2.とある少年の決意
目を覚ました先にあるのはいつもと変わらない真白な天井。
(それにしても変な夢を見たな。もしかしたら疲れているのかもしれないな)
そう思いながら少年、シオン・ユースティアはもう一度ベッドの中で目を瞑る。
既に十分な睡眠をとっているためそれは寝るためでは無い。
思い浮かべるのはつい先程まで見ていた夢の内容。魔法のない世界で生きた1人の少年のおよそ17年間の人生だ。
『夢』と表現したが、シオンははっきりと理解していた。
アレは夢ではなく実際にあった出来事であり、あの少年は間違いなくシオンであったということを。
(異世界憑依、とやらか?いや少し違うな。俺は俺。シオン・ユースティアのままだ。だとすれば、ただ前世の記憶を思い出したというわけか。どちらかと言うと異世界転生が正しいらしい。まぁチート能力、だっけか?とやらは悲しいことに俺には無いらしいけどな)
前世と思わしき夢で見た漫画、というものを思い出す。
なにか大事な違和感が頭をよぎるが、それに気づかない振りをして。
(それにしてもアルカナの地か……。あの黒月?とかいう女が連れていったあの場所は一体何だったんだろうか)
未だ眩い夕日に照らされた空が、瞬きをする間に天満星の夜空にすり変わっていた。
あまりにも幻想的で、神秘的で、夢幻的なあの場所は、確かにシオンの来訪を歓迎し、歓喜し、祝福していた。
忘れられないほどのあの高揚感。恍惚としたあの浮き立つような熱狂。
――たしかにあの場所は、先程の夢の、魔法のない世界ではなくて、こちら側の世界にあるはずだ。
と、するならば、自分はもう一度あの場に赴かねばならない。そう、自分でも驚くほど冷静な頭でシオンは解釈した。
あの感覚への余韻を噛み締めた後、おもむろに何かを思い出したようにシオンは目を開いてベッドから立ち上がる。
向かう先は真白の部屋に似合う真白の机。椅子に座って引き出しから紙を1枚とり、羽根ペンにインクをつけて書き走る。
もうじき忘れてしまうであろうこれを自分の中で失くしてしまわないように。
コンコンッ
一定のリズムでノックが鳴り響く。
シオンはちらりと壁にかかっている時計を見るが朝食の時間まではまだ余裕がある。
「何用だ?」
扉の外側に聞こえるように芯の通った声で問いかける。
「旦那様がお呼びですわ」
「父上が?わかった。今行く」
バジル・ユースティア。
それがシオンの父にて、ユースティア公爵家現当主の名だ。
千年前にここ、フォルモーント王国が生まれた時から王族を支えてきた由緒正しき四大名家のうちの一角を担う一族の17代目である。
シオンは彼に会ったことがあまりない。
記憶に新しいのはおよそ7年前の10歳の誕生日の時だろう。
それは単にバジルが多忙である、というだけでは無いのだ。
まぁ何れにせよバジルは多忙であろうから、シオンもなるべく早く支度を済ませる。
鏡に映る自分の黒い短髪は前世の夢と少し似ていた気がした。たがやはり顔立ちや雰囲気は違うようで同一人物とは言い難い。
そして決定的な違いが瞳の色だ。
前世のシオンは黒目だったが、今では輝くような金の瞳である。
可能性は0に近いとわかってはいたが、異世界転移の可能性は確実に無くなった。
そこまで考えたところで、シオンはようやく立ち上がって、扉を開ける。
「オレイアス。父上の部屋まで案内してくれ」
「承知しましたぁ。坊ちゃん♡」
その特徴的な裏声で、片目をウインクさせながら話す執事の名はオレイアスという。
彼はシオンが生まれた時から彼に仕えている。
だというのに一向に見た目が歳を取らないのは彼がエルフ族だからだろう。
あの夢の中の世界とは違い、ここには人と同じ姿をしながら人間族では無い種族が数多存在している。その中でもエルフ族は長命種に数えられる。500年は軽く生きるのだとか。
藍色の切りそろえられた髪に茜色の瞳の、前世の世界では有り得ない見た目をしたその執事は一見するとシオンと同じかそれより少し年上の二十歳前後の見た目であるが、実際はそれ以上は生きているらしい。
そう。前世を思い出してわかったことだが、彼は他の人間よりも遥かに、美麗な、前世の世界で俗に言う『イケメン』の部類に入る見た目をしている。人に会う機会もあまり無かったからあまり気にしたことは無かったのだが。
だがやはり、それにしても中身が相当な乙女ならしく、残念なイケメンだなと嘆息せざるを得ない男だ。
「それにしても父上は何用だろうか」
頭の中で思考を逸らそうとシオンがオレイアスにそう問いかける。
シオンは屋敷の末端の部屋を与えられており、普段何をするにもバジルや、他の家族にも遭遇することは無い。
おそらくそれが目的でシオンを端に追いやっているだけあり、シオンも必要以上の屋敷の散策は禁じられており、ましてや屋敷から出たことなど古い記憶を探ってもあるかないか怪しい程だろう。
オレイアスはシオンの斜め前を歩きながら顎に手を当ててうーんと頭を傾ける。
「……確実とは言えませんが、婚約話では無いでしょうかぁ?」
「……お前は俺のような魔力無しの『忌み子』を婿にしたがる家が本当に存在すると思っているのか?」
「ゴホン。まぁまぁ、そんなにご自分を卑下なさるのはぁ、おやめ下さい。それに、相手は貴族とは限りませんよぉ?」
含みを持たせた様な言い分のオレイアスにシオンは、
「平民か?さすがの父上もユースティア公爵家当主として嫡男を平民の婿にするような真似はしないと思うが……。いや、つまりは爵位剥奪からの追放ということか……?」
と何やらブツブツと自分の世界に入ってしまい、オレイアスは「しまった」と手を口に当てる。
シオンが子供の頃から傍にいるオレイアスだからわかるのだが、1度こうなってしまえば長いのだ。
……シオンがこんな性格になってしまったのは、四大名家である公爵家の嫡男に産まれたのにも関わらず『忌み子』と呼ばれる存在であったことが深く関わっていることは説明するのだがそれを追及するのは今はやめておこう。
「今のはアタクシが悪かったですから、まぁたそんなにネガティブになるのはおやめ下さい……」
自らの手を揉みながら俯きながら何かブツブツと呟くシオンのご機嫌を取ろうと立ち回ったところで、
「まぁ、それはおいといてだ」
何も無かったのようにいきなりシオンが顔を上げたのでオレイアスは、それはそれは、驚いた。
いつもならば最低でも1時間はネガティブな思考から戻って来れないシオンがものの数十秒で帰ってきたため逆になにかの病気なのだろうかと慎重にシオンの出方を伺っているオレイアスを見ながら、シオンは少し思考を巡らせて再び口を開く。
「オレイアス。お前は俺がどうなろうと着いてきてくれるか?」
「……えぇ。アタクシは坊ちゃんの仰せのままに」
何処か真剣な様子のシオンに応えようとオレイアスも執事らしく胸に手を当て慎重にそう答えを返すと、シオンはその答えに満足したように微笑みながら自らの覚悟を話し出した。
「俺は父上の命がどのようなものであれ、この家を出ようと思う」
「それは正気でございますか?」
まるで今までのシオンからは考えられないようなその話を聞いてオレイアスは頭の中が白に染まるほどの衝撃を受けた。
今までのシオンだったなら、そうだな。どんな扱いを受けようとも家から離れようとはしなかっただろう。
そもそも、仮にも公爵家の嫡男として産まれ、家を出る機会すら与えられなかったシオンにとっては、家の外で生きるという選択が無かっただろうし、それを想像することも難しいことであった。
「あぁ」
「何があったかお伺いしても?」
あまりにも覚悟があるような様子でシオンが頷くものだからオレイアスは主人に対して失礼だとは承知しておりながらも重ねて質問をする。
「魔法がなくても自由に生きてみたくなった、というか生きれることを証明したくなっただけだ」
「左様でございますか。アタクシはアタクシの可能な限り坊ちゃんのその選択を尊重しますよ」
「はっ。お前らしい無責任な答えだな」
シオンが思わず声を上げて笑うのをオレイアスは酷く懐かしげに微笑を浮かべた。
……その時だった。彼らのすぐ隣にある渡り廊下から掃除用具を抱えた使用人の少女が飛び出してきたのは。




