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【第72話】三者会談・歴史の特異点

挿絵(By みてみん)


突如として、その少年は現れた。

マッカーサーと昭和天皇――

戦後日本の命運を左右するふたりの巨頭は、同時に目を見開く。

視線は吸い寄せられるように、場にそぐわない異質な存在へと釘付けになっていた。


陽仁(はるひと)

霜降りの毛織りの半ズボンに、折り目正しくアイロンの当てられた真っ白なシャツ。

質素ではあるが、どこか浮世離れした清潔感を放っている。

その中性的な装いは、意図的な“第三者”の空気を纏っていた。


静止した時間を、マッカーサーの陽気な笑い声が動かした。


「ハッハッハ! これは驚いた。部外者のサプライズゲストか! それもこんな幼い少年とは。扉の外に控えている我が軍の憲兵どもは、一体何を遊んでいる? 職務放棄でティータイムにでも出かけたのか?」


マッカーサーは余裕を誇示するように肩をすくめて見せた。

対して昭和天皇は、驚愕に目を見開いたまま、石像のように硬直している。

その瞳は、マッカーサーの好奇心的な眼差しではなく、狼狽が滲み出ていた。


「陛下、もしかしてこの少年はあなたの親類縁者ですか? さては、日本流の風習……いわゆる“余興”というやつですか?」


軽妙な問いかけに対し、昭和天皇は言葉を返せない。

膝の上に置かれた両手が、微かに震えている。


一方の陽仁は、全身が震えていた。

全力で走ったわけでもないのに、肩が激しく上下していた。

緊張は限界に達している。

今にも口から心臓が飛び出しそうなほどの動悸に、陽仁は必死に耐えていた。


マッカーサーも昭和天皇も、少年の次の一言に身構えている。

陽仁は心を落ち着かせる猶予を与えられたのだ。

だから深呼吸を繰り返し、そして――


「やめてください! それは……“間違った歴史”です!」


そう、思いっきり言い放った。



「……“間違った歴史”?」


昭和天皇が、陽仁から突きつけられた言葉を吟味するように呟いた。

揺れていた瞳が、一瞬にして鋭い拒絶の色に変わる。

その視線は、冷ややかさを帯びて陽仁を捉えた。


マッカーサーは面白がるように目を細め、隣の昭和天皇へ配慮を示すように、あえて柔和な声を出した。


「坊や、まずは名前を聞こうか?」


陽仁は震える拳を握りしめ、振り絞るように声を上げる。


「ダグラス・マッカーサー元帥閣下! ぼくは陽仁と申します。

未来から来た……日本の皇太子です!!」


マッカーサーは呆然と口を開けたまま、言葉を失った。

隣では、昭和天皇が青白い顔で硬く唇を結んだまま、微動だにせず陽仁を見つめている。


やがてマッカーサーは、喉を鳴らして笑った。

手元で弄んでいたパイプを、再び口へとくわえ直す。

会談の冒頭から、そのパイプには火がついていない。


「日本国の“未来の皇太子”とは。これはまた随分と高貴な肩書きをお持ちだ。……さて、陛下。この少年の身元について、何かご存知のことは?」


昭和天皇は、頬を引きつらせながらも、精一杯の冷笑を浮かべて応じた。


「どうかご容赦を。このような妄言を吐く無礼極まりない子供など、断じて知りませぬ。この場において『間違った歴史』などと、左様な不遜極まる物言いを許容する道理もございません。……おそらくは、精神の均衡を崩した迷い子なのでしょう」


マッカーサーは陽仁に向き直ると、今度は突き放すような、憐れみに満ちた視線を向けた。


「さて、自称『未来の皇太子』殿。残念ながら、ここは空想劇を披露する舞台ではない。これ以上の無礼は、米日両国の尊厳に関わる。……速やかにご退出願おうか」


マッカーサーは椅子を鳴らして立ち上がった。


「全く……我がアメリカ軍の精鋭たる憲兵どもは、どこで油を売っているというのだ」


その威圧的で大きな体格が、陽仁の前に立ちはだかる。


陽仁の背中に冷たい汗が流れる。


(まずい、このままではつまみ出されて終わってしまう!)


陽仁は焦る。


(何か、この絶望的な状況を打開する言葉を……)


迫る巨躯に、後ずさりながらも。


(マッカーサーという男の心を掴み、その足を止めさせる『魔法の言葉』を――!)


極限まで研ぎ澄まされた思考の淵で、陽仁はついにそのフレーズを掘り起こす!



「アイ・シャル・リターン」


その瞬間、室内の空気が凍りついた。


「……ッ!?」


マッカーサーの動きが止まる。

その眼光は驚愕に揺れていた。

対して昭和天皇は、視線を陽仁から外し、静かに顔を背けた。


“ I shall return ”


――私は必ず戻ってくる。


1942年、日本軍の進攻によりフィリピンを離れる際、マッカーサーが世界に向けて発した、あの有名な言葉。


陽仁は手応えを感じ、全身を襲う震えを意志の力でねじ伏せる。

そして満面の笑みを浮かべて、深くお辞儀をした。


「ダグラス・マッカーサー元帥閣下。貴方は約束通り、戻ってこられましたね」


マッカーサーの顔に、隠しきれない動揺。

彼にとって『アイ・シャル・リターン』は、単にフィリピンへの再上陸を指す言葉ではなかった。

彼の真の目的は日本を降伏させ、東洋におけるアメリカの正義を証明すること。

フィリピン奪還はその通過点に過ぎない。


1945年の今、こうして敗戦国の元首を前にして日本に君臨しているこの瞬間こそが――

彼にとっての【完全なる帰還(リターン)


(なぜ、この少年がその言葉を知っている――?)


マッカーサーの額に、玉のような冷や汗が浮かんでいた。


(それだけではない。この【帰還(リターン)】の意味を理解した上で、この少年は――!)


だが次の瞬間、彼はこらえきれなくなったように、笑い声を漏らした。


(この少年は――面白い!)



マッカーサーは、再び椅子へと腰を下ろした。

低く、唸るような声で。


「ふむ……これは面白くなってきた。で、自称“未来の皇太子”殿。この老将と陛下に、一体何の用だ?」


昭和天皇は依然として顔を背け、視線を床に落としたままだ。


(良かった……この場に留まれた……!)


陽仁は心の中で小さくガッツポーズした。

しかし安堵の溜息を飲み込む。

肝心なのは、ここからなのだ。


陽仁は、再び膨れ上がろうとする緊張を深呼吸して抑え込む。

そして、マッカーサーに向けていた視線をゆっくりと、だが決然と隣の男へと転じさせた。


「この人は、“本物”の陛下じゃありません! ぼくは天皇陛下を――」


陽仁は一瞬口ごもり、“あえて”言葉を選び直して続けた。


「ぼくはこの世界で、“ひいおじいちゃん”と沢山お話をしました。だからわかります。この人が、本物の昭和天皇の心を持っていないことを!」


その言葉に、俯いていた昭和天皇が弾かれたように顔を上げる。

それは正体が露見したことへの恐怖ではない。

自分の忠義を否定されたことに対する、剥き出しの憤怒。

陽仁は怯まない。

その怒りを真っ向から受け止め、さらに声を張り上げる。


「本当の昭和天皇は、あんな玉音放送なんか残しませんでした! 天皇制を自ら終わらせるなんて、そんな決断は歴史のどこにもありはしません!

でも、ぼくが『間違った歴史』だと先ほど言ったのは、単に事実と違うと言いたいからじゃありません!

ぼくが本当に伝えたいのは――

“天皇制が残った正史の未来”でも、日本はちゃんと『平和』になったんだっていうことですっ!」


マッカーサーは、噛み締めたパイプの吸い口を鳴らした。


「ふむ……。それが真実なら、素晴らしい未来ではないか」


口を閉ざしていた昭和天皇が、その重い唇を割った。


「その方、何者であるか。はばかりもなく、過ぎた物言いであるぞ。失礼にも程があろう!」


激昂し、椅子から立ち上がろうとする昭和天皇を、マッカーサーはその太い腕で制した。


「未来の皇太子殿。聞きなさい。今、まさにこの国は、『敗戦の果てに改革された国』ではなく、『自ら清算し、新たに歩み始めた国』という物語を歩もうとしている。それは実に輝かしい再出発だ。

君は、その物語とは異なる“天皇制が存続したまま平和になった日本”を知っているからこそ、黙っていられないのだろうが……」


マッカーサーの目に、凄みが宿る。


「しかし……君が知っているその『平和』を守るために、この世界が今、手に入れようとしている『平和』を、壊すというのかね?」


「それは――」


『平和』を理由に、別の『平和』を否定してしまう――その矛盾。


陽仁は、自分が本当に“未来を守りたい”のか、

それとも“過去を変えたくないだけ”なのか、突きつけられる。



ぼくは……

ぼくが見てきた現代を……

皇室の歴史を……

未来の日本を……

信じるだけ……


天皇制の、令和の日本。

皇居での生活。

この国の皇太子として過ごしてきた日々。

《象徴》として育てられ、淡々としながらも重責に満ちた日々の営み。


走馬灯のように駆け巡る現代での記憶。

その終着点。

その心の奥底に沈殿していたものに、陽仁の手が届いた。


(ああ、そうだ……。分かっていたんだ……)


驚くほど頭の中が静まり返り、視界が鮮明になっていく。

胸の内にあった得体の知れないわだかまりが、消えていく。

だが、それは決して救いのような優しい感覚ではない。

むしろ、刃の切っ先を自らの胸に突き立てるような、痛切な覚悟だった。


(ずっと前から……『答え』は出ていたんだ……)


皇室に生まれながら――


皇室ってなんだろう?

象徴とは、どんな役目なんだろう?

国民に寄り添うって、どういう意味なんだろう?


その問いに、ずっと陽仁は揺れていた。

自身の存在に戸惑い続けてきた。


(だって、向き合うのが怖かったんだ……)


この戦後日本の重大な特異点に立ち、偽りの歴史を突きつけられた今、逃げ場はどこにもない。

いや、“最初から”逃げ場なんて、なかった。



マッカーサーと昭和天皇は、少年の潤んだ瞳、そして崩れそうなほど全身を震わせるその姿に、目が釘付けになる。


「ぼくは……」


「ぼくは……現代の皇太子です。将来、この国の《天皇》になる人間なんです! だからここで退くわけにはいかないんです!!」


震える声。

切実な叫びは、痛々しく。


今、ひとりの少年が、マッカーサーでもなく、昭和天皇でもなく――


自身に突きつけられた宿命の、残酷な『答え』と、対峙する――!



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