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【第45話】現代への帰還

挿絵(By みてみん)


「……あれ?」


夕暮れに染まる、靖国神社。

セミの声が、どこか名残惜しげに響いている。

大和(やまと)は、境内の石畳の上にぽつんと一人、立ち尽くしていた。


周囲を見渡すが、一緒にいたはずの仲間たちの姿はない。

蓮弥(れんや)も、真澄(ますみ)も、咲良(さくら)も──

そして、陽仁(はるひと)の姿も、どこにも見当たらなかった。


夏休みの自由研究で、かつて日本が滅亡しかけた“アジア太平洋戦争”をテーマに選んだ。

それで、みんなで靖国神社にある戦争資料館の遊就館(ゆうしゅうかん)にやって来た。

道中、陽仁と偶然出会って友だちになった。


それから――

そのあとは――


一体どうしたんだっけ……?


見上げた空は、鮮やかな茜色に染まっている。

けれど、その美しさにどこか喉の奥が詰まるような、もどかしい懐かしさを覚えた。

同じ“赤”でも、今の自分が見ているのとは決定的に違う空を、どこかで見ていた気がするのだ。

でも、それはなんだったのか思い出せない。


「……オレ、何してたんだっけ?」


長い、本当に長い夢を見ていたような気がする。

ここではないどこか、とても遠い場所で。

そこで自分は、何かとても大変な思いをして――。


「あ~! もうっ! 思い出せねー!」


ひぐらしが鳴いている。

まるで、思考の迷路に迷い込んだ少年を、現実の世界へと呼び戻すように。


「ってか、なんだよ! みんなオレを置いて先に帰りやがったな~!」


夕焼けに照らされた参道を、大和は不満げに口を尖らせながら歩き出した。

頭の中には、いまだ《得体の知れない夢》としか形容できないイメージの名残が、こびりついて離れない。

その正体を掴もうとすると、記憶は砂のように指の間からさらさらと逃げていく。

けれど、放っておけば胸に刺さった棘のように、いつまでもチリチリと気にかかる。


もどかしくて、どうしようもなく歯がゆい。

そこでは、何かとても酷い目に遭ったような。

しかし同時に、忘れてはいけない大切な何かであったような気がしてならない。




改札を抜けると、帰宅ラッシュの波が大和を飲み込んだ。

ぎゅうぎゅう詰めの電車内。

手も足も、思うように動かせないほど。

でも――行きの時ほど、辛くない。


隣にいたサラリーマンが、ふと大和を見て首を傾げる。

こんな遅い時間に、子どもが一人で電車に乗っている。

だが、今の時代、塾帰りや私立校の通学で電車を利用する小学生など珍しくもない。

男はすぐに『そんなものか』と納得したように、興味を無くす。


大和は、車窓を流れていく都心の景色をぼんやりと眺める。

夜とはいえ、街は極彩色の光に彩られ、眩しいほどに輝いている。

それはまるで、過剰な栄養を注ぎ込まれ続けた“巨大な生き物”のように思えた。


空を切り裂くようにそびえ立つ高層ビルの群れ。

その足元を絶え間なく行き交う人々の往来。

この巨大生物を維持するための“血流”のようにも見える。

しかしその血の一滴一滴が、今の大和の目に、ひどく冷めきって映ってしまうのは何故か。


大和は視線を窓の外から、車内へと戻した。


疲れ切った表情で、宙を見つめる大人たちの姿。

大多数の人間は前を見ることすらせず、下を向いてスマートフォンを見ていた。

四角い画面に囚われ、そこから溢れ出す情報の濁流に溺れ、我を忘れている。

これほど多くの人間が密集している車内で、誰一人として隣の人間を認識しようとはしない。

いつもの、当たり前の光景なのだろう。

けれど大和には、大勢の中にいながら、誰もが孤独に沈んでいるように感じられてならなかった。


あれは何だったか――


明日の命さえ保証されなかった、どこか。

物質的な豊かさなど微塵もなかった世界。

でもそこには、間違いなく“生”の輪郭が鮮明に刻まれていた。

今日を生き延びる、という切実な目的が、人々の瞳に強い光を宿らせていた。

皆で手を取り合って、懸命に精一杯生きていた。


大和の胸は、違和感でざわつく。

目の前の人々には、“何か”が欠けている気がしてならない。

“生きていること”が、至極当然の権利であるかのように。

ただ無為に、流れるままに日常を送っている。

あるいは、氾濫する情報と目先の生活に追われ、“何か”を考える暇さえないようにも見えた。


しかし――


それでもこれが、きっと『平和』というものの正体なのだろう。

誰かに命を脅かされることもなく、明日が来ることを疑わない。

健全な幸福に、違いない……。





「ただいま」


玄関の扉を開けた瞬間、奥から母親の鋭い声が飛んできた。


「こーらっ、大和! 今何時だと思ってるの!?」


壁に掛かった時計の針は、すでに二十時半を回っている。

大和は俯いたまま、黙々と靴を揃えてゆっくりと立ち上がった。


「……今日は何だか、疲れたぜ」


リビングの机の上には、丁寧にラップがかけられた夕食。

炊飯器には保温のランプが点灯しており、その中には当たり前のように、白く輝く米が詰まっているのだろう。

主食があって、主菜があって、副菜がある。

そんな、そんな当たり前のような食卓。


「あんたね! ぼーっとして、反省してないでしょ!? "罰"として、もう晩御飯は抜きっ!」


追い打ちをかけるような母親の叱責に、大和は弱々しく応えた。


「分かった」


「えっ!? ちょっと、どうしたのよ?」


予想外の反応に、母親の声が裏返る。

大和の横顔には、深い影が落ちていた。

子どもには似合わない静けさ。

母親の怒鳴り言葉は、その沈黙に飲み込まれるように消えてしまった。


ついさっきまで、叱り飛ばす側の優位に立っていたはずだった。

なのに、目の前の息子は、今にも消えてしまいそうなほどひどく疲れ切っている。

怒りはいつしか動揺へと変わり、おどおどしながら、大和の顔を伺ってしまう。


「……もういいわ、先にお風呂に入ってきなさい」

「あーい」


気の抜けた返事をして、大和は浴室へと消えていった。


「夏休みの自由研究で戦争を調べるから、資料館に行くなんて言ってたけれど……」


大和の母は、独り言をこぼしながら溜息をつく。


「小学生にはまだ刺激が強かったみたいね。本格的な歴史の授業は中学生からだというし。やれやれ……」


そう言って肩をすくめ、台所へと戻っていった。




浴室の扉が閉まる音。

蛇口から勢いよくお湯が流れる音。

その湿り気のある音に包まれて、大和はようやく、肺の奥に溜まっていた重い空気を吐き出すことができた。


気が遠くなるほど長い一日だった。

一週間、いや、それ以上をどこかで過ごしてきたような感覚。

だというのに、その長い時間を埋めた具体的な出来事が、思い出せない。


湯船に浸かり、ぼんやりと天井を見上げる。


(オレ……本当に“こっちの世界”に戻ってきたのか?)


不意に湧き上がった疑問に、大和は自分自身で当惑した。


(戻ってきた? どこから? 何言ってんだ、オレは……)




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