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3.婚約者

「……っひぁ!」


使用人の容姿をした少女は掃除用具を手に持って、廊下を駆け抜けた先に、視界に映った黒の短髪に金の瞳を持った美しい貴族の装いをした少年を確認して短く叫び声を上げた。


「っ失礼します、坊ちゃん」


シオンの斜め前にいたオレイアスはすぐにシオンの腕を掴んで、少女から見えないように、自分の背に隠そうと少し強い力でその腕を引く。

そして対峙し、睨みつけるのは目の前の使用人の、シオンと同じくらいかそれより幼い少女。


「今日は予めシオン様がバジル様の元へいらっしゃると申し上げていたであろう?何故使用人風情がここにいる」


その声色はいつものふざけたような裏声ではなく、シオンが聞いた事のないような低い、威圧するような声だった。

その声に圧倒されて少女は、声も出ないほどに震えてしまう。

すると、少女がやってきた廊下からバタバタと走る音が聞こえて来てそちらを見ると、血相を変えた恰幅のいい40代半ばくらいの使用人の女性。ゼェゼェと息を切らしながら土下座をする勢いで頭を深く下げた。


「も、申し訳ありません。ご容赦ください。我々の伝達がちゃんと行き渡っていなかったようで」


「そのような見苦しい言い訳などどうでもいい。かの四大名家の使用人がこのような失態を犯すなどと、恥晒しにも程があるだろう」


背中にいるシオンにもわかるほどに圧を放っているオレイアス。

シオンが様子を覗き見ると、少女を庇うべくやってきた使用人の方も頭を深く下げながら震えていたのがわかった。


「オレイアス。もういい、止まれ」


「っですが坊ちゃん」


いきなり使用人らを庇うようにオレイアスと対面したシオンにオレイアスは戸惑うような声を出す。


「彼女達が怯えているのが見えないか?」


「そのようなことはこの場では関係ありません」


「いや、関係ある。俺が不快だ」


「っそれは、申し訳ございませんでした」


「分かればいい」


オレイアスは可能な限りシオンの望みを果たそうとする。

それはシオンが物心ついた時からそうだった。

だからこのような、オレイアスがシオンの意志とは関係なしに動いた時、どう対処するかは熟知していた。


「お前達も気をつけろ。次はないと思え」


「は、はいっ」


「大変申し訳ございませんでした。シオン様」


使用人達は口々にそう言い残し、やって来た廊下を早足でまた引き返す。


「行くぞオレイアス」


シオンはオレイアスを連れてまた歩き出す。

オレイアスはそんなシオンの様子に思うところがあったが、シオンに従った。

実のところ、かの使用人の少女が犯した罪は、実に重いものであった。

当主であるバジルがこのことを知ったならば、彼女ら、または伝達ミスという名目で連帯責任として何人かの使用人が口を消されることになっただろう。

シオンをこの屋敷で見ることは禁止されている。

十年前からそうなのだ。


「アレでよろしかったのですかぁ?ご当主様に申し上げたら、彼らは死罪にでもなっていたでしょうに」


「それを俺が望まぬことなどお前ならとうにわかっているだろう?」


「……もぉ、坊ちゃんは優しすぎるんですよぉ」


以前、シオンと関わった使用人が死罪になったことが実際にあった。

――そしてその死刑を望んだのが、他の誰でもないシオンであったことを、オレイアスは知っている。


❖❖❖


「お久しぶりでございます。父上」


シオンは開扉早々、黒の髪に翡翠色の瞳をした40代半ばほどの男、この屋敷の当主であり自らの父であるバジル・ユースティアにそう告げた。


「……あぁ。久しぶりだな。俺はお前を息子とは思いたくないが」


その凛々しく、彫りが深い精悍な顔立ちの男はシオンの顔を横目で流し、ぶっきらぼうにそう返す。

明日で17歳を迎えるにも関わらず、未だにどちらかと言うと女らしい、中性的な顔立ちをしているシオンとバジルは二人が親子であることをすぐに見抜ける人間など居ないであろう程にはお世辞にも似ているとは言いがたかった。

二人の繋がりをかろうじて保っているのはその珍しい黒い髪だけ。


「そうですか。それで、今日は何用でございますか」


シオンは自分と目を合わせようともしない父親に対してかつては抱いていた期待が、今は最早その鱗片すら見せなくなってしまった自分を自嘲しながらそう零す。


「あぁ。今まで言っていなかったがお前には結婚相手がいてな、今夜お前を迎えに来るそうだ」


「……初耳でございますが」


シオンに背を向けて、空いた窓から吹く風に揺られるカーテンを見つめるバジルはどこか上の空のような様子だ。

そんな彼が話したことはシオンにとってはあまりにも衝撃的な事実であった。

思わず驚きのあまり目を点にさせてしまったがすぐに冷静を取り戻し、かろうじて声を絞り出す。

部屋の中には、彼ら2人の他にオレイアスが後方の扉の前で控えていた。オレイアスを横目で見るとシオンに気づいてうっすら笑みを浮かべているものだからおそらくは知っていたのだろう。

睨みつけるとまるで子供が急に怒り出した時の親のような表情を見せるものだから困ったものだ。


「そりゃあそうだろう。今初めて話したからな」


バジルは当然だとでも言いたげな声色で話すのだが何を開き直っているのかと問いただしたい。


「相手は、そうだな。お前のような世間知らずでも知った名だと思うぞ。アリアドネ・ディアーナ、それがお前の婚約者(フィアンセ)だ」


バジルの話すとおり、アリアドネ・ディアーナという名はシオンでも知っている。

ここ、フォルモーント王国が建国されるより前から生きる魔法使いであり、この国が建国されてからずっと影で支え続けてきた存在だそうだ。

故にこの国の歴史書には必ずと言っていいほど、どこかに名前が書かれている。

の割には彼女の容姿については一切の情報が秘匿されているものだからよく分からない人物だ。


「お言葉ですが、父上。その婚約、辞退させていただきます」


「お前に決定権があるとでも?」


「やりようならどうとでもございますが」


バジルは一瞬信じられないものを見るような目でシオンを見つめて、また目を逸らした。


「はぁ。お前には本当に苦労させられる。だが、これは決定事項だ。……お前との婚約を決める際、女王も立会人として出席していた。よって、この婚約を破ることは女王の決定を覆すということだ。ひいては、反逆罪として裁かれかねない」


「……なぜ俺なのでしょうか」


バジルの有無を言わないような話の締め方にシオンは戸惑いを隠せない。


「さぁな。俺は詳しくは何も知らん。女王とアリアドネ殿の要望だ」


そうして締めくくられた話にシオンはそれ以上踏み込んで問いただすことが出来ずに、黙り込む。

もちろんバジルからももう話すことは無いため少し気まずい雰囲気が流れた時だった。

一瞬にして部屋の床を覆う程の魔法陣が展開され眩い光がその場を包み込む。

思わず目を瞑ったシオンが次に目を開いた時、部屋の真ん中に見知らぬ女性を見た。

美しい白銀の絹のような長髪を後ろでひとつに纏めたまるで天使を思わせるかのような美しさを持つ女性。

彼女の纏う無地の黒のローブは、絹のような滑らかな素材でできているらしく高貴な存在であることが一目瞭然。

その紺と黄色が薄く混じったような夜空を思わせる瞳がシオンを捉えた時、確かにシオンの中で一瞬時が止まった。

その視線はシオンをすぐに通り越してその先のオレイアスと、バジルに交互に向けられる。


「やぁ、久しぶりだね。オレイアス。それからバジル殿」


「お久しぶりでございます。我が主。ここ十数年、このオレイアス、アリアドネ様に会えなくて寂しくて寂しくて死んでしまいそうでしたぁ」


「きさッ……!何しに、いや、……」


「まぁまぁ、2人とも落ち着いて」


何やらいつも以上に高い裏声を出すオレイアスと信じられないものをるような目で回らぬ呂律で何かを言いかけるバジル。

その二人を宥めるようにしてから改めてその女性はシオンの方に振り返る。


「それから初めまして、シオン・ユースティア殿。私は貴方の婚約者であるアリアドネ・ディアーナ。これからよろしくね」


「……初めまして」


そのアリアドネと名乗る女性は初対面のシオンにも人懐っこいような明るい笑みを向ける。

自身の婚約者、と言われてもあまりピンと来ないシオンは困惑したような表情をうかべる。


「それにしても、結界を張っていたはずなのだがどうやってここまで入ってきたんだ」


「そりゃあ見ての通り空間移動でしょ」


「ふん、お前には敵わんな」


「まぁそんな細かいことはおいといて、だ。話は聞いてたよ、シオン君。君に自由を与えてあげる。その代わり、私と一緒においで」


そう言って手を伸ばす美女、アリアドネ。

それと相対するシオンはというと


(いや、流石に展開が早過ぎないか)


そう冷静に頭の中でツッコミを入れていた。

仕方ないのだ。だって考えてみたらいい。

いつものように目覚めたら父親に急に婚約者がいることを告げられてそしたらその婚約者ご本人が突然現れ、更にはなんか謎の勧誘を受ける。

またおかしな夢でも見ているのかとボーッと差し出された手を見つめるシオン。


「他人に与えられる自由とは、真に自由と呼べるのか。その問いが今の貴方に迷いを与えているのなら、それは愚問だ。何故ならばここ以上に狭い場所は世界に無いし、私の隣以上に広い場所もこの世界には無いよ」


そんなシオンの様子に何を思ったのか、アリアドネのあまりにも唐突な話にシオンがバジルやオレイアスを見ると、バジルは気まずそうに目を逸らしオレイアスはニコニコと微笑んでいる。

つまりはそういうことなのだろう。そうシオンは自分を納得させる。


「アリアドネ殿。悪いがその話は一晩考えさせていただけないか」


「何を言っているんだ。今すぐにでも家を出ろ」


「落ち着きなよ、バジル殿。うーん、いい話だと思うんだけどな。理由聞いてもいい?」


「この家を出ることに対して異論はないが、第一初めて会う者と結婚しようとは思わない」


その感覚はこの世界において一般的な貴族の価値観からは大きくズレているものだった。

この国では、特に貴族の政略結婚は当たり前。成人を迎える18歳までには婚約を済ませておくのが常識だ。

それはシオン自身自覚済みであったが、前世の記憶を取り戻した今それはあまり重要でもないという認識に変わっていた。そもそも貴族と言っても彼はデビュタントも済ましていないような貴族もどきのような存在。


「そっか。じゃあしょうがない。一日考えさせてあげる。明日答えを聞きに来るとするかな」


意外と聞き分けがいいんだな、なんて感想が出てくるほどアリアドネは潔かった。

彼女はワナワナと震えるバジルに驚愕の表情を浮かべるオレイアス、そして固まるシオンの顔を面白いものを見る表情で見回したあと少女のような笑みを零す。


「それじゃあ、私はバジル殿と少し話をしてから帰るとするよ。シオン殿には退出願おうか」


一体いつからこの屋敷の主になったのだろうか。

そんな文句を垂れるのも少し面倒でシオンは小さく頷いた後そのまま部屋を出ようとする。


「……おい。家を出るのが一日遅れたのは構わん。その代わりに今夜は何が起きようとも決して部屋から出るな。ユースティア家当主の、最後の命だ」


「承知しました。父上」


最後の、を強調したその言葉は大きな隔たりにも、別の何かにも感じられた。

残念ながら後者であることを願うには断絶の時はあまりにも長かった。

そうしてオレイアスによって開けられた扉を通る。

最後にギィィという扉を閉める音が静かな廊下に響いた。


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