【第24話】真澄編⑤だいっきらい!!
真澄は、日が暮れて外が暗くなった頃に帰ってきた。
「真澄、大丈夫だったか? 心配してたんだ」
戸口に立つ少女は疲れ切った表情で、目には涙を溜めていた。
そして、ボロボロになった手紙を握りしめていた。
「伍代さん……うまくいかなかったわ……」
伍代は黙ってうなずいた。
「仕方ない。それにしても、よく無事で帰ってきた」
真澄がどのような状況で手紙を渡そうとしたのか、伍代には分からない。
しかし、身柄を拘束されたり連行されるといった、最悪の事態は免れた。
行幸の体面維持か、或いは子どもという立場で見逃してもらえたか。
どちらにせよ、運が良い。
伍代は、真澄の手をそっと取る。
気の毒なほど冷え切った手。
少女の挫折の温度だった。
伍代は真澄を囲炉裏の前まで連れていき、そこに座らせた。
「……天皇陛下にね、手紙を渡そうとしたんだけど……ダメだった。受け取ってくれなかった」
真澄の濁声。
涙が一粒、二粒と、床の間に落ちた。
「ねぇ、天皇は……戦争をやめられる立場にあるはずなのに、どうして何もしないの……?」
震える声に、怒りと失望、混乱が交じる。
少女の瞳は、外の夜闇よりも重く、深く沈んでいた。
「殺し合いなんて……それも国同士よ?絶対にダメなことでしょ? 誰にだって分かるでしょ?」
真澄はボロボロの手紙を握りしめながら、自分でもわからない感情に胸を押し潰されていた。
悲しさ、悔しさ、虚しさ、怒り――
ごちゃ混ぜになった、この感情の名前を、少女は知らない。
伍代は深く息をつき、真澄の肩にそっと手を置いた。
「戦争を止めるってのは、簡単なことじゃないんだ。陛下一人でどうにかできるものじゃない。陛下だって、国の仕組みや人々の考えに縛られている。今すぐ止められないからって、陛下が戦争を望んでいるわけじゃないんだよ」
「何よ……天皇なんか、偉そうに。自分だけ大勢の人から守られて、安全な場所にいるくせに……!」
真澄の身体は小刻みに震え、秘めた感情は爆発寸前だった。
「真澄は、天皇陛下という存在、その立場について、まだ何も知らないんだ……」
「私、知ってるんだから。この後、日本のほとんどの都市が焼け野原になるの、私、知ってるんだからね! 手紙にも書いたのに――!」
真澄は伍代の手を振り払って立ち上がった。
少女の怒りと悲しみに満ちた瞳は、もはや子どもの瞳には見えなかった。
「みんな、みんな死んじゃうのに――!」
「真澄……落ち着いて」
「私……天皇なんか……だいっきらいっ!!」
「真澄!!」
伍代も立ち上がった。
低い声で、でも力強く響くように、少女に語りかける。
「そういうことを言うのは、ここだけにしておきなさい。"絶対"に、外で口にしてはいけないよ?」
真澄は少し顔を背けたが、伍代は続ける。
「それに、陛下には陛下の"役割"がある。真澄と同じ目線で、自由に動けるわけじゃない。わしらが見えないところで、周囲の意見を聞きながら、考えて、悩んで、決めることだってある。
真澄が感じている怒りや悔しさは、正しい。しかし、その感情だけで何かを決めつけたり行動すると、真澄自身が傷つくことになる」
真澄が小さくつぶやく。
「じゃあ……なに……?
日本を守ろうという、純粋な気持ちの兵隊さんが、戦地で死んでいくことも――
日本で暮らす一般の人たちが、空襲で死んでいくことも――
みんな"役割"だというの?」
「真澄……」
「日本だけじゃないわ! 大勢のアジアの人たちが殺されるのも、すべて"役割"で片付けるの!?」
伍代は目をそらさず、少女の目を真っ直ぐに見つめた。
「違う。誰も死ぬために生まれてきたわけじゃない。ところが、戦争というのは残酷で、無力な人が多く巻き込まれるものだ。
真澄が声を上げたことは間違ってはいない。だがな、感情だけで誰かを責めるのは、今は危険だ。真澄が自分の命を守ることも、大事な戦いのひとつなんだよ」
真澄は息を荒くしながらも、少しずつ、少しずつ肩の力が抜けているようだった。
伍代はそっと微笑む。
「真澄の気持ちは、きっと誰かの心に届く。ただ、今は自分を守って、冷静に次の行動を考えよう」
真澄は手をぎゅっと握りしめたまま、うなずく。
まだ目には涙を抱えている。
頬を伝った涙の跡が、囲炉裏の火に照らされ光っていた。
幼い顔に、激情の余韻が少しばかり残っていたが、落ち着きを取り戻してくれたようだ。
真澄が泣き疲れ、寝床に就いた後、伍代はひとり囲炉裏の火を見つめていた。
赤く揺れる炎の先に、揺れる陽炎が見える。
心が――揺れている。
床の間に残された、泥を被りボロボロになった手紙。
伝わらなかった、少女の想い。
届かなかった、未来の叫び。
手紙をそっと手に取り、伍代は静かに呟いた。
「これもまた、《証拠》と成り得るのか……」
真澄はこの時代で、懸命に生きている。
必死なって、本気になって、日本を凄惨な敗戦の未来から救おうとしている。
その小さな身体で。純粋な熱意で。
では――自分はどうなのだ?
全てを諦め、投げ出した。
未来の日本を救う。
それがたとえ、どんな形であれ。
その使命に燃える真澄と、使命を忘れてしまった自分。
忘れてしまったもの――
失ってしまったもの――
己の使命とは、掲げていた正義とは、何だったか――?
「わしは……どうすればいいのか……」
伍代は囲炉裏を黙って見つめる。
燃える炎から、返事が返ってくることは無かった。




