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第二幕 1

第二幕 1


「――なんてことだ!」

 それが、次に目覚めたときの俺の第一声だった。

 奇跡を願う俺の思いもむなしく、次に目覚めたときも、俺は依然として身知らぬ高級ベッドの上にいたのだ。

 頬を抓って「イタタタ」というベタな展開もやったが、目の前の光景は何も変わらない。

ここまでくれば、さすがの俺も、もしかしたらこれは現実なのかもしれない、と考えを改めざるを得なかった。

俺だって中学の時分には、自分が異世界へ行って勇者になるとか、そういった空想をしていたこともあったし、さらに遡れば将来の夢が地球を救うヒーローのレッドになることだったこともある。さすがに高校生になってからはそんな空想に浸ることも少なくなったが、もしこれが現実に俺の身に起こったことなら、自分が異世界に来てしまったという一点においてのみは、寛容しないこともない。

「……まいったな」

 異世界へ連れて来られるという、天地が入れ替わるような驚愕体験をそこそこポジティブに受け入れた俺だったが、現在非常に困った状況に陥っていた。

「広すぎだろ、ここ」

朝から、特攻隊のごとき勢いで俺を強襲した妃候補たちから逃れるために部屋を飛び出したのだが、どこをどう走ったのか、完全に方向感覚が狂ってしまったのだ。

誰かに道を訊ねようにも、人の気配一つしない。

しかし、おかげで分かったこともいくつかあった。

まず、この建物は俺が迷ってしまうほどデカイということ。

内装は、中世ヨーロッパの洋館や城のようになっており、いかにも値打ち物といった絵画や彫像が随所に置かれていた。材質は分からないが、石のように固く冷たいオレンジの床に、大理石のような手触りにも拘らず、薄らと木目のような模様を浮かべる白い壁。各部屋の扉の色は上品なこげ茶から濃い紫色までバリエーション様々で、しかしそれらが違和感なく並んでいるのだから、なんとも不思議な空間だ。

なんてことを思いながら歩いていたとき、かすかに空気の流れを感じた。

視線を上に向ければ、開いたままの丸窓がずらりと等間隔に並んでいる。そこから入り込む、初夏のように暖かい日差しと、まだ少し冷たい風に促されて、俺は背伸びをしてその向こうを見た。

「――すっげ……」

 それは、見たことがないほど荘厳な景観だった。

眼下に広がる木々の海に、そこから立ち上る緑の匂い。遠く見える赤や茶色は民家の屋根らしく、薄緑色の平原は畑だろう。見事なグラデーションを描き、まるで童話の一ページのようにのどかな情感を呼び起こした。

右から左まで、この美しい景色を遮るものはなく、俺は生まれて初めて百八十度に渡って展開される地平線というものを見た。

 残念ながら丸窓は人の頭分ほどの大きさしかないため、頭を突き出して覗き見ることはできない。この絶景の中、建っているこの建物の全貌が気になった俺は、外に出てみることにした。

このままうろつき回っても、自力で元の部屋へ戻れる気もしないし、これだけ金のかかってそうな建物なら門番の一人もいるかもしれないと思ったのだ。

 廊下の突き当たりで見つけた階段で下りられるところまで下り、勘を頼りに、出入り口がありそうな方へ向かって歩く。

 だが、自分の部屋へ戻れない人間が、場所も分からない出入り口へ辿り着けるはずもなかった。

一人で探索すること三十分余り、一向に出入り口へ辿り着ける気がしなくなった俺は、いっそ窓から出た方が早いんじゃないかと思い始めていた。幸いにしてここは地上一階、窓から出たからといって怪我をする高度ではない。

 僅かに開いた扉を見つけたのは、手ごろな大きさの窓を探していたときだった。

 他の部屋の扉は全て閉じられ、中には鍵をかけられた部屋もあったというのに、青緑色のその扉は誘うように、戸口から差し込む陽光を覗かせていた。深海を思わせる不思議な色合いと、線を浮かせる斜光との共演は、あたかも海の中から太陽を見ているようだ。

「――」

 何かに誘われるまま、俺はその扉を開けた。

 先ほどの、丸窓から見た遠望とはまた違う、幻想的な光景が部屋に満ちていた。

 まず目に入ったのは、薄青色の空気と、そこを泳ぐ光で紡がれた魚だった。まるでそこが水中であるかのように、魚たちは空中を遊泳し、ときには躍るように軽やかに円を描く。彼らの通ったあとには砂金のような煌めきが残り、数秒ののちに大気に溶けるようにして消えた。

 あまりの壮観に、声を出すことすら憚られる。

 自然のつくる偉観とも、人間のつくる構造美とも違う、霊的な美しさのそれは、何か少しでも邪魔が入っただけで壊れてしまいそうなほど儚かった。感嘆の言葉も喝采も、観客すらこの空間には不必要で、侵入者たる自分が異物なのだと思わされる。

「誰!?」

 目の前の光景に心奪われていた俺は、間抜けにも部屋の中央に人がいることに気づかなかった。ロッキングチェアに腰かけていた女性が、ゆっくりと立ち上がる。ちょうど彼女と俺の間に巨大な魚が揺蕩っていたため、彼女の顔はよく見えないが、はっきりとした嫌悪が向けられていることは分かった。

「どうしてこの部屋へ入って来たのです!?」

「あっ、す、すいません! すぐに出ます!」

 彼女の鋭い声音に驚いた魚が、ビクリと体を揺らして慌てて前泳する。倣うように俺も、肩を揺らして踵を返した。そのまま部屋を飛び出そうとしたとき――

「あなたは――!?」

 女性の吃驚と、不自然に途切れた言葉が俺の足を止めた。息を呑むような、嗚咽にも似た音が聞こえた気がして、肩越しに恐る恐る窺い見る。

「……そう、あなたが……」

 呟く女性の頬を、一筋の滴が滑り落ちていった。

「えっ、ちょっ!? だ、大丈夫ですかっ!?」

 駆け寄るべきか、このまま立ち去るべきか。迷う心を反映して、小刻みに左右へステップを踏む。反復横跳び微小バージョンを繰り返す俺を、女は睨みつけた。

「……出て行って!」

 拒絶の声も、左右で色の違う彼女の瞳も、涙に濡れていた。

「し、失礼しました!」

 女への恐ろしさと、なぜ泣いているのかという心配もあったが、何よりあの完璧な空間を壊してしまった後ろめたさから、俺は急いでその場を離れた。

「リセイ様!?」

 いくらも行かないうちに、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「アレクさん!」

 長身の人影へ向けて、飼い主とはぐれた犬よろしく駆け寄る。

「ご、御無事でなによりです……!」

 両目を潤ませたアレクさんを見て、一瞬前の安堵もどこへやら、俺は即座に回れ右をしたい気分になった。

「あの、これくらいのことで、なにも泣き出さなくても……」

「も、申し訳ありません……。ですが、これくらいのことなどではありません。御身に何かございましたら、わたくし一人の首ごときでは、責任の末端とて償いきれません」

 涙を引っ込めて、しかつめらしい顔で言うアレクさん。

「心配かけてすいません。妃候補の皆さんから逃げていたら道に迷ってしまって……」

「あのお方たちは……。始めは抑え気味にしてくださいと、何度も申しあげましたのに」

 始めは!? なら、後々はあの過剰なスキンシップを容認するってことか!? そんなことされたら俺死んじゃうよっ!?

 あまりに恐ろしい未来予想図に、俺は縋るような面持ちでアレクさんに一つの方法を訊ねてみた。

「あの、妃候補の解除とかできないんですか?」

「……できない、わけではありません。ですが、恐れながら私見を申し上げますと、あなた様はまだこの世界のことも、この国のこともご存じではありません。そのような状況の中で、あのお方たちの地位を変えるようなご決断は、なさらない方がよろしいかと思います」

 この国に住むアレクさんからすれば当然の意見だ。ポッと出の俺に、これまでうまくいっていた仕組みを変えられるのは、彼でなくても嫌だろう。

「そうですね。安易なことを聞いてすいません」

「いえ、わたくしこそ出過ぎた真似をいたしました! 申し訳ありません!」

 謝れば、アレクさんはそれこそ土下座でもしそうな勢いで直角に頭を下げた。

「いやあの、頭を上げてください。そうだ、他にも聞きたいことがあるんです!」

 度が過ぎるアレクさんの丁寧な対応は、本人にそのつもりはないのだろうが確実に俺の体力を削っていく。俺の方が年下なんだし、もう少し普通に接してくれないかな……。

「どうぞ、何なりとおっしゃってください」

「この近くの不思議な部屋にいた女性は誰ですか? 俺を見て、驚いたあとに泣き出してしまったんですが……」

 俺が全てを言い切る前に、アレクさんの表情が険しくなった。

「オリネラ様とお会いになったのですか?」

「そう……なんだと思います。左右で目の色が違う女性でした」

 そのオリネラ様とやらがデリケートな話題であることは、訊ねるまでもなくアレクさんの表情から分かった。だが、俺と彼女にどういう関係があるのか? あの雰囲気からして、妃候補などという馬鹿馬鹿しい間柄ではなさそうだ。彼女は明らかに俺を嫌っていた。俺の女嫌いなどとは質の違う、敵意にも似た感情だったように思う。

「……――オリネラ様は、あなた様のお兄様であり、テュルクワーズ王国の王であらせられるロレンツォ様のお妃様でございます」

 躊躇うような間のあと、アレクさんは静かに口火を切った。

「ロレンツォってのが、俺の兄で国王!?」

 そういえば、昨日ヴィリオーネとかいう金髪が俺のことを王子だと言っていたな。

「それに、悪夢の中で俺がロレンツォと呼ばれていたのはなぜだ?」

 ロレンツォという人物が複数いるのか、はたまたその兄とやらが関係しているのか。俺の疑問に、当然だがアレクさんが答えられるはずもなく、彼は少し困ったような顔をした。

「その、ロレンツォさんはどこにいるんですか? できれば話がしたいんですけど」

 本人に直接訊ねるのが一番だろう。

「……それはできません。ロレンツォ様は、一月ほど前に亡くなられたのです」

「亡くなった……!?」

 諸悪の根源のように思っていた相手がいないことを、意外に思う一方で納得もした。

 そうか……国王が死んで、後を継ぐ者がいないから異世界にいた俺を連れ戻した――と、こういうことだろう。

 しかし、状況は俺の名推理の斜め上をいく複雑さだった。

「以来、オリネラ様は妊娠されているにも拘らず、お部屋から外へお出にならないのです」

「妊娠っ!? 赤ちゃんがいるってことか!? だったら俺いらなくねっ!?」

「いらないなど、決してそのようなことはございません! ロレンツォ様はもともと、時が経てばあなた様を連れ戻すおつもりでした!」

「連れ戻すって……そもそも、なんで俺は君らの言うところの、異世界とやらへ行かされたんですか?」

 真っ先に頭へ思い浮かんだのはかぐや姫の話だった。月の世界で罪を犯したかぐや姫は刑罰として地球の竹に閉じ込められた。それを思えば俺はどこにも閉じ込められてないだけマシかも――って、おいおい、おとぎ話と張り合ってどうするんだ……。

「……申し訳ありませんが、詳しい経緯をわたくしは知らないのです。ただ、ロレンツォ様は戦火を逃れるために魂の片割れを異世界へ送ったと、そうおっしゃっておりました」

「……その、ロレンツォさんが遺した俺宛の手紙とかないんですか?」

 ゲームならこういうとき、今後の道しるべとなるキーアイテムがあるものだ。

 しかし、アレクさんは心底申し訳なさそうに眉尻を下げ、苦い顔で頭を振った。

「いえ、そのようなものはありません」

「……分からないな……。なら、俺がロレンツォの弟であるという確証はあるんですか?」

「あなた様は、ロレンツォ様によく似ていらっしゃいます」

 なぜかこのとき、俺は少しだけ嫌悪を感じた。

「どこが、どういうふうにですか?」

 具体例を求める口調に刺があるのが、自分でも分かる。

「それは――」

 言いかけて、アレクさんは開いた口を閉じた。俺の顔を見て「実際に見て頂いた方が早いかもしれませんね」と息を吐く。

「リセイ様、ロレンツォ様のお部屋へご案内いたしますので付いてきてくださいますか?」

「はい」

「では、参りましょう」

 滑るようにして歩き出したアレクさんに付いて行く。

「ここは、オリネラ様の持つ、別邸なのでございます」

 道すがら、アレクさんはこの建物について説明してくれた。

 なんでも、ここは国の南にある比較的暖かい地方らしく、この地域の名家の出であるオリネラさんの家が代々管理している城らしい。まるでツアーガイドさんのごとく、つらつらと城の名前や詳しい歴史を話してくれるアレクさんの言葉を、右から左へ聞き逃すこと十数分。ようやく、目的の場所に辿り着いた。

「ここが、ロレンツォ様のお部屋です」

 たまたま持っていたのか、それとも常備しているのか、アレクさんはポケットから取り出したカギを穴へ差し込むと、少しだけ扉を開けて俺に場所を譲った。

「どうぞ、お入りください」

「失礼しまーす……」

 誰にともなく断りを入れて中へ入る。

「広っ!」

 ロレンツォの部屋は、俺が最初に目覚めた部屋の十倍以上はありそうなほど広かった。執務室や娯楽室、寝室を兼ねているらしく、天井には必要なときに仕切るためのカーテンレールが走っている。しかし、そのカーテンが引かれていないため、主のいない部屋のうら寂しさを助長しているように思えた。

「こちらをご覧ください」

 後ろから入室したアレクさんに執務室らしき区画へと先導される。執務机を背に、アレクさんが壁を覆っている布の端を引いた。

「!?」

 描かれていたのは、俺によく似た顔の男だった。相違点といえば、眼鏡をかけていないことと髪や目の色が違っていることくらいだろう。いかにも王様らしい豪華な衣装を着たその人物は衣装に、負けず劣らずの尊大で生意気な笑みを浮かべている。

髪の色は俺が黒なのに対してあちらは深青色、瞳の色は俺が深青色なのに対してあちらは水色と、色に若干の違いはあったが、全体的な印象がよく似ていた。

「これだけ似てたら、他人という方が無理があるな……」

 自分でも同じ顔だとは思うが、どうしても俺は絵画の人物が好きになれなかった。こんな兄の下で暮らしていたなら、さぞかし苦労しただろうと、根拠もないのに思ってしまう。

「でも、俺は何をすればいいんだ? ロレンツォの子供がいるんだから、跡継ぎに問題があるわけじゃないだろ?」

むしろ、今まで異世界にいた俺が突然帰って来た方が、跡継ぎの問題がこじれそうだが……?

「ロレンツォ様の遺言なのです。どのような状況であろうとも、自分が死んだ場合、即刻リセイ様をこの世界に呼び戻すようにと」

「……本当に、それだけですか?」

アレクさんの晴れない顔は、それだけが理由でない言外に告げていた。

「……正直に申し上げますと、リセイ様を連れ戻すか否かで意見は分かれました」

「だが最終的には、俺を連れ戻すことに決まった」

 でなければ、俺はここにいないはずだ。俺としては連れ戻し反対派に頑張ってもらいたかったが、今さら非難したところ状況は変わらない。

「なぜだ?」

 訝しむ俺の前に立つと、アレクさんはおもむろに片膝をついて頭を垂れた。

「お願い致します、リセイ様。どうか、どうかどうか、テュルクワーズの王に即位していただき、フィアンマ国の女王、アドリアーナ・ドラゴネッティ様と御会談ください」

 なるほどな。いくら正当な継承者であろうとも、胎児では他国の王との話し合いに出席できるはずもない。

 しかし、オリネラさんは安静にしなきゃいけない身だとしても、他に代行者を立てればいい話じゃないか?

 そう言おうとしたとき、キュルルルル~という情けない音が鳴った。いい加減何か食わせろと、腹の虫が抗議の鳴き声をあげたのだ。

「続きは、昼食を召し上がってからに致しましょうか」

 上品に微笑むアレクさんだが、瞬前、「ふっ」と微かに吹き出したのを俺は聞き逃さなかった。

「そうしてもらえると、ありがたいです……」

 気恥ずかしさに俯きながら、アレクさんの提案を受け入れるより他になかった。


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