後篇
「珍しいことも、あるものね」
ノゾミちゃんが、言いました。
「二回目に、わたしに会いに来るなんてね」
「そう」
「それで? 何の用かしら。才能を目覚めさせてあげられるのは、一回だけなのだけれど」
「その前に、訊きたいことがあるの」
「何かしら?」
わたしは喉にひっかかるものを感じながら、その問い掛けを口にします。
「三人を殺したのは、ノゾミちゃん……よね?」
「ええ、そうよ」
悪びれもせず、そう答えました。
……やっぱり、そのとおりでした。少しだけ、背中が冷たくなりました。けれども、知っていたことです。
「マサアキ、リョウタ、ユウコ……よね? わたしとの約束を裏切った。それが、代償。あの時、約束をしたはずよ」
「うん、わかってる」
「責めにでも来たのかしら? それとも、仇でも討つつもり?」
「違うよ」
わたしは、乾いた顔で微笑みました。
「わたしも、殺してもらいに来たの。だって、わたしも約束破っちゃったでしょう」
覚悟しました。わたしも、同じように身体を引き裂かれることを。震えが来ました。懸命に、押さえつけます。せめて、一思いに――
――そう、思いましたが。
「何を言っているの? あなた」
ノゾミちゃんは、目を丸くしました。
◇
「あなたは、約束を破っていないわよ」
「……え?」
それは、どういうことでしょうか?
「言ったはずよ。才能を目覚めさせる条件。それは、その時の気持ちを裏切らないこと。もし裏切ったら、わたしが殺しに行く――それが、代償だったでしょう?」
裏切った。その言葉に、半年前に再会した三人を思い出しました。
ガラではなかった。
本気ではなかった。
才能が、足りなかった。
悔しそうでもなく、ふんぎったわけでもなく、ただ冷笑して、笑い飛ばしていた。今になって、わかったのかもしれません。あの時、わたしが感じた不快感。それが、正体だったのでしょう。
「あの三人は、自分の夢を裏切ったのよ? だから、殺した」
ノゾミちゃんは言います。
「けれど、あなたは違う。まだしっかりと夢を追い続けている。だから、殺さない」
静かな声で、淡々と。どこか優しいその言葉は、わたしにとって残酷でした。
「殺しては、くれないの?」
声が、震えていました。先ほどまでは違った、恐怖と絶望にです。
「殺してほしいの?」
問い返されます。
「うん」
頷くわたしに、ノゾミちゃんは首を振りました。
「あなたは、殺さないわ」
「それじゃあ……!」
わたしは、膝を折りました。
「……これからも、ずっと。こんな気持ちを抱えたまま、生きていかなければならないの?」
かなわない夢を追い続けて。 どうしようもない気持ちを抱えたままで、生き続けていく。そんな人生、辛すぎます。
だったら、いっそ――
「…………!」
わたしは這いずるように、駆け出します。向かう先は、フェンスの向こう。その先へと。屋上から飛び降りるつもりでした。
ああ……これで、ようやく楽になれます。自殺。今までは覚悟がありませんでしたが、この一瞬でしたら、その勇気を振り絞ることができました。
――けれども。
気が付けば、屋上に仰向けに転がっていました。
「…………どうして」
飛び降りたはずが、身体がふわりと浮かび上がって、優しく運ばれてきたのでした。
ノゾミちゃんが、見下ろしてきます。
「だから、言ったでしょう? あなたは殺さない」
無表情だった顔に、薄い笑いが浮かびました。
「そして、死なせない」
夢を追い続けている限り、わたしは死なない。
諦め切れない限り、わたしは死ねない。
……いいえ、諦めても、死ぬことは許されない。
ノゾミちゃんは、言いました。
殺す条件は、夢を裏切ること。
あの日、ノゾミちゃんの前で願った自分の夢を、馬鹿なことだったと、本気でなかったと……無意味なことだったと、嘲笑って吐き捨てること。無価値だったと、踏みにじること。
そんなこと、わたしにはできません。
できるわけが、ありません。本気だったから。今でも、本気だから。それを否定するなんて、できるわけがありません。
「…………っ!」
食いしばった歯から、呻きのような息が漏れました。
――それが、わたしの絶望でした。
◇
それから、また十年。
わたしは、まだ生きています。
描いた夢は、かなっていません。
ノゾミちゃんの言葉通りでした。
たとえ手首を深く切っても。線路に飛び込もうとしても。睡眠薬を大量に飲んでも。わたしは、死ねませんでした。
切った手首は、再生していきました。
飛び込もうとした足は、その場で動きを止めてしまいました。
飲んだ睡眠薬は、意志に反して吐き出してしまいました。
夢を裏切るか、本来の寿命を迎えるか。
そのどちらかを満たすまで、わたしは死ぬことはできません。
どんなに死にたくても。
どんなに辛くても。
どんなに、苦しくても。
「ねえ、わたし……本気じゃなかったの」
だから、殺して。
「小説家なんて、ガラじゃなかったの」
もう、楽になりたい。
「あんな夢、馬鹿馬鹿しかったよ」
だから、死なせて……!
「――嘘ね」
ノゾミちゃんの声が、聞こえます。
「そんな上っ面の言葉だけでは、無意味よ。あなたの本心は、全然違うわ」
だから。
……わたしはこれからも、生き続けるのです。
一生、夢を諦めきれない。これは、むしろ彼女自身の呪いではないでしょうか?




