【第25話】真澄編⑥特高警察の影
朝の光が九十九里浜の町に差し込む。
潮風が少し冷たく、海からの香りが漂っていた。
伍代は、夜ふかしでもしたのか、まだ寝ていた。
真澄は外出する旨の置き手紙を残し、玄関の戸を静かに開け閉めして外へ出た。
「う~ん、朝日が気持ち良い!」
太陽に向かって、背伸びをする真澄。
その顔には気力が満ちている。
「昨日はいっぱい泣いたわ。私、タイムスリップしてから泣いてばかり……。
決めたわ!もう泣かない! どんなに辛くても。次に泣く時は、嬉し涙よ!」
真澄は強かった。
少女は諦めていなかった。
挫折から立ち上がった。
「今日こそ……誰かに伝えなきゃ!」
史実のアジア太平洋戦争による、多大な命の犠牲を阻止するため。
滅亡寸前だった日本の、凄惨な敗戦の結末を回避するため。
戦争をすぐに止めさせる、その声を届ける。
真澄が次に目をつけたのはラジオ支局だった。
《日本放送協会(NHK)九十九里浜中継局》
東京本局からのニュースを再送信、地元の話題や災害情報を収集して発信しているらしい。
中波で九十九里浜沿い近隣の市町村に放送している。
真澄がこの中継局の存在を知ったのは、町にあった掲示板の張り紙で見かけたためだ。
地方とはいえ、マスメディアとして大きな役目を担う施設のようだった。
張り紙にはラジオ中継局の住所が載っており、真澄はそれをメモして、だいたいの位置を頭に入れていたのだ。
ラジオ局へ向かう道中、真澄は愚痴る。
(この時代にネットやSNSがあれば、もっと簡単に言いたいこと拡散できるのになぁ~)
(とにかく――!)
(もう、しのご言ってられないわ! 未来から来たことも隠してられない。正直に全て話そう!)
通りを曲がり、しばらく歩くと目的地が見えてきた。
近づいてみると、思ったより小さな建物だった。
トタン板で、”九十九里浜中継局”と書かれた看板が掲げられている。
建物の前に立つと、重厚な扉の向こうで職員の動く影が見える。
真澄は深呼吸を一つして、覚悟を決める。
「頑張れ私! 負けるな私!」
真澄は小さな手で扉を押し開けた。
「おはようございまーす!」
少女の軽快な挨拶。
受付に座っていた女性は予期せぬ小さな来訪者を見て、眉をひそめる。
「……あなた、どこの子? 関係者以外は中に入ってはいけませんよ?」
真澄はポケットから、自分が作った折り鶴を取り出し、受付の女性に差し出す。
「これ、どーぞ!」
折り鶴は"令和"でも、"昭和"でも、平和の象徴だった。
「みんなが戦争で苦しまないようにって、お願いです」
「……はぁ?」
「この国は、戦争で滅びかけてしまいます。沢山の人が死んでしまうんです。だから戦争を止めたいんです」
「何ですって?」
「戦争をやめようって、みんなに訴えたいです。私の声をラジオで届けて下さい!」
受付の女性は、怪しい言動の少女を警戒し、折り鶴を受け取ろうとしなかった。
「何を言ってるの? 大人をからかうのもいい加減にしなさい!」
その時、入口から中年の男性が入ってきた。
「いや~すまんすまん、町内放送の準備に手間取った」
受付の女性は肩をすくめながら、その中年男性に助けを求める。
「局長、変な子どもが押しかけてきて、困ってます!」
どうやらこの施設の責任者である、局長のお出ましらしい。
真澄は局長に向かって、折り鶴を差し出した。
「平和の象徴を、どうぞ!」
局長は特に何も考えず、少女から折り鶴を受け取った。
「おやおや、これは珍しい訪問者だね?服装も奇抜だし、東京からやってきたお嬢さんかな?」
「私、未来の日本からやってきたんです!日本を救うために!」
「これはこれは……こんなこと言う子は滅多にいないね。あっはっは!」
「笑い事じゃないんですーっ!私、これから日本がどれほど大変な目に遭うか知ってます! だから戦争をやめようって、みんなに声を届けたいんです! お願いです! 力を貸して下さい!」
真澄は思いの丈をぶつける。
しかし――
「だーっはっは!このお嬢さんは面白いね~!演技も素晴らしい~!」
局長は盛大に笑う。
唾もまた、盛大に真澄の方へ飛んだ。
「演技なんかじゃありません!日本が焦土になるのを防ぎたいんです!未来のことも全部隠さずに話しますから! お願いです!」
「……こりゃ、本当に面白い。分かった、奥で詳しく話を聞こうか?」
「局長!?」
受付の女性は動揺して立ち上がった。
「いやぁ、情報を発信する仕事に携わる者として、面白い話の種くらい、常に懐に忍ばせとかなきゃいかんからな。だっははっ!」
そう腹を抱えて笑いつつも、局長は受付女性の耳元でささやいた。
(分かってるって。本気にしてないよ。政府や軍の方針に沿わない内容を放送できるわけがない)
(『未来から来た』『戦争をやめろ』なんて、馬鹿げてる)
(ただ――)
(お嬢さんの話は常軌を逸していて、とても興味深い。何を語るのか楽しみだ。面白半分で話を聞くだけだよ)
局長は奥の小さな部屋の扉を開け、真澄を手招きした。
「さあ、こっちの部屋へ。机の向こうに座ってくれ」
真澄が部屋に入ると室内は放送機器がぎっしりと並び、壁にはケーブルが掛けられていた。
真澄は少し緊張した面持ちで椅子に座った。
机を隔てて向かいの席に腰を降ろす局長。
局長は机に折り鶴を置き、鉛筆とメモ帳を取り出した。
「じゃあ、聞かせてもらおうかな?」
(この人はちゃんと私の話を聞こうとしてくれる……)
(よしっ!私の知ってること、心置きなく話すわよ!)
真澄の真剣な表情と、局長の好奇心混じりの目が、静かに向き合った。
――数十分後。
局長は顔面蒼白になっていた。
鉛筆を持つ手は震え、メモ帳の文字も乱れていた。
額には玉のような冷や汗が浮かび上がっている。
話を聞く前の余裕の面持ちは、跡形もなく消し飛んでいた。
最初こそ、少女の話を娯楽的な創作話と受け取っていたが、徐々に背筋に冷たいものが走っていった。
話の内容が、根拠がないにも関わらず切実なほど具体的で、現実味、真実味を感じさせるのだ。
気づけば、笑って誤魔化せないほどの不安と危機感に局長は苛まれていた。
少女の話はこうだ。
大東亜戦争での、日本の快進撃は半年ほどで終焉するという。
その後のミッドウェー海戦での大敗を転機に、日本は敗走を続け、後退していく。
少女の口から"ミッドウェー"という太平洋郡の名前が出てくる事自体、不自然ではあったが。
その違和感、その明確さが、逆に信憑性を感じさせた。
政府も軍も、虚偽の報告で劣勢を国民に隠し続けるという。
早期講話の道が絶たれ、圧倒的な工業力を持つ米に、日本は窮地に追い込まれていく。
更に驚かせたのが、軍事情報の漏洩。
そもそも日本軍の暗号が米に筒抜けで、作戦を見透かされた日本軍は、多くの兵士が無駄に命を失うという。
この少女……なぜ軍の機密に関することまで……
戦争は長期化し、日本の国力や国際的地位が大きく低下する。
民衆の生活が一変し、未来への希望が奪われる。
やがて東京をはじめとする主要都市への空襲が始まる。
民間人の避難生活、焼失した街の惨状。
飢えと衛生環境の悪化に、苦しめられる。
さらに広島と長崎の都市には"原子爆弾?"という新型爆弾が落とされ、その威力はたった一発で都市を壊滅させるという。
なんなんだ……なんなんだそれは!?
この世を地獄に変える、悪魔の兵器ではないか!?
結末は、無条件降伏。日本は敗戦し、連合国に占領される。
敗戦後の社会混乱。
物資不足、治安悪化。
戦争孤児や家族を失った人々の苦しみは長年にわたって続いていくという。
――救いようのない絶望的な顛末。
少女の話は、終末の予言に相応しかった。
どこでそんな情報を得たのか。
どうしてそんなことを知っているのか。
真澄が詳細に未来を語ることの不可解さ、不気味さ。そして禍々しさ。
局長にとって真澄は、少女の姿をした、人の皮をかぶった別の何かに見えた。
(これは……見過ごせないな……)
戦時下の日本では、戦争に反対する思想や未来の悲観的予言は犯罪的に扱われる可能性がある。
ましてや戦局の否定的未来を具体的に語ることは、国家の体制や戦争指導を批判する危険な発言として捉えられる。
(私は……局の規則として、政府への報告義務がある。
この少女を、治安維持の関係者に知らせなければならない)
当初、局長は少女の話をある程度聞いてあげた後、そういう悲観的、反戦的な話はやめなさいと諭してあげて、真澄を帰す予定だった。
しかし――
話の内容は、許容できる域をはるかに超えている。
単なる反戦思想以上の"異常さ"。
不可解で不気味な存在は、戦時下では危険な思想家として処理されるべきである。
子どもであっても、それが免罪符とはならない。
「……ちょっとここで待ってなさい」
局長は深く息を吐いた後、ゆっくり立ち上がった。
真澄が目を大きく見開く。
「え? どこに行くんですか?」
真澄の問いかけに、局長は何も返さずに部屋を出ていった。
(どうしたのかしら?)
(もしかして――)
(トイレかな?)
真澄は局長の顔色が悪く、額に尋常ではない量の玉の汗を見ていた。
(きっと、お腹が痛かったの、我慢してたんだろうな)
(でも、ここまで真剣に話を聞いてくれた人は初めて)
(私の熱意が伝わった手応えを感じるわ!)
(おそらく、この後、私の声を録音してラジオでみんなに届けてくれるはず!)
それにしても、長過ぎる。
もう30分以上も待たされている。
真澄がそわそわしていると、外の廊下で靴音が近づいてきた。
重く、威圧的な足音――
嫌な予感。
部屋の扉が開け放たれた瞬間、真澄の予感は的中した。
真澄の希望は一瞬で消え、身体が恐怖で硬直した。
濃い紺色の制服の男がふたり。
見るものを威圧させるように背筋が伸び、眼光だけで空気を凍らせる。
それは――特高警察だった。
「あ、あなたたちは!?」
真澄は男たちに面識があった。
九十九里浜で会った、私を海へ放り投げた、あの男たち!
「小娘……!?」
相手も真澄に気づいた。
しかし驚いた表情も一瞬。
制服の男たちは表情を引き締め、冷酷に告げた。
「国家・天皇の統制に逆らう危険思想の者は、治安維持法に則り、逮捕する」
真澄の胸は締め付けられ、言葉にならない恐怖が全身を貫く。
それでも――怒りが、凍える感情を突き破った。
「なんで……なんでなのよ!」
真澄は局長に掴みかかった。
局長はうつむきながら、一歩後ずさる。
「……君は、異常すぎる……」
「何よ! 私の話、ちゃんと聞いてくれてたじゃない!!」
特高警察の一人が静かに近づき、真澄の肩に手をかけた。
力は強く、子どもを押さえるには十分だった。
真澄は暴れた。必死に抗った。
それでも、特高警察との力の差は歴然としていた。
(あ…ああ……捕まってしまう……終わってしまう!)
「お願い!話を聞いて! まだ間に合うから!!」
叫ぶ声も、特高警察の冷徹な制圧には響かない。
真澄は、身体の自由を奪われ、連行された。
机の上に置き去りにされた折り鶴だけが、真澄の行く末を心配しているようだった。




