【最終話】神話はどこまでも続いていく――
長い夏休みが終わった。
二学期が始まる。
登校途中、いつもの角で大和、蓮弥、真澄、咲良の4人は合流した。
ごくありふれた登校風景。
蝉時雨の勢いが弱まった通学路を、肩を並べて歩き出す。
ものすごい夏休みだった。
時空を超えた大冒険。
しかし、いざ現代へ帰ってみれば、それはまるで陽炎のように。
夏の幻のようにも思えた。
子どもたちが戦時下の日本へタイムスリップした事実は、誰にも知られず。
痕跡も、証拠も、何一つとして残ってはいなかった。
ただ、もし繋がりを感じさせる奇妙な符合を挙げるとするならば――
子どもたちが訪れた戦争資料館がしばらくの間、臨時休業したという小さな報道だけだ。
皇太子失踪のニュースは、一切なかった。
世間は、何も変わっていない。
唯一変わったものを挙げるとするならば――
それは、子どもたちの心かもしれない。
大和が両手を頭の後ろに組んで、空を見上げながら言う。
「ったく、とんでもねえ夏休みだったぜ!」
真澄も深い溜息をつきながら同調する。
「本当にそうよね。皇太子の陽仁くんと偶然出会ったと思ったら、そのまま戦時下の日本へタイムスリップしちゃうなんて。こんな非現実な出来事に、自分が巻き込まれたなんて、今でも信じられないわ」
咲良も頷いた。
「忘れられない夏休みになったね…」
一方、蓮弥はどこか名残惜しそうに、道端の石ころを軽く蹴った。
「ボクたちって凄いことをやってのけたんだよな。ぶっちゃけ、日本の歴史を守ることに貢献したんじゃない? それなのに人知れず、誰にも褒めてもらえない。誰か褒めてくれないかな~」
おどけて肩をすくめる蓮弥に、真澄が釘を刺す。
「やめときなさいって! タイムスリップしたなんて話。信じてもらえるわけないでしょ? 頭がおかしいと思われるのがオチなんだから。正直に言ったら“えらい目に”あうわよ」
その言葉には、身を持って味わったという感じの重みがあった。
青く高い空に、白く立体的で迫力に満ちた雲が浮かんでいる。
それはまるで、物語を感じさせるような形。
炎天下の公園で、夏休みの自由研究のテーマに『アジア太平洋戦争』を選び、みんなで調べようと決めたあの日も。
今日と同じような雲が広がっていた。
空を仰ぎ見て、大和がぽつりと独り言のように呟いた。
「……陽仁、元気にしてるかな?」
その名前が放たれた瞬間、蓮弥も真澄も咲良も、示し合わせたように空を見上げた。
この国の皇太子、そして一緒に戦時下へタイムスリップした“友だち”に、想いを馳せる。
しばしの沈黙。
その空気を振り払うように、蓮弥は軽口を叩く。
「いいよな~! 皇太子だったら夏休みの自由研究を忘れてきても、先生に怒られないんだろうな。あんな東京の真ん中のでっかい土地にも住めるし!」
だが、蓮弥の茶化しは不発に終わる。
みんな分かっていた。蓮弥自身も。
陽仁の背負うものの“大きさ”を。
大和が冗談とも本気ともつかない調子で言う。
「なぁ、次の休み。陽仁に会いに、皇居へ遊びに行こうぜ!」
蓮弥が難色を示す。
「もう気軽に会えないんじゃないかな? ボクたちみたいな一般市民に」
大和は平然とした顔で言い切った。
「そうか? 多分あいつ、国民の代わりに『孤独』になってると思うんだよな」
真澄と蓮弥が、大和を咎める。
「ちょっと大和、あんた失礼よ。『孤独』だなんて、大きなお世話よ」
「そうさ。皇太子に対して『孤独』なんて、不敬だよ不敬! せめて『孤高』って言い直さないと」
そんなふたりの非難をよそに、咲良だけは大和の言葉に理解を示す。
「皇室って、“普通じゃない”もんね…」
大和は反論を気にする様子もなく、何食わぬ顔で言う。
「どうだっていいけどさ、あいつに“寄り添おう”ぜ!」
「なんだよ、それ……」
蓮弥が力なく突っ込んだ。
天皇という存在。
この国の歴史と文化を規定してきた最大の象徴。
『自分は日本人だ。では、日本人って何だろう?』
『自分が生きているこの日本という国は、一体何だろう?』
その問いを突き詰めていくと、その象徴へと突き当たる。
もし、その問いに対する『答え』を引き受けているのが、天皇を中心とする皇室なのだとしたら。
それは確かに、蓮弥の言う通り“孤高”であり――
大和の言う通り、国民の代わりに“孤独”を引き受けていると言えるのかもしれない。
4人の視界に、小学校の校門が飛び込んできた。
その瞬間、思い出したように真澄が悲鳴に近い声を上げる。
「ちょっと! まずいわ! 夏休みの自由研究どうするのよ? 私たち、何も成果物を用意してないじゃない! 始業式の後、クラスで発表会があるのよ! 手ぶらでどうしろって言うのよ、もうー!」
大和は全く切羽詰まっていない様子で、のんびりと応えた。
「でもオレ、自由研究はもう一生分やった気がするけどな」
その達観したような、どこか遠い目をした大和に、真澄の怒りが爆発。
「何よそれ! 意味わかんない! 大和、あんたが言い出しっぺなんだから、責任取りなさいよ!!」
「なんでだよっ!?」
言い争いをする大和と真澄。
その横で、現実的な対応策を練る蓮弥と咲良。
「自由研究の発表の仕方、どうする?」
「何も見せられる成果物がないから、自分たちが『見てきたこと・感じたこと』を口頭で話すしかないね…」
みんなで始めた夏休みの合同自由研究。
『アジア太平洋戦争』
日本が滅亡しかけたという、そのインパクトに惹かれて選んだテーマ。
大和たちがタイムスリップしたあの時代は、日本が経験した、まさに極限の状態そのもの。
国家滅亡の瀬戸際ほど、その国の形や、そこに生きる人間の本性が剥き出しになる瞬間は他にない。
今、子どもたちは、日本国民として「当たり前」に平和に暮らしている。
その「当たり前」が崩壊しかけた瞬間にタイムスリップしたのは、もしかしたら――
歴史の底に沈んだ隠された真実、声にならなかった祈りを見つけ出して欲しい、と。
子どもたちをタイムスリップさせた“さざれ石”が提示した、真の宿題だったのかもしれない。
『当たり前』とは、一体何だろう?
現代の日本において、国民は皇室や歴史を意識せずとも、日々を平穏に過ごすことができる。
しかし、その「当たり前」は、戦前から戦後へ。
国が焼け野原となったあの極限状態を経て。
天皇という存在を、絶妙なバランスでシステムに組み込むことで維持されてきた、精巧な成果物。
世間は膨大な情報で溢れかえり、生き方や考え方も多岐に分かれ、社会の分業は極まっている。
このあまりに複雑化した日常に対応することに、国民は夢中になっている。
だから自国や皇室について考える余裕がない、もしくは無関心になってしまうのは――
何らおかしくはない。
それもまた、戦後というシステムが導き出した、ひとつの『平和の形』なのだ。
だけど――
私たちは――
子どもたちは――
心のどこかで――
『平和』は、国が守るものだと思っていた。
でもそれは、考えなくていい理由を国に預けているだけだったのかもしれない。
校門をくぐる。
見慣れた校舎、久々の登校だ。
そこには、“いつもの日常”が待っていた。
大和はその空気にすっかり感化されたのか、開き直った顔で言い放つ。
「ま、とにかくみんな、無事に帰れて良かったじゃねーか!」
その能天気な物言いに、真澄がすかさず悲鳴混じりの突っ込みを入れる。
「全然良くないわ! もう学校に着いちゃったのよ? 夏休みの自由研究、どうするの? 何もまとまってないじゃないっ!」
咲良からぽつりと、浮世離れした提案が。
「もう一度“さざれ石”を使って、夏休みに戻れば…?」
「それだ! 名案だよ、咲良!」
蓮弥が飛びつくが、大和が苦笑いしながら首を振る。
「それがさ……あのさざれ石、どっか行っちゃったんだよ」
「なんだ~! もうタイムスリップできないのか~!」
がっかりする蓮弥を余所に、真澄だけは安堵の溜息を漏らした。
「いいわよ、それで。もう時を超えるなんてしんどすぎるわ。こりごりよっ!」
騒がしく言い合いながら、校舎へ入っていく子どもたち。
その小さな背中を見守るように。
校庭のポールに掲げられた国旗が、風を受けて大きくたなびいていた。
白地に赤。
日の丸は高く、どこまでも高く。
誇りを宿して、空を泳ぐ。
この国は、続いていく。
どこまでも。
見上げる空は澄み渡り、突き抜けるような青が広がっている。
その果てしない奥行きは、もはや空間ではなく。
“時間”そのもののように感じられた。
まるで、悠久の歴史と永遠の未来を示唆するかのように。
またひとつ、風が吹き抜ける。
日の丸が、力強く音を立ててはためいた。
あの風は、どこからやってきたのだろうか。
これからどこへ向かおうとしているのだろうか。
過去から現在、そして未来へ。
風がそよぎ、時代は流れていく。
風が奏でる微かな音は、時がささやく声。
それはまるで、この国の永遠を祈る、詩のように。
日本という物語は、どこまでも続いていく――
【おわり】
最後までお付き合いくださった読者様へ!
ありがとうございましたっ!!




