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パンチ・クラブ
ルールその2:パンチ・クラブでは、闘いの最中に魔法を使用してはならない。
荒々しい拳の風車が、歯や歯で切られた口の中の血を飛ばしながら回転していた。
いずことも知れない、どこでも無くてどこであっても良いような広い地下室が、〈パンチ・クラブ〉の会合場所だった。
ぽつぽつと壁から生えた照明棒に灯された魔法の灯りが、頼りなく拳闘の場面を照らしだしていた。
「おおっ!」
「そらっ!」
拳と靴を履いた足を武器に戦っているのは二人だけではなかった。
一対一、そして肉体と衣服以外の――魔法も含めた――武器使用の禁止。一見したところ、それが彼らの戦いのルールらしかった。
襟を掴んで引き寄せ、一切の遠慮の見られない勢いで頭突きを見舞い相手の鼻をへし折る者も居れば、裾を掴んで引きずり倒す、両手で首を締めて失神させようとする。
何組もの一対一の、決闘じみた殴り合いはただの喧嘩ではなかった。彼らは理由があって殴りあっているのではない。ただ〈パンチ・クラブ〉の会員だから〈殴って〉いるのだった。
彼らの表情には鬼気迫るものがあったが、そこからは憎しみや恨みつらみといったマイナスの感情は感じられなかった。
「ハーッハハ!」
「そら、どうだ!」
笑いながら相手を殴る者。
殴られて痛みに顔を歪めながらも、すぐ立ち直って殴り返す者。
気絶した対戦相手を目にして勝ち名乗りを上げ、開いた口から折れて欠けた歯が覗く者。
そんな彼らを周りに立って眺める少なくない人々。
倒れた相手にやり過ぎな加撃を行おうとしている者と、それを止めようとする観戦者。
この場にいる誰もに共通していることは、彼ら自身が望んでこの場にいて、理由なき殴り合いをしているという事だった。
誰かに強要されているのではない。ムカつくから殴っているのでもない。殺し合いがしたいので無い事も明らかだ。
では何を求めているのだろう。彼らは何を求めて殴りあっているのか。
その答は、闘っている者とそれを終えた後の彼らの顔に書いてあるのかも知れなかった。
彼らの中には人間以外にも、小さいながら頑健な肉体を持つ筋骨たくましいドワーフもいれば、細身で長身、俊敏だが力はそれなりなエルフなども混じっている。
決して他種族に対して気安いとは言いがたいドワーフやエルフだが、ことこの場においては不思議な連帯感とも言うべきものを周囲の異種族に対して抱いているらしく、鉄さびた血の匂いの中で、どこか清々しい色を表情に滲ませているのだった。
闘いを終えた者達には、勝者敗者の別なく賞賛の拍手と回復魔法による治療が行われる。
癒し手の中には、神に見込まれ声を聞くことで神官となった者達も含まれているのだったが、〈パンチ・クラブ〉の者達は互いの素性を詮索したりはしない。一種の秘密クラブめいた、それは暗黙の了解なのだった。
「ナイスパンチ」
「ナイスパンチ」
両方の意識がある場合は、会員たちの決まり文句を口にして互いのパンチを称え合う。
片方、あるいは両方が意識を失うダブルノックアウトも珍しくはなかったが、それらの場合は目を覚ました後で同じ文句を口にするのだった。
そこは外界から隔絶された異様な空間だったが、誰もが外界から開放されたような、晴れ晴れとした顔をしている。
彼らは皆、一人の男の元に集まった会員であり、その会長に当たる男の名は――
■□■□
カノッサ王は「くたばりやがれ」と再び思うことになった。
コナート山に自ら赴き、竜王グルムンドと会見した直後のことだ。正確には、会見の最中と直後の二度だが。
自らの強大さを信じて疑わないドラゴンの皇帝は、いくつかの小国を隔てた先にある国の王の忠告と同盟の申し入れを、にべもなく撥ね付けたのである。
「耄碌したか、カノッサ王も」
そう、あの傲岸不遜な竜は思うのみならず口に出した。もちろん王自身の前でだ。
あの様子では、今を機と見て竜騎兵の一軍をカノッサの領地に送り込んでくるかも知れなかった。
竜王はいつも暇さえあれば己が貯めこんだ莫大な財宝を眺めていたし、同じように暇さえあればその財宝の目方を増やそうと企んでいるのだ。
カノッサの財と、それを生み出す広大な領地を、王が苦境に立たされている時に狙ってきたとしても、おかしいところは何もない。
――まあ、そうなればしめたものだ。
支配下にあるということは、庇護下にあるということでもある。
バルベローとグルムワイス帝国をぶつけ合わせれば、レベル99の真贋の確認にもなるだろう。
外交の最中であえて弱みを見せたのはそういう狙いもあった。
もちろん、帝国が何も動かないというのならそれはそれで良い。その時は、また別の方策を打ち出すだけである。
『乱獅子』には魔法視覚による見張りを強化するよう命じておくべきだろう。特に帝国方面の国境沿いを。
まったく、忙しいことだ。
「耄碌ね……そうしたら引退できるのだがな」
皮肉っぽくそう自嘲して、王はコナート山を後にした。




