やした。俺の知識、俺の経験、俺が積み上げてきた「奇術師」としての全てが、この木製の檻の中で、無力なノイズと化している。
シエラは、静かに息を吐いた。それは、諦めにも似た、深い溜息だった。
「これは……奇跡人形、です」
彼女は、そう言うと、傍らに置いてあった、古びた革装丁の書物を開いた。その書物は、埃とカビの匂いを放ち、まるで何世紀も眠っていたかのような重みを帯びていた。
「この人形は、200年前に、からくり技師組合という集団が作り上げた遺物です。彼らは、機械仕掛けで『奇跡』を作り出し、その仕組みを説明する技術者たちでした」
俺は、その言葉を、まるで自分が舞台の脚本を読んでいるかのように受け止めた。からくり技師組合。俺の専門分野と、あまりにも酷似している。だが、その「奇跡」は、俺が知るような、観客を欺くための「種」ではない。それは、この世界の「真実」そのものを、機械仕掛けで具現化しようとした、何かだった。
「組合は、教会と王権に異端と見なされ、根絶やしにされました」シエラは、淡々と続けた。「この人形も、その弾圧の痕跡の一つです」
俺は、その事実を咀嚼した。俺は、単なる事故に巻き込まれたのではなく、歴史の闇に葬られた技術の残骸の中に、意識を転送されてしまったのだ。
「動力は……」俺は、次の言葉を探した。
「霊晶です」シエラは、書物の別のページを指差した。「この結晶が、人形を動かす唯一の動力源。そして、その消費量は……非常に特殊です」
彼女は、俺の目を見つめた。その視線は、俺に「覚悟を決めろ」と告げているようだった。
「霊晶の消費量は、その真実を何人が聞いたかに比例する。一人に耳打ちするなら、ほぼ無料。だが、村の広場で証明すれば、大きく減る。国じゅうに向けて演れば、使い切る」
その瞬間、俺の脳裏に、あの8年前の師匠・満の顔が浮かんだ。俺が、彼の秘密を、誰の許可も得ずに、舞台上で「種明かし」として暴露したあの瞬間。俺は、満の「語る権利」を、俺の「見破る才能」という名の傲慢さで奪い取った。
「……誰に、どう告げるか」
俺は、その言葉を、人形の喉から絞り出した。それは、俺がこれまで、最も避けてきた、最も本質的な問いだった。
シエラは、俺の言葉を遮らなかった。彼女は、俺の問いかけを、ただ静かに受け止めた。
「だから、喋る人形を連れて歩くことは、危険です。魔女狩りの的になる。教会も、王権も、この『奇跡人形』を、異端として排除しようとするでしょう」
俺は、この世界が、俺の存在そのものを、異端として認識していることを理解した。俺は、この世界の「ルール」に、強制的に組み込まれてしまったのだ。
「では……どうする」
俺は、この状況を、俺の得意な「舞台」に持ち込むしかない。俺は、仕掛けを解体する。俺は、真実を暴く。それが、俺の存在意義だ。
シエラは、一度深く考え込んだ後、決断を下したように頷いた。
「『腹話術人形芸』として旅をしましょう。あなたは、ただの、精巧な人形。私は、その人形を動かす修理屋。誰も、あなたが『思考する奇術師』だとは思いません」
俺は、その提案を受け入れた。種を見抜く者が、自らその「種」の姿を纏う。それは、俺にとって、最も屈辱的で、最も必然的な選択だった。
俺は、動かない木の顔を、精一杯、笑ったつもりになった。
その笑みは、木肌の上で、ただの微細な関節の動きとして現れただけだった。だが、俺にとっては、これが、俺の「口上」だった。この人形の体で、俺は、この世界の「からくり」を解き明かし始めるのだ。
夜が明け、祭壇の埃が、朝の光を受けて、微かに揺らめいていた。俺の旅は、始まった。




