第10話 魔王もほっこりクッキー
最大の挑戦は、魔王城への配達だった。
「もし魔王様がこのクッキーを気に入ってくれたら、戦争なんてバカバカしくなるはずよ」
エミリアは、平和な妄想にふけりながら、特別な材料を揃えた。
「暗黒の森のチョコチップ」「星明かりのバニラ」「優しさのシナモン」
クッキーを焼いていると、厨房は光と影の不思議なダンスに包まれた。
オーブンからは、暗闇を切り裂くような金色の光が漏れ、同時に深い闇の模様が壁に映し出された。
クッキーは、焼き上がるときに小さなため息のような音を立て、まるで安らぎに満ちているようだった。
魔王城への道のりは、もちろん平坦ではなかった。
道中、クッキーの香りに誘われて、森の魔物たちがぞろぞろと後をついてきた。
オークは鼻をクンクンさせ、ゴブリンはよだれを垂らし、スライムはクッキーを求めてハート形に変形した。
「後でね、みんなにも分けてあげるから!」
エミリアはそう叫びながら、魔王城の巨大な門をノックした。
門を開けたのは、不機嫌そうなデーモンの門番だった。
「何用だ、聖女よ。戦いなら……ん?何だこの香りは?」
エミリアは箱を開け、ほかほかのクッキーを見せた。
「魔王様への贈り物です。『魔王もほっこりクッキー』って名前にしました」
門番は警戒しながらも一枚受け取り、かじった。
すると、彼の険しい表情がゆるみ、角の先がほんのりピンク色に染まった。
「……これは……なかなか……悪くない」
「中へ通すが、変なことをしたらすぐにでも熔岩の牢屋へぶち込むからな」
クッキーは魔王の玉座の間まで届けられ、ついに魔王ルシフェル本人の手に渡った。
漆黒の鎧に身を包み、不気味なオーラを放つ魔王は、クッキーをじっと見つめた。
「ふん……人間の戯れが……」
そう言いながらも、一口かじると、魔王は突然静かになった。
長い沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「……わが城の厨房には、これを作れる者はおらぬ」
そして、思いがけない言葉が続いた。
「レシピを教えてくれ。代わりに……今月の人間界侵攻は延期しよう」
エミリアの目が輝いた。
「本当ですか?じゃあ、来月の分もクッキーで延期できたりして?」
魔王は苦笑いを浮かべた(少なくとも、エミリアにはそう見えた)。
「……交渉は後にしよう。まずはこの『ほっこり』の秘密を教えてくれ」
週に一度、魔王城からデーモンの厨房助手がレシピを学びに来るのが恒例になった。
魔王城への配達は想像以上に甘い成功をもたらしたのだった。




