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【第41話】大和・陽仁編⑥空襲・炎の雨、聖域を目指して

挿絵(By みてみん)


22時37分


「ウッ、ウッ、ウッ、ウッ――!」


静まり返った室内を、突如として激しい音が引き裂いた。


短く途切れる断続音。


それは、敵機の接近を知らせる“警戒警報”ではない。

今まさに頭上に爆弾が降り注ぐことを意味する“空襲警報”だった。


「……っ!?」


陽仁(はるひと)は跳ねるように布団から飛び起きた。

心臓が激しく脈打っている。


「警戒……いや違う! いきなり空襲警報だ――!」


陽仁は隣で丸まっている布団を激しく揺さぶった。


大和(やまと)、起きて! 空襲警報だよっ!」

「…んぁ? なんだよ……やっと寝付けたのに。どうせまた空振りだろ……」


大和は布団を被り直し、むにゃむにゃと寝言を漏らす。

このサイレンこそ、本物の死神の到来であることを、まだふたりは知らない。


その時、襖が激しい音を立てて撥ね飛ばされた。


「お前ら、早く起きろッ!!」


飛び込んできたのは、(きよし)だった。

普段の余裕ある雰囲気は微塵もなく、切羽詰まった形相だ。


「ぼやぼやするな! もうすぐそこまで敵機が来てやがる!」

「……え、マジ……?」


清の怒声に、ようやく大和がガバッと起き上がった。

その瞬間――


『ドォォォォン……』


遠くで地面を揺るがすような地響き。

これまで聞いたどの音よりも近く、重く、腹の底に沈み込むような響き。

廊下では泉美(いづみ)が、救急袋を肩にかけ、すでに避難の支度を整えていた。


「大和くん、陽仁くん、早く! 早く!」


泉美は切迫した声をあげ、手招きしながら大和と陽仁を玄関へ急かす。

陽仁は震える手で靴を履こうとするが、指先がもたついてしまう。


「……クソっ、本当に来やがったのかよ……心の準備できてねーのに!」


大和もまた、同じように震える手で防空頭巾を被る。


令和の少年たちが、人生で初めて“本当の死”と直面する夜が、ついに幕を開けた。




家の外へ飛び出した瞬間、大和と陽仁は言葉を失った。


『ヒュルルルル……ヒュルルルル……ッ!!』


空を裂く不気味な風切り音。

それはまるで焦熱の雨――

死の流れ星が、町に降り注いでいた。


「うわぁ……」


陽仁の口から、乾いた声が漏れる。


そこには、もはや夜の闇など存在しなかった。

町全体が巨大な炉の中へ放り込まれたかのように。

大気は赤黒く淀み、地上の炎が照り返している。

まるで昼間のように、しかしその明るさはおぞましい。

風が尾を引くように鳴き、頭上から無数の“光”が降り注ぐ。

夜空を埋め尽くすほどの赤い光の筋が、真っ直ぐに落ちてくるのだ。


「……きれいだなぁ」


大和は、呆然と空を見上げたまま呟いた。

不謹慎な言葉だが、本能的なものだった。


暗黒の空から零れ落ちる、何千、何万という火の滴。

それはまるで、この世の終わりを祝う花火。

残酷なほどに輝く、流星群のようではないか。


「見惚れてるんじゃねぇ! 焼夷弾だぞっ!!」


清の怒号が、大和の鼓膜を打ち叩く。


直後――


『ズガガガガッ!』


凄まじい衝撃音とともに、隣家の屋根へ光の柱が突き刺さった。

まばゆい閃光。

粘り気を帯びた炎が、周囲へ飛び散る。


さっきまで“綺麗”に見えていた光の正体。

それは、触れたものすべてを焼き尽くすまで消えない、地獄の業火だった。


「うわぁ――!!」


大和と陽仁は、恐怖で足が竦みそうになるのを必死に堪え、泉美の手を強く握りしめた。

清は燃え盛る火の手を睨みつけ、決然と踏み出す。


「防空壕へ向かうぞ! すぐそこの空き地だ! 走れ!!」


沿道をなぞるように燃え広がる炎の中、駆け抜ける。

道端で、ひとりの女性が必死に叫んでいた。


「バケツリレーよ! 誰か、バケツを繋いで!!」


焦げた臭いと熱風の中、その声は虚しく宙に散る。

誰も足を止めない。

皆、脇をすり抜けるようにして、ただ前へ、前へと駆け抜けていく。


先導する清も。大和と陽仁の手を握り、必死に後を追う泉美も――

振り返ることなく、その叫びの横を走り過ぎた。


町の規則では、《空襲時には一致団結して消火に当たること》と定められていた。

だが、それは紙の上の空論に過ぎない。

猛烈な熱風が吹き荒れる中、ちっぽけなバケツの水で、いったい何ができるというのか。


「無理だ、逃げろ! 死にたいのか!」


誰かが、吐き捨てるように怒鳴った。




「防空壕が……見えてきたわ!」


泉美が、近所の空き地にある横穴の開けた壕を指差した。

大和と陽仁の胸に、ほんの一瞬だけ安堵が灯る。


――助かった。


そう思った、その刹那。


「待てッ! 入るな!! 中は酸欠だ!」


清の叫びが、ふたりの足を地面に縫い止めた。


そこは――すでに、死で埋め尽くされていた。


壕の中では、逃げ込んだ人々が折り重なるように倒れている。

誰ひとり、動かない。

外で燃え盛る炎が、壕の中の酸素を吸い尽くした。

彼らは焼かれるより先に、静かに、気づかぬまま息を奪われていたのだ。


「ひぃぃいい゛ッ……!」


大和と陽仁の、声にならない叫び。


目を閉じ、眠っているように見える。

それなのに――

もう、二度と彼らは目を覚まさないのか。


大和と陽仁は、生まれて初めて目にする遺体の山に、言葉も、涙も、恐怖すらも凍りつかせる。



「……川だ! 川へ走れッ!!」


清の叫びを合図に、4人は再び地獄と化した町へ駆け出した。


「大和、陽仁、はぐれるなよ! 離れたら死ぬぞ!」


降り注ぐ火の雨は、なおも止まない。

ただ、頭上に落ちてこないことを祈りながら、煙に咽ぶ路地を走り抜ける。

道端には、誰かのものだった生活の断片が、無数に散らばっていた。


片方だけの靴。焦げた茶碗。割れた鏡や、踏み割られた写真立て。

そして、竹馬。薄汚れた人形。


「……あ」


陽仁の視線が、そこに吸い寄せられる。

町で、子どもたちが遊んでいたものだ。

昭和の戦時下であっても、令和の放課後と変わらぬ笑い声が、確かにそこにはあった。

それが今、逃げ惑う群衆の足に、無慈悲に踏みつけられていく。


「陽仁くん、前を見て! 止まれば焼かれてしまうわ!」


泉美が陽仁の手を強く引っ張った。


道路の向こう側では、背中に火をつけたまま、狂ったように走り回る影があった。

もはや人の形を保っておらず、ただ燃え盛る塊にしか見えない。


誰にも、立ち止まり水を浴びせる余裕などない。

次にそうなるのは、自分かもしれないのだから――



「川だ! 川が見えてきた!」


叫んだ声の先に、人々が群がる川辺が見えた。

だが――そこにあったのは、救いではなかった。


「……ッ!?」


絶句するしかない光景。

水面は、落ちた焼夷弾の油で燃え上がっている。

炎が川を覆い、望みそのものを焼き払っていた。


それでも、構わずに飛び込む者はいた。

だがその後、熱湯と化した川水に飲み込まれて二度と、浮かび上がってこない。

他にも溺れるようにもがき、叫び、沈んでいく人々の姿が、至るところにあった。


「どこへ逃げればいいんだよ!? 全部、火じゃねーかっ!」


大和が、喉が裂けるくらい高らかに叫ぶ。

気づけば、右も左も、背後も――

空さえも、黒い煙と赤い炎に塗り潰されていた。


上空では爆撃機B-29が、円を描くように飛び続けている。

焼夷弾は逃げ道を塞ぐように、落とされていた。

それは人々を火の檻に閉じ込め、一人残らず焼き尽くすための計算された、文字通りの《殺戮》。


(アメリカ)は――

本気で、住民を皆殺しにするつもりだ。



「風上へ逃げるんだ! 止まるなッ!」


清の叫びに従い、4人は地獄の業火の中を、ただ必死に走り続けるしかなかった。


逃げ惑う住民の叫び声。うめき声。泣き声。祈る声。

すべてが、燃え盛る炎と黒煙の中へ飲み込まれていく。


火の粉が舞い、熱風が容赦なく肌を焼く。

どれだけ走っても、四方の路地はすでに紅蓮の炎に塞がれていた。

先頭を行く清が、歯を食いしばり、苦渋の表情で足を止めた、その時。


煤にまみれ、国民服を真っ黒に染めた男が、煙の奥からふらふらと現れた。


「……沼田さん!? それに、陽仁くん、大和くんも!」

「三篠さんじゃないか! 無事だったか!」


宮内省に勤める、隣組の三篠(みしの)だった。

しかし――状況は変わらず、逃げ場所がない。


「私に、“考え”があります。ついてきて下さい!」

「三篠さん、どこへ……!?」


三篠は、はっきりと前を指した。


宮城(きゅうじょう)の外苑へ逃げるのです。あそこなら広い広場があります。周囲に燃えるものがなく、石垣と深いお堀が、火を遮ってくれる。格好の避難場所になり得ます」


その言葉に、清と泉美の顔が瞬時に強張った。


「な、何を言うんだ、三篠さん! あそこは恐れ多い聖域だぞ! 俺たちみたいな下々の人間が、勝手に足を踏み入れたら……近衛兵に何をされるか……!」

「そうですわ……不敬罪で捕まってしまいます……!」


戦時下の国民にとって、宮城は“神聖にして、侵すべからず”の場所。

死の恐怖よりも、天皇の御座所を汚すことへの“(おそ)れ”が勝ってしまう。

それがこの時代の人々の、骨の髄まで染みついた常識だった。


(宮城……? 皇居か! 確かに、あそこなら……)


陽仁は、一歩前に出た。

大人たちの前に立ち塞がるようにして、強く言い放つ。

その瞳には、迷いのない光が宿っていた。


「行きましょう! ひいおじ……」


陽仁は一瞬口ごもり、言葉を選び直して続けた。


「天皇陛下は、国民が自分の庭に逃げ込んできたからといって、それを罰するような方じゃありません! むしろ、国民が一人でも多く助かることを、誰よりも願っていらっしゃるはずです!」


その声には、理屈ではない“確信”があった。

大和も、清を見上げて叫ぶ。


「なぁ清さん! 今はさ、形式とかじゃなくて……命を守る時なんじゃねーの!?」


三篠は、深く頷いた。

泉美は黙って清の顔を振り返った。


清は、燃え盛る周囲の町並みと、自分以外の全員が見せる決意の表情を、交互に見つめる。

やがて、覚悟を決めたように息を吐いた。


「……恐れ多い神聖な場所だが、是非もねえ。分かった。宮城へ向かうぞ!」


「よっしゃ行こうぜ! 天皇の大豪邸に!」


大和の叫びを合図に、5人は火の壁を突き破るように、宮城の方角へと駆け出した。





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