12(最終話)
*****
誰がただ言いなりになって死ぬかよ。
魔術師は、王子に呪いをかけながら心の中でほくそ笑む。
自分の命と引き替えに竜の力を召喚し、王子の身に陥れる。そして呪いの呪縛で王子と竜を一体化させた。人の身には辛い、人にとっては永遠にも思える命と、莫大な力を王子の身に宿す。その力はその身を守るために体を竜へと変えた。
竜の力を体にとどめるのは、呪いの鎖。
王子が竜へと姿を変えた直後、魔術師は自分の呪いが体から消え、王子への呪いが完成し、そして自身への解呪が完了したことを知る。
満足だ。
魔術師は目を閉じた。
思い浮かぶのは自身を陥れた貴族の連中だ。薄汚い顔を思い浮かべてあざ笑う。
ざまぁみろ。人を呪って、のうのうと暮らしていけるなどと思うな。物事には相応の対価っつーのが支払われるのが、理ってもんだろ?
魔術師は、自分の命が消えるのを感じながら、ゆっくりと重いまぶたを開けた。竜はまもなく奴らをこの国から消すだろう。
死ぬ間際に、白銀の鱗に覆われた竜となった王子の姿を目に映す。自身の刻んだ呪術が、手枷足枷となって手足に文様を刻み、そしてその顔に最も色濃く呪術の跡を残す。
きれいじゃねぇか。
すくっと立つ竜の姿は荘厳な神々しさすら感じる。
それがあんたの本質なんだろうよ。
醜く竜に変えられても、呪術の文様をその体に刻んでも、その清廉潔白な心根のままに、白く美しい姿だった。
竜は、じっと魔術師を見つめている。その目に憎しみはなかった。
「なんだぁ? 哀れんでんのか?」
くくっと魔術師は笑う。
王子よ、あんたは、ちょいと人がよすぎるかもしれねぇなぁ。てめぇを呪った魔術師なんか踏んづければいいものを。
けどなぁ、そんなあんただからこそ、あんたが立派すぎるぐらい立派な王子だって知ってるからよ、ちょっとだけ、仕掛けをしておいてやる。ま、単なる俺の腹いせでもあるけどな。
王子よ、一つだけ、救いを残してやる。残酷な呪いのその先に、一つだけ希望を組み込んでやる。最高の絶望によってこの呪いが解かれた時、最高の祝福がおまえに降り注ぐことを約束しよう。
……それをあんたに教えてやることができないのは、残念だけどな。
*****
「姫ぇぇぇ!!」
己にかけられた呪いが完全に解けたのが分かる。白竜であった男は叫んだ。
力の抜けた体を胸に抱いた。
ぬくもりのあった体が大気にさらされ、あっという間に冷えてゆく。胸に突き刺さる憎き短剣を引き抜くと、怒り任せに投げ捨てた。
血が巡るのをやめた体は、傷口からどろりと血をこぼすのみ。
「姫……!!」
ただ呼ぶことしかできなかった。呪いは解かれた。人となったこの身が証拠。
白竜には、姫が何を思って命を絶ったのかわかっていた。
姫は、白竜の未来を守ろうとしたのだ。姫の解呪をすれば人から恐れられ迫害される未来は避けられない。結果、姫と過ごす数十年の後訪れるであろうどうしようもない孤独から、白竜を守ろうとしたのだ。
姫は、自身が亡くなってからのことをずっと気にしていた。その姫が、そんな白竜の未来を受け入れられるはずがなかったのだ。姫は確かに、命をかけて白竜を守ったのだ。
けれど。
「こんなこと、望んでなどいなかった……!!」
強く、強く、力をなくした冷たい体を抱きしめた。
呪いなど解けずともかまわぬ。その後千年にわたろうとも、訪れる孤独がいかほどの物か。今このとき、姫を失う苦しみと比べるべくもなかろうに。姫と共に過ごすはずだった数十年と引き替えになるのなら、その後の平穏をなくすことなど惜しくもなかったというのに……!
どれだけ恐れられようと、どれだけ憎まれようと、どれだけの犠牲を払おうとも、数多の罪なき命を犠牲にしようとも、すべての人間から侮蔑の対象になろうとも!!
男から止めどない涙があふれる。
けれど、彼女は、失われてしまった。
とくん。
小さな鼓動が、姫の胸を打った気がした。
男はそれを強く抱き寄せたがために、胸から血があふれたのだと思った。
これ以上少女から血の一滴たりとも損なうまいと、力を緩め、血の気の引いたほほに触れた。
吐血で汚れた口周りをぬぐう。美しい顔に血は似合わない。
ぽたり、ぽたりと彼女の顔に落ちる涙を、何度もぬぐった。
彼女は失われた。もう後はどうなろうと、どうでもよかった。この体はもう人の身。竜の体とは違い刃物一つあれば死ぬこともかなうだろう。
一度は投げつけた彼女の命を奪った短剣を、再びたぐり寄せる。
もう未練など何一つない。そなたと共に、この世を去ろう。
身を寄せて血の気の引いた頬にほおずりをする。竜の体であった頃から姫の体に何度もしてきた行為を、人に戻った体で今一度する。
ああ、これほどまでにそなたの体は柔らかかったのだな。
触れた場所から溶け合ってしまえばよい。これからも共にあり続けるために、一つになってしまえばよい。
せめて重なり合って逝くことは許されるだろうか。共に黄泉路へと旅立てるのだろうか。
涙に濡れた己の頬をすり寄せれば、柔らかな彼女の肌が、ほんのりと暖かさを伝えてきた。
それを愛しく思うと同時に、違和感を覚えた。
冷えるばかりの身体が、あたたかい?
まさかという思いがよぎる。
その時は己の体温が姫に伝わったのかと思った。
「……姫?」
震える声で、彼女を呼ぶ。
応えるはずがない。けれど、本当にこれは命を失った体の温かさだろうか。
望みすぎるあまり、思い違いをしているのではないのか。
けれど彼女の体が伝えてくる柔らかな暖かさは錯覚とは思えず、男は戸惑いを覚えた。先ほどまで冷えていっていると感じた体が、今は腕の中で確かに暖かさを伝えてきている。
指先でもう一度ほほに触れれば、ほのかな暖かさとともに柔らかな弾力を返してくる。
柔らかい。
命の灯火を消し、堅く冷えていくばかりだった体ではなかったのか。
「……姫……?」
ほほをなぞり、抱き寄せる。
暖かい。
女性らしい柔らかさと共に、やはりほんのりとしたぬくもりが伝わってくる。
一度血の気が引いた体が、とくん、とくんという小さな鼓動とともに、赤みを取り戻してゆく。
「……姫!」
即座に短剣が突き刺さっていたはずの傷口を確かめれば、血で赤く染まったその肌に跡形すらなく、傷ははじめからなかったかのようにふさがっていた。
*****
王子よ。
善く生きたあんたへ、祝福をひとつ残してやろう。
愛した者の死によって呪いは解かれ、解けた呪いによってあんたに縛り付けられていた竜の力は行き場を失う。その力の先を、その者への甦生に繋がるよう仕掛けておいてやる。
そしてそれらの一連の呪いの効果は、全て二人を結びつける絆となる。竜の力とは、この世界とは隔離された外の力。
よって力を分かち合った二人は盟約によって結ばれ、二人が共にいる限り周りに幸運が訪れる。そこにたどり着くまでの道のりが辛いほど、その幸運は強くなるだろう。
幸も不幸も表裏一体。必ずどこかで釣り合いがとられている。それは世界の理。
しかし竜の力は世界の理から外れる。よってその理は竜の身一つで起こり、竜の不幸は、竜の幸運によって釣り合いがとられる。竜の最大の不幸、最愛の者が己によって命を落とすという出来事は、解放された己の力によって相手が甦ることで釣り合う。それまでの不幸はそれ以降の幸運へと導く。
ざまあみろ。
魔術師は自分に呪いをかけた者たちをせせら笑う。
てめぇらが心底疎んだ王子は、いつか呪いが解ける日が来れば、最高の幸運を手に入れる。
解呪した後は、不幸を重ねた年月分、幸運となって降り注ぐ最高の幸福な結末だ。
誰がキサマらのような奴らの言いなりになって死んでやるもんかよ。
そのために、王子よ。俺は、あんたの最大の不幸を望む。
苦しめ、悩め、悔やめ、嘆け、怨め、苦しみ抜け、そして絶望しろ!
あんたの人生で最悪の不幸を迎えろ。だが、最後に笑うのは、あんただ。
絶望の先にある最後の祝福を受ける権利が、あんたにはある……!
王子よ、俺の与えた絶望にあきらめてくれるな! 己の生を全うしてみせろ!
王子、あんたに最大の絶望が訪れんことを……!!
*****
「……白竜様?」
閉じられていた瞳が、ゆっくりとそのまぶたを開いてゆく。
「……姫!」
「……?」
姫が首をかしげながら男の名を呼んだ。男は確かに己がそうであるとゆっくりとうなずく。
彼女の顔が驚きに彩られた。
そして混乱した様子でぱたぱたと手を動かしては、自分の頬に触れ、血にまみれたドレスや、短剣を刺したはずの胸元を見る。そして、どこも損なっていないことを確認すると、そっと自分を抱きしめるその人の頬に触れた。
「文様が消えて……じゃあやっぱり、呪いが解けて……? でも、わたくし……?」
「ああ、そなたが呪いを解いてくれた」
でも……と、混乱が収まらない姫に、白竜はわらう。混乱しているのは同じだ。だが今はこの喜ばしい混乱を思う存分味わおうではないか。
笑いながら、こみ上げてくる感情にたまらずその柔らかな髪に顔を埋めた。
「姫……よく、よくぞ、生きて……っ」
白竜はそれ以上言葉にならず、姫をただ抱きしめた。
この結末の仕業が誰であるのか、白竜はうっすらと予感していたが、それを確かめる術などない。
確かなのは、今ここにある幸運だけだ。
白竜でなくなったこの身を、国が受け入れてくれるかどうかはわからない。けれど、今の自分であれば姫と寄り添うことはできる。
これからどうなっていくかは、自身と姫次第だ。
けれど、どのような形であれ、共に居続けるのだろう。もう、この身は竜ではない。姫と添い遂げることができる。場合によっては浚って人に紛れて生きることもできる。選べる道は無限に存在するのだ。
もう手放さぬといわんばかりの抱擁に、姫がこらえきれず涙をこぼした。震える手がそっと腕を男の背にまわる。か弱い力だ。けれど男の抱擁に応えるようにぎゅっと力がこもる。
「ずっと、ずっと一緒です」
「ああ、どのようなことになろうとも、共に生きよう」
誓い合い、どちらからともなく口づけを交わす。
これだけ長く共にいたのに、初めてのふれあいであった。とても自然であるのに、とても新鮮であることがおかしくて、顔を見合わせて笑った。
その後、姫を抱き上げ白竜は城へと戻った。人の身となった白竜を、城の者たちは驚きを持って迎え入れることとなる。
しかし、まだその身に残された力は人にあらざるほどに強大で、男は後に魔術師としてその身を城に置くこととなる。長き時を生きた白竜の博識ぶりは国内でも一目を置かれ重用された。そしてついには賢者の名をいただくこととなるに至った。
数百年を生きた若き姿の賢者は、美しい姫と並ぶとたいそう絵になるとして人々の口に上った。その後、古の賢者と呼ばれた男は姫を娶り、その仲睦まじい姿は、幸せの象徴と後々まで語り継がれることとなる。
古の賢者は妻を害し国を陥れようとした組織の壊滅に尽力し、国の守護者であった魔術師としてその名を残した。
その国には、呪われた白銀の竜がいたという。
その竜は金の姫の愛によって呪いが解かれ、そして人となった後は、古の賢者と呼ばれ、妻となった姫とともに生涯国を護り続けたという。
それは、幸せな白銀の竜と美しい金の姫君の物語として、後世まで語られた。




