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夢はひとりみるものじゃない  作者: 小林汐希・菜須よつ葉
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エピローグ

「よつ葉、忘れ物はないか?」

「うん、必要なものは昨日のうちから用意しておいたし。書類も全部大丈夫」


 新年度が始まるこの日は、よつ葉だけではなく自分にとっても再出発の日となる。

 復帰日が決まって、一度仕事場に顔をだしたときには、あれだけ迷惑をかけたにも関わらず、みんな「待ってましたよ」と言ってくれていたっけ。

 それでも不安は残る。この約半年の期間で環境も変わっているところもあるだろう。また最初から覚えなくてはならないものも多いだろう。でもそれは最初から想定していたこと。


 通勤時間もそれほど変わらないことから、同じ時間に家を出ることになった。



 駅までの道を歩きながら、ふと昨年の夏を思い出す。


 あの当時、まだ自分は男やもめという存在で、正直に言ってしまえばなんのために働いているのか分からないような状態だった。

 食事を含めた生活は夏の暑さの中でおろそかになり、気がつけば病院のベッドの上だった。


 こんなことならそのまま死んでもよかったのにと、視界に入った点滴を見上げながら思っていた。でも、その時に点滴の袋に書かれている文字に見覚えがあった。この病院で点滴を受けるような処置をお願いした経験はない。


 再び思考を止めて、この先のことを考えていたときに、その点滴の交換に二人の看護師がやってきた。いや、制服が違うから片方は違うのか?


「じゃぁ、よつ葉ちゃん、指示どおりに交換してみて?」

「はい」


 緊張の手つきで薬液の袋を交換している人物の顔をうっすら見たときに、それこそ急激に血圧が上がった気がした。


 そんな……まさか……。でも、それは何年経っていたって、我が子の面影を忘れるようなことはしない。名前を呼ばれていたときに気づけばよかった。


 緊急の処置室から、入院の部屋に移されたあと、ナースコールもしていないのに、その子は何度も俺の顔を見に来た。


「よつ葉だったのか……。何年ぶりだろうな……」

「もう、パパったら。身体のデータめちゃくちゃだったよ……」


 カルテに覚醒したこと、自分で話せた時間などを書き込んで、点滴の様子を見ている。


「おまえ、もう看護師になったのか?」

「ううん、まだ実習中。だから、様子を見に来ただけ。まだ注射1本射っちゃダメ」

「そうか……。でも、おまえは自分の道に進んできたんだな」


 それが分かっただけでも嬉しい。我が家の離婚原因が、娘二人の進路について「あの人」が勝手に決めていた。俺はそんなことよりも本人が行きたい道にいかせるのが親だと譲らずに、仲違いが始まり、結局俺が家を出る形になってしまった。

 そのときに言われていた職業とは全違う制服(当時は実習服だなんて、あとで教えてもらうまで知らなかった)だったからだ。


「いろいろあったよ。でも、パパだけはよつ葉が退院まで担当する。それはさっき決まった」

「もう話したのか?」

「ううん、まだ。でもいつかは話すつもり」

「そうか……。世話になるな……」


 そんな会話を病室でしたのがつい昨日のように思える。

 あれから一冬を越して、古くさい言葉かもしれないが二人三脚でやってきた。

 河西看護師長にもいろいろ配慮をしてもらった。ふつうの入院患者ではまずあり得ないイレギュラーも経験してきた。



 いま、こうやって横を歩いているよつ葉姉妹の親権を取り戻すなんてことは、以前には考えもつかなかったことだ。


「パパ大丈夫? ここから先一人で行ける?」

「よつ葉こそ、方向音痴なんだから迷わないように早く行きなさい。朝から大役が待っているんだろ?」

 先日の職場説明会の時に、なぜか新入職者代表としての決意宣言をすることになったとのこと。そのときの原稿を持ち帰ってきてから、ブツブツ呟きながら家事をしていた数日を思い出す。

「あー、そうだった。もうそれでお腹いたくなりそう……。じゃぁ、また夜にね」


 今日から、あの子の職業資格には看護師という肩書きがつく。自分で選んできた道。それも一筋縄ではなかった壮絶な学生生活を経て、自分で手に入れたものだ。


 ラッシュアワーの人混みの中に、小さな姿が隠れてしまうのを見届けて、自分も久しぶりの通勤路に進み始めた。






「あー、終わったぁ。肩こったぁ」


 夜、昨日までと変わらない光景が部屋の中で繰り返される。

 そう。外での環境は変わったけれども、この私生活環境は変えないと決めていたからだった。



「ただいま」

「おかえりー」

 久しぶりの仕事から帰ってくると、先に戻っていたよつ葉が荷物を広げていた。


「ほらほら、これ本物の白衣。今日渡されたんだぁ」

 わざわざ自分のために持ち帰ってきて見せてくれたのかと思うと込み上がる気持ちがあった。


「あー、でもねぇ。ここ直さなきゃならないんだよ。1着やってくれるなら、ほかのもしてくれればいいのにねぇ」

「ん?」

 パンツタイプの制服が4着。それの裾あげが終わっていない。

「こんなの大したことない。すぐやっちゃうぞ」

 ノルマは一人2着。これを黙ってやっていたらつまらないが、会話をしながらだったら大したことはない。さすがにミシンは持っていないので、手縫いで仕上げてしまう。


「大役お疲れさんだったなぁ」

「もぉ、100人の前で読むんだし、院長も看護部長もいる前だもん。もうガチガチ」

「よつ葉はそういうところ、見抜かれてるだろ。なにしろ実習期間他の新人の何倍やった?」

「でも、それは理由が理由だったし……」


 表向きはそうだ。でも、社会人の差と言うのは規定時間を無事に過ごしたとか、目に見える業績だけで判断されるものではない。人間性や何気ない言葉遣いひとつから出てくる姿勢なども自然に評価されているはずだ。


「本格的な研修は明日から。あー、みんな出来そうな子ばっかだぁ」

「大丈夫。代表までやったんだ。自信持っていけ」

「そっかぁ……。そんなもの?」


 同じゼミから同期が二人いるというから、そういう意味では最初から独りではない。それに、あれだけ延長実習をやったんだ。病院中に知った顔が何人もいる。こんなに最初から職場に慣れている新人などなかなかいないだろう。


「パパのおかげ」

「けがの功名ってやつになるんかなぁ。あ、そうだ。よつ葉に大切なことを忘れていたんだ」

「え?」


 夕食を食べ終わって、片付けが終わったあと。俺はよつ葉と再びテーブルで向かい合った。


「これを渡したかった。ふた葉にも前に渡してある。好きなように使いなさい」


 離婚して家を出る直前、俺は姉妹それぞれの名義で内緒の口座を作り、その通帳と印鑑を誰にも言わずに持ち出してきた。

 どんな職業や進路を選んでも構わない。そのときに少しは役に立てるようにと、毎月とボーナスの時に少しずつ貯めこんできたものだ。


「パパ……」

 通帳を開いたよつ葉の目が大きく見開かれる。


「大学で奨学金を借りてたんだろ? よかったらそれで足しにすればいい」

「足しだなんて……。全部一気に返せちゃう……。いいの? パパのお金だよ?」

「学校を出すまでが親の務めだと思っている。一番大変な時期に一緒にいてやれなかった。毎月学費だと思ってへそくっておいただけだ」

「ありがとう…………。使わせてもらうね」

「その代わり、結婚のご祝儀がまだ貯まっていないが、それまでにはもう少し時間があるだろう?」

「もぉ、そんなの要らない!」


 よつ葉の顔が涙でぐしゃぐしゃになっている。ふた葉の時よりもこの子の方が苦労しているから、殊更なのだろう。


「よし、渡すものも渡した。ようやくすっきりしたよ。明日も緊張で疲れるんだ。先に風呂入ってきちゃえ」

「うん……」


 脱衣所に消えていった娘を見送り、今日もリクエストどおりに同じ部屋に布団を並べて敷いた。


 これから先、あとどれだけこんな時間が残っているのだろうか。寂しい思いをさせてしまった子供たちに、なにができるのか。


 去年の今ごろ、自分の存在すら分からなかった自分。残りの時間はこの二人のために使うのも悪くない。

 そんなことを考えながら、目覚まし時計を確認して窓際のカーテンを閉めた。








 ここまで長いお話にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。

 このお話の製作経緯については、今さら多くを語る必要もありませんが、今回のお話作成については、はじめての大きな冒険と実験をしておりました。

 このお話は基本的にはフィクションで構成されています。しかし、ご存知のとおり、お話の主役でもあるよつ葉さんは、この物語の執筆期間中に見事に看護学生から看護師になられて現在も活躍されています。この事実だけでなく、この70章にもわたるお話の中には、かなりの割合で実際に起きていたこと(よつ葉さんご自身が公表していなかったことを含め。今回は許可をいただきながら、それをベースに練り込んだもの)が多分に埋め込まれています。どこが創作でどこまでがリアルにあったことなのか。そんなことを想像しながら思い返してもらえると、私たちも冒険したかいがあったのかなと思います。

 私の1本作成上最長を記録しました長期連載にお付き合いいただきましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 完結お疲れさまでした。 [一言] いろいろと感慨深いです。 よつ葉ちゃんが看護師になれて本当に良かった。 …… ごめん。思い返すと胸がいっぱいで、ありきたりな言葉しか出てこないね。 幸せ…
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