3
男は生まれながらにして、病理の鎖に繋がれていた。
無数の汚染物質に汚された空と海と大地の中に生まれた人間として、少数派ではあるが希少でもない、生来の公害病患者。
21世紀から進んで取り組まれてきた環境配慮も、一度進んだ汚染を遥か過去の清浄な時期まで引き戻すことはできなかったのだ。
時代の犠牲者たる男の命を繋いできたのは、皮肉にも生まれた時代が故に発展を遂げた医療技術と、死にたくないという執念だった。
正常な機能を失った体の中身を機械に、生体部品に置き換えることで拒絶反応に苦しみ、それを抑えるために強烈な副作用を持つ薬品の摂取を強制される。
同様の境遇で自殺した人間も多いと聞くが、彼は自死を選ばなかった。
ただ、死ぬのが嫌だったからだ。
誰もが言った。「生まれつきそんな身体に生まれるなんて可哀想に」と。
男も最初はそう思っていた。皆が言うからそうなんだろうし、実際こんな人生望んじゃいないと。
だけれども、ああしかし。
それならば、自分の人生は果たして可哀想なものなのだろうか?
ある日抱いたそんな疑問に、彼の魂は否と答えた。
闘技場の中央で、二人の男が切り結んでいた。
「ぬおおおおおっ!」
裂帛の気合と共に繰り出された大剣の斬撃は、アヤトをして心胆寒からしめる脅威だった。
大剣の腹を素手の甲で叩いて弾き、反発する勢いで横飛びに距離を取る。
これぐらいの真似は、現実世界でも度々やってきたことであった。だから緊張も気負いもなく、それは成功した。
それと同時に、もう片方の手では指を鳴らして十数枚のカードを射出、攻撃後の隙と呼ぶにはあまりに短いその間隙に滑りこませる。
「むうんっ!」
肉体に魔神特効のカードが到達するまでの微かな時間に、5度。大剣を振り、薙ぐようにして全てのカードを跳ね除けて見せたのは、『剣闘士』たるクラウディウスの面目躍如と言ったところか。
だが、そうするために足の動きを止めたのは紛れもない隙だった。
次に召喚され、射出されたカードの枚数は文字通り桁違いの100枚越え。これを見て炎の魔神は冷や汗と共に凄絶な笑みを浮かべて、アヤトの攻撃を迎え撃つべく腰を落として足に力を溜めた。
「〈切札乱舞〉」
「ぬぅ……があああああっ!」
大剣の速度は、もはや音を遥か彼方に置き去りにしていた。
10、20、30、50、76――叩き落とせたのはそこまでだった。残る数十のカードが筋肉の鎧に突き刺さる。
しかし、それは高熱を纏った分厚い天然の鎧であり、それが決着を長引かせた。
「ぐっ、だが、耐えたぞ……!」
「惜しいな、一手遅い」
声は背後から聞こえた。クラウディウスが振り向く間もなく、肩から腰にかけて、先ほどの大剣の剣速すら超えるスピードで滅多刺しにされる。
音の壁を超えたことによる衝撃波が幾重にも巻き起こり、互いを逆方向へと吹き飛ばした。
「がっ……こ、れほど、とは……」
それでも膝を立て、振り向き、血を口の端から流しながらクラウディウスは剣を構え直した。
「決着、で構わないな?」
既に衝撃波を利用して後方に飛び退き、十分な距離を取りながらアヤトは尋ねた。
「異存なし。これ以上は見世物ではなくなります故」
貴賓席で悠然と微笑みながらこの戦いを観覧していたトモエを見上げて、剣闘士は己の役割を誇るようにそう返した。
ヴァンパイアであるにも関わらず、外から差し込む陽の光を浴びても〈日光耐性Ⅴ〉スキルのお陰で平然としているトモエは、魔法通信によって二人の剣闘士に声をかけた。
「迫力があって、中々楽しめましたよ二人共」
「光栄です、トモエ様」
「恐懼の極みと存じ上げまする……!」
優雅に一礼するアヤトと、片膝をついて頭を垂れるクラウディウス。そこには同じ使用人であっても、筆頭家令と剣闘士の身分差が現れているようでもあった。
「やっぱり、現実感というものは大事ね」
呟くようにトモエは言う。
確かに、ヴァーチャルリアリティと銘打たれてはいても、セフィロトは所詮ゲームだった。
風の勢いなどは感じるし、ダメージを受ければほんの少しの痛みも走った。だがそれらはあくまで、『ゲーム的な』リアリティにすぎない。
アヤトはたった今、受け違えれば死ぬような攻撃をクラウディウスと交わし合い、躱し合い、防ぎ合った。
あくまで見世物、剣闘試合と言えども、そのような戦いを現実に目にしたことはトモエもない。
だから、多少は心躍る。そしてそれこそが、二人の闘士への何よりの報酬でもあった。
■□■□
「ガッハッハ、今回はしてやられましたな。我輩の完敗でござる」
「そんなことはないだろう。あの大剣での攻撃がかすりでもしていたら、勝敗は逆だったよ」
戦い終わって、闘技場の地ならしなどをモンスター達に任せ、二人は互いの健闘を讃え合っていた。
「そこを当てさせないところが流石、流石」
小さな樽から直に火酒をあおりながら、またガッハッハと笑う。
クラウディウス・カエサルは、見た目通りに豪放磊落な男であった。
彼を前にすると小さく見えるグラスで、アヤトは同じ酒を飲んでいた。モノクルは外している。酒での酩酊は毒として扱われるらしく、モノクルによる毒耐性付与のせいでまるで酔えず酒を飲んだ気がしなくなるからだ。
そうしてみると、なおさら男同士の語り合いといった風情だが、ただ飲んで喋っているだけではない。
「どうも、近衛殿に比べると我輩の剣には無駄が多いようでしたな」
「まあ、そうだな。十分見事で、底冷えするだけのものだったが」
「宜しければ今後も手合わせと共に教えを請いたいが……」
「もちろん構わない、暇を見て付き合おう。俺も鍛錬はやり直したいと思っていた」
99レベルはセフィロトにおけるカンストであり、特別なクエストを達成して限定スキルを解放するなどしない限りは、それ以上能力的に成長する余地はないと言える。
「おお、ありがたい」
だがそれは、この影知世界においてもアヤト達に成長の余地が皆無であることを意味しない。
ステータスに現れない剣を振るう技術、敵の攻撃をいなし、受け流し、躱す効率的な動作。戦闘におけるあらゆる知識――これらは確実に磨けるものだ。そのことは、アヤトが現実の技量をキャラクターの能力に加算して振るうことが出来た事実からも示されている。
つまり、レベルがもう上がらないとしても、今より強くなる事は可能なのだ。
二人は、互いに先ほどの剣闘試合について技術的な、あるいは肉体的能力の差とその活かし方についてなどの意見交換を行い、それぞれの糧にしようと試みているのだった。
ダアトにおいて最強クラスの戦闘力を持つ彼らが何故そのような事をしているかといえば、同格、もしくは格上の敵といずれ相対することを想定しているからである。
主人たるトモエが、それを狙っている節があるのだ。故に備えていなくてはならない。アヤトやトモエと同じようにダアトに転移してきた99レベルプレイヤーの存在に、はたまたこの世界に現住する未知のハイレベル・エネミーに。
先ほどの試合でわかったことは、技術的な面ではアヤトが勝るが、単純な筋力ではクラウディウスが優っているということだった。
試しに互いの手と手を合わせての押し合い引き合いをしてみたところでは、クラウディウスの膂力の前にアヤトは為す術がなかった。単純な力比べに近い取っ組み合いでは、やはり大きく、重く、力強い炎の魔神が有利なようだ。
逆に言えば、筋力差という単純にしてこれ以上ないほどの優位性をひっくり返すほどの技量を、アヤトが持ち合わせているということでもある。これはカードを射出するという飛び道具がなくても、おそらくは同じことだ。
現実世界の生身で、このクラウディウスと戦えばおそらく肉体のスペック差がありすぎて負けるだろう。しかし今この場ではアヤトのほうが優位であり、この世界での強さこそが今は重要なのだった。
ひとしきり、意見と経験知の交換を済ませると、二人は別れて互いの仕事へと戻った。
クラウディウスはより見応えある試合を主人に捧げられるよう鍛錬に。
アヤトは主たるトモエの側に付く。
その為に、彼は忘れずにモノクルを左目に嵌め直した。
こうする事で、体中に回った酒の毒は綺麗に消え去り、酩酊感は消失する。
さて、今日は一体どんな無体をされることやら――




