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第1話 ウツノ都にクマ(?)が出た

「無能なお前は、本日をもってギルド追放とする。せいぜい野垂れ死ぬがいい」


 数日前、大陸最前線で対魔物防衛を担う『王立魔法構築ギルド』のギルド長からそう告げられた時、俺は内心で狂喜乱舞していた。


(やったあああああ! やっと辞められる! 毎日毎日、徹夜で結界の術式をミリ単位で調整して、誰にも気づかれない裏方のブラック労働から解放されるんだ! 俺はもう、絶対に働かないぞ! 息をするだけの植物になりたい!)


 しかし、長年の理不尽なブラック労働により「感情を殺す術」を完全に身につけていた俺は、顔の筋肉をピクリとも動かすことなく、ただ低く落ち着いた声でこう返した。


「……ふぅ。仕方ない、今まで世話になったな」


 それがまた「自分の無能さをあっさり認めやがった」と元同僚たちの嘲笑を買ったが、どうでもいい。俺の心は既に、夢の不労所得スローライフへと向かっていた。俺が抜けた後のギルドの結界網がどうなるかなど、知ったことではない。


 * * *


 そして数日後。

 俺は大陸の東、辺境の交易都市『ウツノ都』の玄関口に立っていた。


 ここは、街の血液として最新鋭の魔導列車『雷都レール』が走り、中央には巨大な神社『フタアラ』の跡地がそびえ立つ、活気に満ちた都市である。中央のしがらみも届かないこの辺境なら、俺の「何もしない生活」を実現できるはずだ。


「よし、まずは適当な宿を探して、一生ベッドの上で……」


 そう意気込んだ矢先だった。


『ギャアアアアアアアッ!』

『逃げろ! オリオン通りに魔獣が出たぞ!』


 鼓膜を破るような悲鳴と怒号が響き渡った。

 人々が雪崩を打って逃げてくる方向を見ると、土煙の向こうに巨大な影が見えた。

 体長は優に三メートルを超え、漆黒の体毛に覆われた凶悪な魔獣。その姿はどう見ても、俺が前の世界で図鑑で見たことのある『熊』――それも、とびきり凶暴なヒグマやツキノワグマを掛け合わせたようなバケモノだった。

 鋭い爪で石畳をえぐり、周囲にすさまじい威圧感と魔力を撒き散らしている。


(うわぁぁぁぁぁ! なんだあれ、絶対ヤバいやつじゃん! 着いて早々これかよ! 面倒くせええええ!)


 俺は全力で踵を返し、路地裏へと逃げ込んだ。

 目立たず、騒がず、ただ息を潜めて生きる。それが俺のプレイスタイルだ。

 誰かが戦うだろう。俺は絶対に働かない。

 暗い路地裏の奥へ奥へと進み、荒い息を整える。


「……ふぅ。危ないところだった。俺に任せろなんて言ってられる状況じゃ——」


『グルルルルル……』


 背後から、地鳴りのような唸り声が聞こえた。

 冷や汗を流しながらゆっくりと振り向くと、そこには。

 漆黒の体毛、血走った赤い目。鋭い牙の隙間から涎を垂らす、先ほどの熊型魔獣が、逃げ遅れた俺を壁際に追い詰めていたのだ。


(終わった。俺のスローライフ、開幕三分で終了のお知らせ)


 逃げ道はない。魔獣が巨大な爪を振り上げ、俺を引き裂こうとする。

 だが、その時。俺の脳裏に、かつて前の世界で飼っていた愛猫の姿がフラッシュバックした。

 真っ黒な毛並み。少しぽっちゃりとしたフォルム。餌をねだる時に見せる、どこかふてぶてしい態度。


(……あれ?)


 死を覚悟した極限状態でおかしくなったのか。

 俺は、目の前の凶悪な熊を見上げて、ついポツリと呟いた。


「なんだ、前飼ってた『おはぎ』にそっくりじゃん」


 その声は、恐怖から来る震えを通り越し、もはや無感情なほどの低音ボイスとなって路地裏に響いた。


 俺は無意識のうちに手を伸ばし、魔獣の真っ黒な鼻面をワシャワシャと撫でていた。

 いや、だって仕方ないじゃないか。前の世界で仕事に疲れて帰ってきた時、おはぎを撫でるのだけが俺の唯一の癒やしだったんだから。


(あぁ、この硬めの毛並み……たまらん)


 現実逃避も極まり、俺はもはや自分が死ぬことすら忘れて、無表情のまま魔獣の顎の下をゴリゴリと掻き続けた。


 すると——。


『……ゴ……ゴロゴロゴロゴロ……』


 地響きのような音が鳴った。いや、違う。これは、猫が喉を鳴らす音だ。

 凶悪な牙を剥き出しにしていた魔獣の目が、スゥッと細められる。

 直後、ボフンッ! という音と共に、魔獣の全身を覆っていた「凶暴な熊の威圧的なオーラ」のような黒いモヤが弾け飛んだ。

 モヤが晴れた後に現れたのは、熊ではなく、三メートルはある超巨大な『黒猫』だった。

 丸みを帯びたフォルムに、艶やかな黒い毛並み。


「お前、猫だったのかよ……いや、デカすぎるけど」


 俺がそう呟きながらさらに首筋を撫でると、巨大な黒猫は完全に脱力し、俺の足元にドサァッと身を横たえてお腹を見せた。

 完全に陥落している。俺の神がかったモフモフ技術の前に、伝説の魔獣はただの「デカネコ」へと成り下がっていた。


「……ふぅ。お前も大変だったな」


 俺は低く落ち着いた声でそう言いながら、黒猫の巨大な腹を撫で続けた。内心では歓喜の絶叫を上げているが、顔には微塵も出さない。


 その時だった。

 背後の路地裏の入り口から、カシャカシャと金属の擦れる音が聞こえた。

 振り向くと、銀色の甲冑を身に纏い、身の丈ほどの巨大な大剣を構えた女性が立っていた。

 年は三十代半ばだろうか。凛とした美しい顔立ちだが、それ以上に目を引くのは、その重厚な甲冑の胸元を不自然なまでに押し上げている『規格外の巨乳』だった。


(うおっ!? デカっ! いろいろとデカっ!)


 俺の視線が一瞬だけ胸に釘付けになったが、長年の訓練によりすぐに視線を外し、再び無表情を取り繕う。

 女騎士は、俺の足元でゴロゴロと喉を鳴らして腹を見せている巨大黒猫を見て、完全に絶句していた。


「な、なんという事だ……。都を三日三晩にわたって恐怖に陥れ、我々騎士団の手にも負えなかった『大暗黒獣』を……たった一瞬で、しかも傷一つつけずにその恐るべき魔力を完全に奪い去り、無力化してしまうなど……!」


 彼女の手から大剣が、カランと音を立てて石畳に落ちた。

 そして、彼女は俺の前に進み出ると、そのまま恭しく片膝をつき、深く頭を垂れた。


「あ、あの……! 見事な手腕、感服いたしました! 私はルナと申します。あなたのような高邁な御方に、どうかこのウツノ都をお救いいただきたい……っ!」


 俺は内心で頭を抱えた。


(いやいやいや! 違うから! ただのデカい猫だと思ってモフっただけだから! ていうか俺、働きたくないからこの街に来たんだけど!?)


 しかし、目の前には規格外の巨乳を持つ美女がひれ伏している。

 本質的に小市民的なお人好しであり、なおかつ巨乳に致命的に弱い俺の口から出た言葉は、これだった。


「……ふぅ。仕方ない、俺に任せろ」


 かくして、俺の夢見た「スローライフ」は、全く想定外の形で幕を開けることになったのだ。

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