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第二幕 4

第二幕 4


「俺は、何も悪くないと思うんスよ……」

 外回り中、夏の日差しと熱気にやられた中年のサラリーマンのように、俺はベンチに腰かけて虚ろな嘲笑を浮かべた。

「そうじゃな」

 城の中庭に、俺とイザベルさんはいた。二人とも寝間着のため、冷たい夜風にはブルリとくるものがあるが、悪しき記憶を浄化したい俺にはちょうどいい冷たさだ。

 女嫌いの俺を気遣って、イザベルさんは隣のベンチに座ってくれている。

「二人には、やりすぎないよう注意しておこう」

「そうしてくれるとありがたいです。でも、イザベルさんも昼間、俺を追いかけ回しましたよね」

「ぬぅ。あれくらい良いではないか。妾が追いかけねば、リセイ殿と顔を合わせることさえないのだから」

 それは否定できなかった。妃候補たちが放っておいてくれれば、俺は一日中、女と関わらないですむ。

「のぅリセイ殿、なぜ、そんなにも女性を嫌うのか聞いてもよいか?」

 城の四階、左右を建物の壁に挟まれた細長い中庭の前後には格子状の柵がしてあり、そこから夜気が吹き込んでくる。頭上には長方形に切り取られた星空が広がり、日本と違って地表が暗いためか、星々は存在を主張するように明るく輝いていた。

「大した理由じゃありません」

 土を運び、草花を植え、数本だが立派な木の茂るここは、まるで箱庭のように整えられていた。城を囲む木々のざわめきが、風が吹く度に聞こえる。フクロウらしき鳥の鳴き声も時折風に乗って流れてきた。

「俺、昔からずっと悪夢を見てたんです」

 今頃は、メイドさんたちが俺の部屋を片付けてくれているのだろうか。

自分の吐瀉物くらい、自分で片づけるとアレクさんに訴えたのだが、彼は「リセイ様にそのようなことをさせるわけにはまいりません!」と頑として譲らなかったのだ。

 その後、風に当たりたいといった俺を、イザベルさんがここまで連れて来てくれた。

「だいたい内容は同じで、いつも俺が女の人たちに非難されて、暴力振るわれて……そのせいで、現実の女の人にも苦手意識ができてしまったんです」

 横目に、イザベルさんが苦いものを口にしたような、険しい表情をしたのが見えた。

「もともと無愛想で人見知り気味なのもあって……――まあ、色々あってイジメられてたんですよ……中学のとき」

 ずっと見ないふりをしてきた昔の話。

 それまで、普通に接していたクラスメイトが、次の瞬間には俺と関わらないようにして、周りの空気に合わせて俺を嫌いだと言う。

 まあ、そんなものなんだろうと、思った。

 当時は色々思ったし、悲しいこともたくさんあったが、どうでもいいと思うことにした。

 誰にも期待しないことにした。

「……それだけじゃないですけど、そんなこんなで、今の捻くれた俺ができあがったわけです」

「――何も、おかしいことなどないじゃろう」

 誤魔化すように、あるいは自嘲するように顔を歪めた俺に、イザベルさんは鋭く言い放った。

「悲しいなら、悲しい顔をすればいい。悲しいのを我慢して笑うなんてダメじゃ。そなたのそんな顔は見たくない」

「……なら、イザベルさんは悲しいときはどうするんですか?」

 どんなときも優美さを失わない彼女が、取り乱して人前で涙するなんて想像できない。

「決まっておろう。そなたの胸の中で慰めてもらうのじゃ」

「!?」

 思わず頬が強張る。

 イザベルさんが「そうじゃ妾の胸で――」などと言い出さないうちに、俺は話題を変えることにした。

「そ、いえば、イザベルさんはどうして俺の妃候補になろうなんて思ったんですか? 実際の俺を見ても、止めようと思わなかったのはなぜですか?」

「言うたじゃろう。妾はリセイ殿のことを、ずっと昔から知っておるのじゃ」

 そう言えば、水晶で見たとか言っていたな。だが、たとえ見ていたとしても、特別誇れるような人生ではなかったと思うけど……?

「――リセイ殿、ずっと覚えている子供のときの思い出というのはあるかの?」

「そりゃあ、いやに忘れられない記憶っていうのはたくさんありますよ」

 唐突な質問に面食らいつつ、俺は忘れられない記憶を思い出した。

どれもくだらないもので、掴んだトンボの尻尾が異様に柔らかかったこととか、ホタル追いかけてたら川に落ちたこととか、父さんにマシュマロはキノコだと教えられてみんなに笑われたこととか……恥ずかしい記憶って、なんでこうも脳みそに刻みつけられてるんだろうな。

「イザベルさんにはどんな思い出があるんですか?」

「妾は、みかんを食べるといつも思い出すことがあるのじゃ」

「みかん?」

 親しみ深い果物の名に、思わず素っ頓狂な声が出る。……この世界にもみかんがあるのか……。

みかんといえばコタツで、その二つが揃えば冬の代名詞だ。半円形のオレンジの房は、あれでなかなか色んな形をとることができ、小さいとき、オレンジの房をロゴのように使って車や家を作るのにハマっていた時期があった。

「妾が七つのとき、両親に連れられて行ったパーティーがあったのじゃが、パーティーなぞ子供が楽しめるものではないからのぅ。つまらぬとふてくされていた妾に、面白いものを見せてくれた者がおったのじゃ。その子は剥いていたみかんを半分にすると、その片方を持って、一房だけ剥がした。何をするのかと見ておったら、ちぎった一房を、半分にしたみかんの塊の中央に持っていって、真横にしてこう言ったのじゃ」

「――キノコ」

 答えた俺の顔を見て、イザベルさんは春の日差しのように暖かい笑みを浮かべた。

「それが、そなたと妾との、最初の出会いじゃ」

 かすかだが、俺にも覚えがあった。不機嫌そうなお姉さんに、発見したばかりのみかんでの一芸を披露したのだ。たしかあれは、俺が小学校に上がる前のことだったように思う――

「イザベルさんも地球にいたんですか!?」

「逆じゃ。そなたがサブ・ガイアにおったのじゃ。覚えておらぬかもしれぬが、そなたは五つのときまでこの世界にいた。じゃが、オスクロ国との戦の気配が高まり、危険を感じたロレンツォ殿がそなたを生かすため、チキュウへと送ったのじゃ」

「俺がここにいた!? でも、アレクさんはそんなこと言ってませんでしたよ!?」

「ミゴール卿は、そなたがこの世界の生まれであることしか知らぬ。チキュウに行くまでのそなたの五年間を知っておるのは、妾と、ロレンツォ殿と、あとはそなたらのご両親だけじゃろう」

 人間とは都合のいいもので、幼い頃に会ったことがあると言われた途端、俺はイザベルさんに親近感を覚えた。

 女は嫌いだが、イザベルさんは悪い人ではない。

 彼女を妃候補として見ることはできないが、昔会ったことのある知り合いとしてなら、少しは親しく接することができそうだった。

「――さて、そろそろ戻るかのう」

 イザベルさんが立ち上がり、未だに座ったままの俺を振り返る。ひときわ強い風が吹いて、彼女の紺色の髪をさらった。

 躍る長髪を片手でまとめて、もう片方の手を俺に差し出す。

 だが、俺に彼女の細い手を取ることはできない。

「イザベルさん」

 申し訳なく思いつつ、俺は一人で立ち上がった。手を取れない代わりに、彼女の夜空に似た両目を見返す。

「お久しぶりです」

 イザベルさんは少し驚いて瞠目したあと、嬉しそうに、俺が仰け反らないところまで距離を詰めた。

「十二年ぶりじゃのう、リセイ殿。妾はそなたと、またこうして会える日を心待ちにしておったのじゃ」

 十二年間も、俺を待ってくれていた誰かがいたことが、ただ単純に嬉しかった。


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