~事件ファイルNo.15「長生きのコツ」~
他人からの評価を気にしない。
そう口にする者たちがいるが、気にしないことが必ずしも良いことなのかは、レオンには分からない。
なぜなら、本当にまったく気にせずに仕事をしている者たちは、どんどんと仕事を辞めていくことになったからだ。
「……僕のこと、情けないやつだって、思いましたよね」
薄紫色の髪が目の前で揺れる。レオンからはつむじだけが見え、紫紺の瞳がどんな輝きを帯びているかは、確認できなかった。
レオンはエールを一口飲んで、二口目が空なことに気づいて眉を寄せた。
片手を上げ、店員に追加を頼む。
「……で、体調は?」
そうして運ばれてきたエールを二口飲んで、レオンは短く聞いた。
一瞬の沈黙。
「へっ?」
間抜けにも聞こえる声とともに、シルヴァーノが顔を上げた。大げさなほどに薄紫の長い髪がさらりと揺れる。紫紺の瞳が、不思議なことを聞いた、というように丸くなった。
シルヴァーノは暫くの間、何度も瞬きをした。レオンの言葉の意味を、すぐに飲み込めないようだった。
「体調は、大丈夫ですけど……え?」
呆然としたように返事をして、それでもまだ飲み込めないようだった。
しかし、レオンはそれ以上説明する気はないようで、代わりに懐から一枚の紙を差し出した。
『ゼペー警備隊員入隊試験申込書』
「1週間後だ。受けるならな」
レオンはそれだけ言うと、魚をフォークで崩して一口二口と食べ、エールのジョッキを手にする。
くしゃりと紙が歪む音がした。
紫紺の瞳が用紙の向こうに消えた。
「っ、先輩、僕は」
何かを言おうとして失敗したシルヴァーノの方を、レオンは見ることなく魚をフォークでつつく。
「覚悟はしておけよ。全員が先輩になるからな」
魚の身をまた口に放り込んだレオンは、その味に満足したかのように口元をほころばせた。
「これからも長いんだ。もう一回新人経験しておくのも悪くないだろ」
明太パスタをすするような音が聞こえた。
***
誰しも、夢と希望を抱いたことはあるだろう。
そして、そんな夢と希望が自然と崩れていく経験をした者も、少なくないはずだ。
彼はそう思っている。何せ、彼自身がそうだった。
だが、彼はここにいる。
「班長! A区の巡回終わりました」
レオンのもとに、新しく副班長になったアレクがきびきびと報告してくる。しかしその顔はやや緊張していて、どこか違和感を覚えているようだった。
その原因は、アレクに付き従う薄紫色の髪の男のせいだろう。
一度辞めた元上司を部下にするなど、居心地が悪いのはレオンもよく分かる。
レオンからすれば、ゲトルトが部下になるようなもの。
(……ぞっとするな)
軽く想像して、居心地の悪さに身を震わせたレオンは、「ご苦労さん」と短く返した。アレクからの何かを訴える目から顔を背け、手元の書類を確認する。
書類の内容は、支給ポーションの数が増えるという通達。つまり、モンスターウェーブの騒動前に戻るという話だ。
レオンが静かにその書類をアレクに渡すと、彼はホッとしたように表情を緩めた。
やはり回復薬の支給数が少ないのは、肉体的にも精神的にも苦しい。
「えー、もとに戻るだけですか? 以前から、支給数増加申請してるじゃないですか」
シルヴァーノが不満そうに唇を尖らせる。
レオンとアレクは顔を見合わせて、ほぼ同時に肩をすくめた。
「仕方ありませんよ。粗悪品仕入れるわけにはいきませんし、そうなると必然と高くなりますから」
「薬草の安定供給にも金はかかるしな。……おら、文句言ってる暇あれば、この書類のミスやり直せ。
新人みたいなミスしやがって」
レオンがそう言って書類をシルヴァーノに渡せば、シルヴァーノは
「すみませーん。僕、『新人』なものでぇ」
と、堂々とした態度で言い返した。レオンの頬が一瞬引きつる。だが、紫紺の目が楽しげに輝いているのを見て、肩を竦める。
「ほんと、その面の皮の厚さは、小隊長そっくりだな」
「えー、ゲトルトさんにぃ? 僕、ふさふさですよ?」
「……いや、班長がおっしゃってるのはそういうことでは……はぁ」
アレクが額を押さえた。しかしその目はどこか笑っている。
元上司が部下になるという気まずい空気も、シルヴァーノの『相変わらずなところ』を見てどうでも良くなったらしい。
きっと、こういう『すぐにどうでも良くなる』ところが、誰かから見たら『卑怯なこと』なのだろう。
そうレオンは思いつつ、立ち上がる。
「……行くぞ。全体鍛錬の時間だ」
彼の言葉に、アレクは「あ、もうそんな時間でしたか」と半歩遅れて歩き出す。シルヴァーノは、嫌そうな顔をした。
「えー……全体鍛錬、僕休んじゃだめですか?」
ちらっとレオンがシルヴァーノを見て、すぐに前を向く。
「来なくてもいいが、その時は新人ですらなくなるかもな」
「っ! 嘘! 嘘です! 行きます! 参加しますって」
慌てて駆け寄ってくるシルヴァーノ。そんな姿にアレクが笑顔を浮かべる。
レオンは……ふと顔を上げた先。廊下の窓から、遠くに巨大な木の陰が見えて、一瞬、短く息を呑んだ。
「……ふ」
すぐに呼吸は、いつも通りに戻った。
結界樹に関する、驚くべき真実が発表され、結界樹の評価は大きく揺れ動いている。
だが、レオンの目に映るその姿は、何も変わらないように見えた。
「気にしないってのが、長生きのコツってやつなのかもなぁ」
そんなどうでもいいことを呟いて、レオンは廊下の角を曲がる。
結界樹が見えなくなった。
――帝国辺境警備隊の事件記録、了――




