2
「わたくしのターンね。選挙の開催を宣言するけれど、対立候補は?」
「……立候補はしません」
「同じく……チク、タク」
「うー、アタシも無理です」
テーブルを囲んでいるのはトモエの他にアヤト、チクタクマン、そしてクースだ。
何枚かのカードをその手元に置いて、小さな孤島を発展させていくボードゲームに興じているのだった。
現在は孤島の大統領というゲーム上有利な立場にあるトモエが、数ターンに1度義務となっている選挙を開催したところだ。
「あら、誰も立候補しないのね。それなら選挙なしでわたくしが島の大統領に当選――」
「お待ちを。伏せカードの『意外な立候補者』を発動します」
アヤトが場に伏せていたカードを表にして宣言した。
「これで選挙自体は行われますので、トモエ様は支持者カードを全てオープンして下さい」
「ふうん。まあいいわ、支持者カードは4枚、人数は合計260人よ」
10人、50人と書かれたカードが1枚づつ、そして100人が2枚。
それを見てアヤトは顔をしかめた。
「100人カードが2枚ですか……トモエ様、〈神の見えざる手〉のスキルを使っているのではありませんか?」
「まあ、ちょっと自分が不利だからって主人をイカサマ師呼ばわりするの、この従者は」
そうは言っても、確認する方法などないのでプレイヤーの良心を信じる他ないのだが、トモエにそんなものは無いとアヤトはよく知っていた。ラック値を操作するスキルの使用を彼女が控えているかは甚だ疑問だ。
「申し訳ありません、言い過ぎました。どれほど疑わしくとも疑わしきは罰せず……でしたね」
「引っかかる言い方をするのね」
トモエはおかしそうに忍び笑いを漏らしながら言った。
「トモエ様が嘘吐きであるのは今に始まったことではありませんから。たとえばカノッサ王国に関しても」
「王には嘘など吐いていないわよ。今のところは」
カードを繰り、コマを動かしてゲームを進行させながら会話する。
「では真実を話さない、と言い換えましょう。カノッサは生かすことなく殺すこともない、そういった方針で良いのですね?」
「お前のようなグズでも、たまにはわたくしの考えにたどり着くのね……ええその通り、カノッサには今のままでいてくれないと困ります」
『現状維持』のカードを表にして場に出すトモエ。
それに対してゲーム内で立法府長官の地位にあるクースが『対抗法案』を出す。
「つまり、カノッサを我々に対抗しうる脅威の呼び水にする。そう理解しましたが」
「言われなくてもわかっているのじゃない、アヤト。いつもそうなら良いのだけれど」
自身の有利を不動のものにするカードの発動を妨害され、トモエはしぶしぶ『現状維持』を捨て山に置く。
「わたくしたちに対抗できる武力、知力、あるいはそれ以外の脅威をカノッサに用意させる。だから、生かさず殺さずよ、いいわね?」
追い詰めすぎれば抵抗する気力、体力が残らない。
かといって赤子をあやすように安心させていては抵抗する気が湧いてくるまい。
支配への慣れを生み出してはいけない。反発し、反抗し、バルベロー空中庭園をいつか出し抜くというつもりでいてもらわねばトモエは困るのだ。
そして内心はどうあれ、主人が困るような状況は作らないのが従者の勤めでもある。
「かしこまりました、トモエお嬢様……それはそれとして『買収工作』でトモエ様の100人の支持者を奪います」
「まあ、お行儀の悪い従者だこと」
「これはゲームですから」
本気でやるからこそ遊戯は面白いのだ。
そのことは、トモエも承知している。だからこそカノッサという国で遊んでいるのだ――本気で、弄んでいるのだが。
■□■□
城に帰りついてから、王は口を開いた。
「毒婦だな」
「トモエ殿が、ですか?」
吐き捨てるような王の言葉に、イザベルは問うた。
「うむ。あれはいかん、比喩抜きで人を狂わす女だ。魂が腐れ果てている」
「確かに危険な人物ですが……私にはどうもそこまでには感じられません」
彼女の戸惑うような言い方に、国王は頭を振った。
「だからあの女は危険なのだよ、マルヴィン団長」
「私はもう団長ではありません、陛下」
「そうだったな、今はな……」
近々元の地位に引き上げるつもりだが、こちらの女は妙な所で頑固だ、父親に似たか――そんな思考と共に彼は言葉を切り替えた。
「声が、言葉が、人を安らがせる。蕩けさせる。一国を強引に支配下に置けるような人間がだ、これが危険でなくてなんだと言う?」
「それは、確かに」
言われてみればそうだ。しかしイザベルはそんな当たり前のところにも先ほどまで気づけなかった。
危険だというのは、正にそこなのだと彼女も理解した。
「おまけに、どれほど見目麗しくとも、隠しきれん悪臭があった。腐臭だよマルヴィン、わかるか」
「は……未熟ゆえ、そうした部分は感じ取れませんでしたが、仰りたいことはわかります」
「アレは遊びのためにすら手段を選ばん女だ。此度の事変でカノッサの人間が一人も殺されなかったのは、そういう風に遊んでいたからに過ぎんのだろう」
思い出してみても寒気がする。
何もない、空虚で空っぽな人型に、本来人としてあるべきものの代わりに汚泥が詰まっていたのだ。
傾城傾国に罪なしと、賢人は言う。美姫に狂わされる男が悪いのだと。
トモエは違う。美しさも武器にするだろうが、それのみによって国を傾けるわけではない。意図して、謀略を以って城を、国を傾ける悪姫だ。
「無論、奴らに対して手は打つ。マルヴィンよ、そなたの進言も入れて他国との同盟も視野に入れた軍備増強をな」
「はい、それがよろしいかと」
イザベルは頷きで答えた。
それは言うほど簡単なことではないだろうが、隷属国家としての暗い未来を防ぐためには必要なことだ。
「人材も探さねばならんな。そなたを上回るほどの実力を持つ武官を早急に探し求めたい、協力してくれるか」
そして王は承知の上でさらなる難題をイザベルに課した。
「……謹慎中の身なれど、王命とあらば是非もなく」
「では頼む。国内外を問わず探しまわるように、必要な物があれば申請するが良い。余の権限で可能な限り用立てる」
「かしこまりました」
イザベルは軍人式の礼をとって王命を受諾した。
容易なことではないだろうが、さりとて希望がないわけでもない。
あれほどの力を持った〈界渡り〉の出現が、トモエ達だけとは思えない。
他にも同等の力を持った者達が世界を渡り、このダアトのどこかに姿を現している可能性は、決して低くない筈だ。
とすれば、必ずどこかで噂になっているだろう。
まずはそこからか――イザベルは初動の方向性をそう見定めた。