第三幕 1
第三幕 1
露出狂二人の襲撃に遭い、俺が嘔吐した翌日の朝。
ライライとヴィリオーネはこっぴどく叱られたらしく、この世界に来て初めて、俺は血圧の急上昇しない朝を迎えた。
部屋が静かなのは、人が動き出すには早い時間というのもあるだろう。窓の外には未だに夜の気配がうっすらと残っていた。
あなたは異世界の王子なんです!
ありがたくも何ともないその事実を知らされてから、俺も自分なりに色々考えていた。
オリネラさんの子供が無事に生まれれば、その子こそ正統な王位継承者だ。
さすがに胎児では三週間後に迫ったフィアンマ国との会談に間に合わないため、そっちは別に手段を考える必要があるが、お腹の子を王に据えれば、晴れて俺は自由の身だ! 子供が大きくなるまでの間はオリネラさんとか、国の政治家とか、そういったお偉方がどうにかするだろう。
……少しだけ無責任だと罪悪感を抱かないでもないが、よくよく考えれば俺は、ロレンツォを中心としたテュルクワーズの連中の身勝手に巻き込まれているだけだ。
だいたい国民も、俺みたいなポッと出での、この世界のことを何も知らない無知野郎を持ち上げるより、ロレンツォの子供というきちんとした肩書きを持っている者の方が、よほど気持ちよく持ち上げられるというものだろう。
となれば、立ち向かうべき残りの問題はあと一つ。ありがた迷惑にもロレンツォが用意してくれたという、五人の妃候補たちだ。そのうち四人と知り合ってまだ三日だが、俺の対女我慢メーターはとっくに限界を振り切っていた。できることなら今すぐにでもこの城から出て、普通の村人Kとして生きていきたい。
午前中に俺の部屋を訪れたのは、朝食の準備ができたと知らせてくれたメイドさんだけだった。
午後もこのまま心穏やかに過ごせるよう、二度ほど神仏にお願いしたのだが、宗教が違うのか、はたまた各地に存在するという精霊に祈るべきだったのか、残念ながら俺の願いは叶わなかった。
「リセイさま、昨日はごめんなさい」
ドミニカさんとイザベルさんと一緒にやって来たライライは開口一番、そう謝罪した。ぺこりと頭を下げたあと、叱られた子犬のごとき上目遣いで俺を窺い見る。
「いや、俺も大袈裟に反応しすぎたよ。でも、金輪際あんな真似はしないでくれ」
「うん、わかったー!」
全然分かっていなさそうな破顔に、今後も俺の受難は続きそうだと気落ちしたとき、人数が少ないことに気づいた。
「ヴィリオーネはどうしたんだ?」
昨夜、ニューハーフと判明した金髪の姿がないことに違和感を覚えるあたり、俺も妃候補たちに毒され始めているのかもしれない。
「ヴィリオーネはフィアンマ国との会談に先んじて、今朝彼の国へ向かったのじゃ。あやつはああ見えて、テュルクワーズでも三指に入るほどの火炎言霊術の使い手じゃからのう」
「お別れもなしとは意外だな」
過剰なスキンシップを好むヴィリオーネのことだ。「寂しくて死んじゃうかもしれないわ」なんて言って抱きつきかねないから、俺としては顔も会わずにお別れしたことはありがたいが。
「……逃げた」
ボソリと呟いたドミニカさんに、イザベルさんも同調する。
「顔を合わせづらかったのじゃろう。言動はああじゃが、繊細な一面もあるからのう」
「それでね、今からリセイさまに言霊術を見せようと思うの!」
茶色の瞳に綺羅星を散らせて、ライライが前後の繋がり不明な提案をしてきた。
「それで、っていうのがどこと繋がるのか不明だが、見せてくれるならありがたいよ。一度見てみたいと思ってたから」
「なら、すぐにお庭に来てね!」
「……待ってる」
言い残すと、ラインハルト姉妹は小走りに去って行った。
「どこに行ったんだ?」
目的地は同じなのだから、一緒に行けばいいのに。いや、別にそうしたいわけじゃないけども。
「仕上げをしに行ったのじゃろう。ラインハルト姉妹の使う言霊術はちと特殊じゃからな。妾は基本五属性を使えるから、これといった準備は必要ない。――リセイ殿、こちらじゃ」
歩き始めたイザベルさんと一定の距離を保って、俺も後に続いた。
「イザベルさんも、言霊術を見せてくれるんですか?」
「ふふん。楽しみにしておくとよい」
サファイアブルーの瞳を細めて、イザベルさんは得意そうに笑った。
城の周囲に広がる森は魔女が住んでいると言われても納得できるほど鬱蒼としており、中心に据えられた城の偉観たるや、まるでシンデレラに出てくる城のごとき厳粛さをもって、魔女の森を威圧している。
ラインハルト姉妹がいたのは、測ったようにくるぶしの高さに切りそろえられた庭だった。二十五メートルプール二面ほどの広さのそこは、よく日が照り、森から吹いて来る風によって絶好のリラクゼーションスポットとなっている。お茶と本を持ってひなたぼっこでもしたらとても気持ちがよさそうだ。
しかし、そんなのどかな景色とは真逆の、物騒な人影がちらほら見えた。
紺の生地にターコイズブルーの線が入った、軍服らしき格好の男たちだ。腰に巻いたベルトには剣が吊るされ、ものものしい雰囲気で周囲を警戒している。
今まで兵士を遠目に見かけたことはあったが、こんなに近くで見たことはない。自分たちを守ってくれているのだと分かっていても、刃物を持った人物が近くに、それも見える限りでも五、六人いるというのはやはり緊張した。
「どうかされましたか?」
兵士の一人と話していたアレクさんが、用事が終わったらしく俺たちに近づいてきた。
「ずいぶん仰々しい警戒じゃのう。妾たちがおるのじゃ、万に一つの事もあるまいて」
「そういうわけにはまいりません。リセイ様もそうですが、イザベル様やラインハルトご姉妹も守らなければならないのですから」
仮にも王子の妃候補となっているのだ。あまり意識していなかったが、彼女たちの身分もそうとう高いに違いない。だが、俺たちの方に警備を回しても大丈夫なのだろうか?
「あの、オリネラさんの方は大丈夫なんですか?」
今も自室に籠っているオリネラさんの警備が薄くなったりしてないよな?
「ほら、そなたが兵など置くから、リセイ殿が無用な心労を負っているではないか」
「その、申し訳ありません。ですが、心配される事は何もありませんよ。ここも、オリネラ様のところも、ネズミ一匹通さない警戒態勢ですので」
いや、そんなに警戒されると、何か良からぬことでも起きるのかと、逆に心配になるんですけど……。
「ほんに、ミゴール卿は心配性じゃのう。昨日なぞ、城内から蟻の子一匹残らず排する勢いじゃった」
呆れるイザベルさんの前で、アレクさんは「申し訳ありません……」と萎縮した。
俺が言える立場じゃないかもしれないが、とことん押しの弱いにーちゃんだ。……なんとなく、ちょっとガラの悪い男たちに「おい」と声をかけられて、「ヒィ! す、すいませんすいませんすいません」と謝り倒していた父さんを思い出す。ちなみに男たちはちょっと道を訊ねようとしただけだった。
父さん、元気にしてっかなぁ。
「みんなー、準備できたよー!」
俺のセンチメンタルな感傷を、ライライの一声が吹き飛ばした。棒切れ片手に、ウサギのようにぴょいこら飛び跳ねて両手を振っている。
「これは……なにをするつもりなのじゃ?」
掘り返された地面を見ていたイザベルさんが、推測を諦めたように頭を振って姉妹へ訊ねた。
「これはねー、雪をふらせるジュツなのっ!」
思わず空を見上げる。突き抜けるような青い空と入道雲を見る限り、季節が冬でないことだけは確かだ。燦々と降り注ぐ陽光はむしろ逆の、夏を主張しているように思えるのは俺だけじゃないはず。
「今って夏だよね?」
だが、そんな疑問を持ったのは俺だけで、あとの二人は別の部分に疑問を抱いていた。
「大気から氷の結晶を作るつもりか?」
「しかし、拝見したところ、これには水精霊の力を借りる言葉がないようですけれど……」
眼鏡のブリッジを押さえながら地面を眺めるアレクさんにならい、俺も視線を下げる。
棒で掘られた地面には、線や円が描かれており、合間には辛うじて記号に見えなくもない物も刻まれていた。だが、丈が短いとはいえ、生い茂る草花のせいで俺にはペンの持ち方も知らない幼児の落書きにしか見えない。マンガやアニメであるような、いわゆる魔法陣にも到底見えなかった。
「違う……時空の精霊に、お願いしてる……」
時空!? たかが雪を降らせるために、ずいぶん大それた単語が出てきましたけど!?
「おねぇちゃん、いっくよ~!」
俺たちの前に立ったドミニカさんが無言で右手を振って妹に応える。
ドミニカさんの正面、二十メートルほど距離を取って立っていたライライがしゃがみ込み、両手で水をすくうような仕草をした。
「……我ら、季節乙女の祝福を受けし者」
ドミニカさんがそう呟いた途端、幾条もの光が、輝く軌跡を残して天へ向かって翔上がった!
光の軌跡を柱として、水膜のようなものが展開される。
「なんだこれ!?」
未知の現象に囲まれ、俺は意味もなくその場で三回転。
「ご心配には及びません、これは術の効果範囲を定める結界です」
それで俺が安心すると思うのか? こちとら、結界なんて言葉を聞いたのは夕方に流し見していたアニメぐらいなんだぞ!? 当然、結界に囲まれるのなんて人生初だ!
アレクさんが結界と呼んだ膜は、シャボン玉のようにふんわり揺らめき、表面では七色の光が泳いでいた。呼応するように地面へ描かれた落書きが発光し始め、しばらくすると役目を終えたといわんばかりに、端から光の玉となって空中に霧散していく。
「砂時計?」
いつの間に現れたのか、結界に囲まれた二十メートル四方の空間の中央に、半透明の巨大な砂時計が浮いていた。その周りを、手のひらサイズの羽の生えた小人――ピーターパンに出てくるティンカーベルに似ている――が飛び回り、彼らの巻き起こす見えない気流に煽られるように、砂時計は上下左右に不規則に回転している。
「ホーライが見えるのか?」
「ホーライ?」
「季節が正しく移り変わるよう働きかける精霊じゃ。それぞれ花を手にしておるはずだが、どうじゃ?」
言われて、眼鏡のつるを押さえながら目を凝らして見ればなるほど、小さすぎてぱっと見では分からなかったが、精霊たちは様々な種類の花を持っていた。
「持ってるけど、それがなんなんだ?」
「さすがは、リセイ様です」
声が微妙に震えている気がして視線を転じれば――やっぱり。長身の美丈夫はツゥーと涙を流していた。
「本来、術の発動に伴う精霊の現出は術者本人にしか見えないもの。それを見ることができるのは、あなた様がこの世界の神から寵愛されている証であります……!」
普遍的一般人Kを目指す俺には、見えてはいけないものだったらしい……。
感極まって顎を震わせるアレクさんに、イザベルさんが「ほんにぬしは涙脆いのう」と嘆息しつつもハンカチを手渡した。
「も、申し訳ありません……」
恐縮しきった様子でハンカチを受け取り、眼鏡をズリ上げて涙を拭うアレクさん。
聞いたところ、アレクさんはテュルクワーズ国の執務官の一人なんだそうだが、こんなので職務をまっとうできるのかどうか、非常に疑問だ。
「ホーラ・ケイモーン!」
ライライが叫ぶと同時に、回り続けていた砂時計がピタリと止まった。踊るように舞っていた精霊たちも動きを止め、おかしそうに口元に手を当てて羽をパタつかせている。
彼らの声が小さ過ぎるのか、あるいは、人間とは違う言語を話しているのか。くすくす笑いのような囁きのあと、人間でいうところの「わーっ」といった声を最後に、徐々にその姿が薄れていった。同時に砂時計もフェードアウトしていき、完全に見えなくなる。
「寒っ」
途端、押し寄せてきた冷気に、俺は身を震わせた。吐いた息が蒸気のごとき白霧へと変わる。
「――驚きじゃ。ここだけ時間を冬に戻したのじゃな?」
「……そう」
無感情に頷いたドミニカのさん朱色の頭に、雪の欠片が落ちてきた。それを合図にしたかのように、次々と雪が降ってくる。
「どっから降ってきてるんだ、この雪?」
「あのねっ、だんだん暑くなってきたから、リセイさまに涼しくなってもらおうと思ったの! それで、ジクウのせいれいにおねがいして、ここだけ、冬になったの!」
「……この空間だけ」
妹の言葉を引き継ぎ、ドミニカさんが結界をなぞるように細い指先を一周させた。
「今年の冬……」
それで補足を完遂したつもりなのか、どことなく誇るような、満足そうな表情で俺を見る。
「へぇ……そうなんだ。スゴイヤ二人とも!」
いや、理屈はさっぱり分からないけど。
半分投げやりな俺の賛辞に、それでもライライは「リセイさまにほめられたぁ~!」と姉に抱きつき、ドミニカさんも微かに頬を緩めて妹を抱きしめた。
寒さからだろう、二人の頬も鼻の頭も少しだけ紅くなっている。
「うむ、妾も負けておれんな」
急に冷え込んだせいで涙が凍ったアレクさんの悲鳴を背中で流し、イザベルさんが一歩前へ進み出た。
短く何事か呟きながら両手を指揮者のように振るう。おもむろに、イザベルさんの両手に淡い水色の光が灯り、彼女の二の腕から先を覆った。
「イエロ・フォルマ」
空中で見えない糸を織り上げるような動作をしたあと、イザベルさんは作りあげた光球を天へ放り投げた。
結界と衝突する前に、光球は花火のように爆ぜ散る。
四散した光の欠片が雪に交じって落ちてくるにつれ、大気中の水が次々と凝縮していき、幾つもの氷の種となった。氷の種は瞬く間に成長し、冷蔵庫よりも巨大な氷塊へと成長する。
「いい氷じゃ」
夏生まれの氷へ向けて、イザベルさんは職人みたいなことを呟いた。
「さあ、仕上げといこうかの」
再び顔の前に手を掲げ、指揮者が演奏開始を告げるかのように一気に降り下ろす。同時に、氷塊が高い音をたてて削れ、切り離された氷の欠片は一瞬で極小の氷晶となった。細氷は陽光を受けて、小さいながらも鋭く輝き、白い点の明滅が幻想的なベールとなって氷塊を覆い隠す。
氷塊が見えなくなってもイザベルさんの指揮は止まらなかった。彼女のしなやかな手は、時に蜂のような細やかで不規則な動きを素早く行い、時に空気を撫でるように優しく緩やかに中空を舞う。手の舞いに合わせて鳴り響く氷の削れる音も相まって、その迫力たるや、ライライたちの持っていた棒を渡して交響楽団の指揮をお願いしたくなるほど凄まじい。
「――完成じゃ」
それまでの荘厳な印象から一転して、イザベルさんは腹を満たした獣のような、思わずこちらが三歩後ろに下がってしまいたくなる笑みを浮かべた。
「――すげぇ……!!」
だが、現実には、俺は下がるどころか前に出てイザベルさんの隣に並んだ。一層鋭さを増した冷気が肌に突き刺さるが、そんなことどうでもいい。
目の前に作りあげられていたのは、とてつもなく大きい氷像だった。北海道の雪祭りにも劣らないほどデカイ。今にも地を蹴って飛び上がりそうなペガサスの背には、挑みかかるように天を見据える少女が乗っている。彼らと相対するのは、巨大な翼を広げて臨戦態勢をとっている一羽の怪鳥だ。その鍵爪や嘴は俺の手や頭より、なお大きく、獲物を狩り取る寸前のように凶悪に開かれている。
氷を削って作ったというよりはむしろ、生物を凍らせたと言われた方が納得できるほど精巧に作られており、いつ動き出してもおかしくないほどの雄烈さに満ちていた。三体とも透明なはずなのに、少女の波打つ髪は金色に、ペガサスのくの字に曲がった羽は純白に染め抜かれ、対する巨鳥は黄色い眼で敵を睨み付けている――といった具合に色が見える。
「……素晴らしい……! 僭越ながらわたくし、今まで何度かイザベル様の作品を拝見させて頂きましたが、これは、あの天上の摩天楼に比肩する壮麗さと絢爛さでございます! まさか、イザベル様の氷像をこのように間近で拝見することができるとは……身に余る光栄です……!」
イザベルさんの氷像を手放しで賞賛するアレクさんだったが、うっかり涙ぐんでしまい、再び眼球に襲いかかった冷たい痛みに悲鳴をあげた。だが、氷像に魅せられた俺にアレクさんを気遣うという考えは浮かばない。
「こんなにデカくてすごい氷像を見たのは初めてだ!」
どれだけ見ても飽きない、それどころか、見れば見るほどその魅力に引き込まれてしまう。
「本当にすごい!」
賞賛の言葉は色々浮かぶのに、口にできたのは小学生のように稚拙な言葉だけだった。すごいの連発ではあんまりだろうと、咄嗟に思い浮かんだ単語を口にする。
「すごく綺麗です!」
瞬間、イザベルさんは面食らったように瞠目し、頬を紅潮させた。肌が白いため熱の侵食は隠しようもなく、耳まで真っ赤になる。
「あ、ありがとう、なのじゃ……」
尻すぼみ気味にそう言うと、イザベルさんは自らが作り上げた氷像に近づき、ペガサスの胴に手をついた。愛おしそうに三体の彫刻を眺め、普段より血色のいい顔に得意満面の笑みを浮かべる。
「これほど大きい像を作れたのも、ひとえにラインハルト姉妹の言霊術のおかげじゃ。それに、夏の陽射しを受けることができるからこそ、通常の何倍も美しく輝くことができる」
「イザベル様は一流の芸術家でもあらせられるのですよ」
眼球の危機から脱したアレクさんが、教えてくれる。
となれば、先程俺がイザベルさんを職人みたいだと思ったのもあながち間違いではなかったというわけか。
「イザベルさん、ありがとう。こんなにすごいものを見せてくれて。ライライとドミニカさんも! ありがとう!」
氷像の鑑賞を終えて、離れた位置で雪だるまを作っていた姉妹に、声を張り上げて感謝を伝える。
姉妹が歓声を上げて、ライライはイノシシさながらに、ドミニカさんは控えめながらも飼い主に寄る猫のように近づいて来るかと思ったが、雪だるま作りに夢中なのか、彼女たちはその場から動かなかった。
「どうしたんだ?」
不審にも、姉妹は結界の外を見つめたまま身動ぎ一つしていない。
「どうしました?」
珍しく、声音に鋭いものを含ませてアレクさんが訊ねた。しかし相手は姉妹ではなく、いつの間にか彼の後ろに出現していた兵士だ。
「はっ、外の見張りより連絡がありまして、森の中を本城へ向けて進行してくる一団あり、とのことです」
紺色の衣装を着た兵士は片膝を地面に付けてアレクさんへ報告する。
「どこの者ですか?」
「王都より派遣されて来ました、フィアンマ国との会談のための護衛団です」
「……まさか、こんなに早くいらっしゃるとは……」
兵士の報告を受けたアレクさんが苦い顔で呟く。
「なんかよく分からないけど、王都ってこの国のか?」
「左様でございます」
「だったら味方じゃないのか?」
「敵、というわけではありません。ただ、今は色々と時機の難しいときなのです……」
言葉を濁すアレクさんへ詳細を訊ねる前に、ライライの上げた歓呼が俺の注意を逸らした。
「エスターだぁ!」
颯爽と森の中を駆ける白い影が遠目に見える。それが白い馬で、その背に一人の少年が乗っていると俺の視力でも分かるようになった頃には、ライライとドミニカさんは少年へ走り寄っていた。
「白馬に乗った王子様みたいだな」
おとぎ話の一幕のような爽やかさで少年が「どうどう」と馬を止め、鞍から飛び降りる。直後、彼は姉妹の熱烈な歓迎を受けた。
「おそいよ、エスター!」
「やっと、来た……」
「元気でしたか、二人とも」
少年は慌てることもなく、鷹揚なしぐさでライライの突進とドミニカさんの抱擁を受け止めた。
ひとしきり再会を喜びあったあと、少年は俺に近づいて来た。身長は俺より少し低く、軽装とはいえ武装している割に、体つきは細い。暗い深緑色の髪は肩に触れるほど長く、黒い両目が妙に懐かしさを感じさせた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません。エスター・ノルデンシェルド。ただ今、御前へ参上致しました」
片膝を地面に付けて、頭を垂れる少年。
「えっ、あ、どうも……はじめまして」
無意味に両手をバタつかせて挨拶するも、少年は跪いたままだ。
「えっと、あの、立ってください……」
しどろもどろにお願いすれば、ようやく少年は立ち上がってくれた。年齢は俺とそう変わらないだろうに、彼の立ち居振る舞いも、静穏とした表情も、放つ雰囲気からして大人びている。俺なんかよりよっぽど王様にふさわしそうだ。
王の威厳など欠片も持ち合わせていない俺の言動に、エスターさんが訝しそうにアレクさんへ視線を転じた。
「ミゴール卿、これはどういうことですか?」
え、なんでアレクさんに話を向けるんだ?
そういえば、すぐに泣くのですっかり忘れていたが、アレクさんは俺の教育係だと言っていた。もしかしたら、俺を王にふさわしくするべく、王都のお偉方から言われていたのかもしれない。
「待ってくれ、アレクさんは悪くないんだ。俺がウダウダ尻込みしてただけで、彼は立派に職務をまっとうした!」
言ってから、果たしてそうだろうかと迷ってしまったが、表情だけは毅然としたものを取り繕っておく。
「――ありがとうございます、リセイ様」
応えたのはアレクさんだった。見上げるほど高い長身を二つに折り曲げて、俺へ向かって深々と頭を下げる。
「不肖な我が身には、余りある光栄でございます」
時間をかけてゆっくりと上げられたアレクさんの顔は、どういうわけか、苦痛に耐えるように歪んでいた。
少しだけ表情を改めて、アレクさんはエスターさんに向き直る。そして再び、彼は長身を曲げて謝罪した。
「エスター中佐、これは全てわたくしの落ち度でございます」