場外『黒多周の彼女』
場外すとおりい。
黒多周編
黒多周。
俺の名前を、読み方を間違えずに最初から言えるだろう人はとても少ない。
「くろたあまね君」
「……はい」
そう。俺の名前は黒多周。
周と書いて「あまね」と呼ぶ。「しゅう」とよく間違えられるのは仕方がない事だと思う。小さい頃からなので、もう慣れっこになってしまった。
俺には大好きな彼女がいる。
紹介したいが、残念ながら今彼女は皆に紹介できない立場にいる。
だけど、それは決して『夜の仕事をしている』だとか、『法に触れる仕事をしている』だとか、『国家の安全のため極秘で動いている』だとか『今は檻の中』だとかでは、決してない。
彼女の事は秘密。
俺と彼女だけの、
秘密の関係。
そんな彼女の誕生日が、ついに今月末に迫っていた。2ヶ月ほど前からずっと考え、考えに考えて考え抜いたプレゼント。
これは彼女も大喜びだ。
きっと満面の笑みを浮かべてくれるに違いない。と、早くも誕生日当日の彼女の笑顔を想像し、一人ほくそ笑んでいたのだが。
『これ、どう?友達と一緒に買っちゃった!』
そう嬉しそうに話す彼女の姿に、俺は一人絶望した。
一橋高校1年3組。
俺は隣に座る如月千春をチラリと見る。通常、俺はこの席の主ではない。だが、数学の時間のみ一番後ろの窓際、端から二つ目のこの席に座ることになっている。
それは、数学の教師でありクラス担任でもある男性教諭が、数学の時間のみ成績順で座らせているから。
勿論だが前の席にいくほど成績が悪い。
そして一番後ろの一番窓際、俺の隣に座る如月千春も例外ではない。
如月千春。
クラスで一番美人だと騒がれるほど綺麗な顔を持つ彼女。彼女に好意を持っている男は少なくない。だが、その大人びた雰囲気に圧倒されてか、美人過ぎる顔のせいか、男共はなかなか彼女に接近出来ないでいた。
まぁ、俺には俺の彼女の方が断然美人で可愛いと断言できるが。
そんな如月千春とは、数学の時間のみ少しばかり、ほんの少しばかり会話ができていた。
雑談ではなく勉学での、だが。
彼女は雰囲気と相違なく大人っぽい女性だった。気軽に話しかけられる感じではなく、あまり笑わないし、言う事は端的で聡明だった。
顔だけじゃなく頭もいい。
そんな如月千春に、俺は今日思いきって雑談をする事を決意していた。
雑談、と言っても俺にとっては一雑談ではないのだが。
「如月さん」
「…何?」
「ちょっと聞きたい事があるんですけど」
いつもとは違う俺の雰囲気に気付いてか、如月千春が不審げに俺を見る。
授業中だったので、俺はノートを一枚破りそこに文字を書き込む。それを半分に折り、隣に渡す。
面倒くさそうに紙を開いた如月千春は、中を確認して眉を潜めながら、数秒考えたのち、紙に何か書き込みこちらへと戻してきた。
もしかしたら怒って破り捨てるかもしれない、と思っていただけに少し驚いた。俺は紙を広げる。
《今、女子の間で流行ってるものって何ですか?》
《エナティード》
俺の文字の下に短く書かれた『エナティード』の文字。
エナティード、って…何?と、聞き覚えも見覚えもない言葉に首を傾げていた俺に、如月千春は紙を寄越せとばかりに手を伸ばしてきた。俺は紙を渡す。
如月千春はまた何か書き込んでいるらしく、先程より長めにシャーペンを動かしていた。
書き終ったらしく紙を俺に戻す。
《フランスの洋菓子のこと。デパートの地下になら売ってる》
エナティードとはお菓子の事らしい。
「…………」
お菓子、か。
プレゼントにお菓子ってどうなんだろう、と思ったが甘いもの好きな彼女の事だから喜んでくれるかもしれないなと考え直す。
俺は小さく「ありがとう」と隣の如月千春に言い、彼女は無表情で「いーえ」と小さく言い返した。
一応彼女の反応を見るため、忙しい彼女にメールを送った。勿論プレゼントだとは内緒で。
《エナティード?知ってるよ。あのくそ不味いやつでしょ》
…………。
俺の如月千春への聞き方が悪かったのかもしれない。
次の日、俺はまた思いきって如月千春に話を聞いてみようと決意していた。
一橋高校1年3組。
数学の時間。
ノートを一枚破りそこに文字を書き込む。それを半分に折り、隣の如月千春に渡す。
今日は何も言わずにすぐに紙を渡したのだが、如月千春は理解したのか何も言わずに紙を開いた。
中を確認して、怪訝そうな顔をした後、数分考えて紙に文字を書いた。
それを俺に戻す。
《女の人が好きなものって何ですか?》
《イケメン》
「…………」
イケメンって。
がくりと肩を落とした俺は、『イケメン』の文字の下に改めて文字を書く。
《出来れば【物】でお願いしたいんですけど》
紙を如月千春に渡す。彼女は、今度はすぐに紙にシャーペンを走らせた。
《鞄とか靴とか服とかネックレスとか。可愛いものなら何でも好きなんじゃない?》
具体的にどこそこのコレ、とかっていう情報が欲しいんだが。
と思ってその文字が書かれた紙を見つめていると、如月千春は手を伸ばし「紙をくれ」の合図をする。
紙を渡して数秒。
すぐに戻ってきた紙にはこう書かれていた。
《誰かにプレゼント?》
「…………」
するどい。
と言うか、気付かれても仕方がないのか?と思いつつチラリと隣の如月千春を見る。
彼女は前を向き、授業を聞いてペンを走らせていた。
俺に彼女がいることは秘密。彼女との関係は絶対に知られてはならないので、俺に彼女がいること事態喋らずにいる。何処からバレてしまうか解らないから。だから、如月千春のこの問いにも、俺は正直に話すことはしなかった。
《姉の誕生日プレゼントで迷ってて。何が言いと思いますか?》
俺に姉はいない。
如月千春は紙に書かれたその文字を見てチラリと俺を見る。そして、すぐにまた紙に文字を書き、こちらへと戻した。紙には短く、こう書かれていた。
《聞いとく》
あれから2日。
数学の授業がなかったので如月千春と話すことはなく、時間だけが過ぎて行った。
この間にも、俺は雑誌やネットなどで何が良いのか調べてみたが、コレ、というものは見つからなかった。
彼女の誕生日が刻々と近付いてきている。
一橋高校1年3組。
数学の時間。
聞いとく、と言って(書いて)いた如月千春。だが、隣の彼女が俺に向かって何か言ってくる気配は今だない。
催促するのも嫌なんだけどな、と思いつつわりと追い詰められている俺はノートを一枚破り、そこに文字を書き込む。
いつも通り隣にそれを渡す。
《あの、あの時の聞いてきてくれましたか?》
如月千春がそれを見て、何か書こうとした時、先生が突然変な事を言い出したので、クラス中が先生に注目した。如月千春と俺も例外ではない。
「お前ら、よく聞け。俺は少し野暮用が出来た。だから今から少し席を外す。だから自習してろ。以上。あ、あと絶対に騒ぐなよ」
それだけ言って先生は教室を出ていった。
唖然とそれを見送ったクラス連中。だが、先生が出ていき少ししたら自習になったのを良いことに騒ぎ始めた。
一番後ろの席から、騒ぎだしたクラスメイト達を呆れて眺めていた俺は、隣から声をかけられ横を向く。
解ってはいたが、それは如月千春だった。
だが、彼女が声をかけてくるとはちょっと意外だった。
「マドウェの腕時計、だって」
「え?」
「プレゼント。マドウェの腕時計が喜ばれるんじゃないか、って」
マドウェというブランドは聞いた事がある。雑誌にも載っていた。
だが………。
「高いですよね……」
「高いよ。いち高校生には絶対に手の届かない代物だね」
高級ブランド品なら確かに喜んでくれるとは思うが、買うお金はない。
「お姉さんにプレゼント、にしては高すぎるよね。まだ候補はあるんだけど」
「何ですか?」
「チータの帽子。色々種類があって結構人気らしいよ。その中からお姉さんに似合いそうなのをあげたら?」
帽子か、と俺は物思いにふける。前に、帽子を被っていた彼女を見たことがある。凄く似合っていた。そんな事を思いだしながら表情を弛めていた俺。そんな俺に、如月千春はまた声をかけてきた。
「帽子、好きなの?そのお姉さん」
「好きかどうかは知らないですけど……。でも似合うと思います」
「だろうね。黒多君の顔見れば何となく分かるし」
「……俺、何か変な顔してましたか?」
それには答えず、如月千春は「お姉さん、喜ぶといいね」とにっこりと笑った。
初めて見るその如月千春の笑顔に少々驚きながらも、帽子をプレゼントした彼女の喜ぶ所を想像して嬉しくなり、俺は笑顔で返した。
「はい」
「お姉さん、絶対喜ぶよ」
「ですかね」
「プレゼントありがとーって抱きついてくるかも」
「えっ!?そ、そそそそんな、だ、だだだ抱きつくだなんてっ!」
俺達にはまだ早いっ!
まだ早いって!
「黒多君はそれを受け止めてあげないと駄目だよ?」
「ぅえっ!?でも俺達にはまだ早いっていうかっ!そういうのは俺が卒業してからって決め…て……」
にこにこと笑っていた如月千春が、その表情を変えた。うっすらと笑うその笑顔。
俺にはそれが悪魔の微笑みに見えた。
「で、どこのお姉さんへのプレゼントなの?」
「……知人です」
「知人、ね」
「………」
それから間もなく、先生が教室に戻ってきて、教室内はまた静けさを取り戻した。
俺はノートを一枚破り、そこに文字を書き込む。それを半分に折り、隣に渡す。
これをするのも、もう何度目だろうか。
紙はすぐに戻ってきた。
《さっきの話、黙っといて貰えますか?》
《OK》
OKと書かれた文字に安堵し、授業に集中すべく黒板と先生に視線を戻して数十分。
隣から紙が渡された。
開いてみると、そこにはこう書かれていた。
《ミナトって言う花屋が駅近くのビル内にあるんだけど、そこに行ってみ。良いものあるから》
直後、チャイムが鳴り、数学の授業の終わりを告げた。
彼女の誕生日も終わり数日後。
一橋高校1年3組。
数学の授業時間。
俺はノートを一枚破り、そこに文字を書き込む。それを半分に折り、隣に渡す。
この行為にも慣れてきたもんだ。ノートの厚みが減っていくが致し方ない。
《ありがとうございました。プレゼント、凄く喜んでくれました》
《それは良かった。で、抱きつかれた?》
プレゼントを渡したときの事を思いだし、ぐわっと顔が赤くなってしまうのを制御出来ず、俺は顔を伏せた。
隣で笑う気配がありチラリと窺うと、如月千春が必死に笑いを堪えているのが見えた。
こんな女子だったとは聞いてもなかったし、予想してもいなかった。
絶対に腹黒だと思う。
笑いを必死で堪えながら、如月千春は手を伸ばす。
はいはい、紙ね。と、顔の熱と赤みがまだ引かない俺が紙を手渡して数秒。
返ってきた紙に書かれていた文字に、俺は小さく溜息を吐いた。
《黒多君の彼女が喜んでくれたみたいでなにより》
俺は素早く紙にペンを走らせ、如月千春に渡した。
《黙っといて下さいよ》
小さく笑う気配がして、如月千春から戻ってきた紙には前と同じく『OK』と書かれていた。
『くろたあまね君』
『……はい』
『せんせー、よく読めたね。優秀じゃーん』
『ふっふっふ、先生を甘く見てもらっては困ります』
『絶対間違うと思ってたのになー』
『くそーっ、俺間違う方にかけちまったぜ!』
『さすが先生。私は信じてたっ』
『こら、賭け事は駄目よ』
『周もびっくりだよなっ。お前、最初っから間違えられずにフルネーム呼ばれた事ないって言ってたし』
『あぁ…、うん』
『そうなんだ?じゃあ私の下調べの勝利ね』
そう言って笑った先生は凄く楽しそうで。
俺は何故か先生からずっと目を離せずにいた。
俺には大好きな彼女がいる。
紹介したいが、残念ながら今彼女は紹介できない立場にいる。
それは決して、『夜の仕事をしている』だとか、『法に触れる仕事をしている』だとか、『国家の安全のため極秘で動いている』だとか『今は檻の中』だとかでは、決してない。
彼女の事は秘密。
俺と彼女だけの、
秘密の関係。




