【第23話】真澄編④天皇陛下へ停戦直訴大作戦!
数日が経ったある日、町の空気がそわそわしていた。
「伍代さん、回覧でーす」
役場の人間が一軒一軒訪ねて、各家に小さな日の丸の旗と、垂れ幕の作り方を教えて回っている。
気づけば、町の民家の軒先には赤い丸がはためき、まるで海風が国旗の群れを連れ歩いているようだった。
「ねぇ、伍代さん、何か大きな行事でもあるんですか?」
真澄は、役場の人間が帰った後、軒下で旗を干していた伍代に声をかけた。
伍代は竹竿をくくっていた手を止め、かしこまった顔で空を仰ぐ。
「そりゃあな。天皇陛下が行幸・視察なさるってのは、そうそうあることじゃない。銚子の港は海軍の補給拠点になっとる。太平洋の観測所や最新の沿岸砲台もあるそうだ。そこの様子を、ご自分で見に来られるって話だ」
「見に来るって……どうして天皇がわざわざ?」
「陛下も知っとかにゃならんのさ。なんせ法律上、最も権威のある最高権力者だからな。すなわち、この国の“軍の頂点”でもある、ということだ」
真澄は首をかしげた。
「つまり……天皇は偉いだけじゃなく、物事の一番の決定権を持ってるってこと?」
伍代は少し考えて、言葉を選ぶように続けた。
「まぁ、そういうことになるか。陛下はこの国の統治権と統帥権をお持ちだからな」
真澄は黙って考えを巡らす。
そして閃いた。
満開のような笑顔を咲かせる。
乾いた海風が真澄の閃きを後押しするかのように、頬を撫でた。
「ってことは、『戦争をやめてくださいっ』て、天皇にお願いするのが、一番手っ取り早いじゃない!?」
伍代は苦笑し、竹竿を下ろした。
「真澄……そんな簡単なもんじゃないんだ。陛下にお会いできる人なんざ、そうそういやしない」
「でも、ぎょうこう?しさつ?に来るんでしょ? いつ来るの?」
「予定では明日……らしいが……」
少女はニヤリと笑った。
(最高のタイミング! やったー! きっと神様が私に味方してくれてるんだわ!)
「……まさか、何か企てる気だな……」
その日の夜、真澄は囲炉裏の明かりを頼りに、夜遅くまで手紙を書いていた。
何度も、何度も間違えて、書き直した。
そして遂に、納得のいく手紙が出来上がった。
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拝啓 天皇陛下様
お元気ですか?
私は未来から来た者です。
どうか、どうかこの手紙をお読みください。
いま、日本は戦争の真っ只中にあります。
最初は勝利の知らせに胸が高鳴ることでしょう。
しかし、この戦いはやがて国と人々に深い悲しみと苦しみをもたらします。
未来では戦争は長く続き、多くの尊い命が失われます。
家族や大切な人を失う悲しみは、言葉では言い尽くせません。
残るのは焼け野原になった日本と、敗戦という結末だけです。
だから、どうか陛下。
この戦いを一刻でも早く終わらせる決断をお願いします。
国の未来と、私たち一人一人の命を守るために。
私はまだ小さな子どもですが、心から願っています。
どうか平和の道を選んでください。
日本のすべての人が幸せでありますように。
心をこめて
敬具
2025年からやって来た小学6年生
梨本 真澄より
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翌朝、真澄は動いた。
「それじゃあ伍代さん、行ってきます!」
「どこへ行く? まさか?」
真澄はポケットに忍ばせた渾身作の手紙を伍代に見せる。
「戦争をやめてって手紙を、天皇に直接渡すんです。だって、それが一番早いんでしょ?」
伍代は黙ってその紙を見た後、静かに、それでいて叱るように言った。
「……真澄。やめなさい。危険過ぎる。捕まるかもしれないよ?」
「だって、誰かが伝えなきゃ! 私、覚悟してるもん!」
少女の声には、揺るぎがなかった。
伍代は、軒下の風にたなびく旗を見上げ、しばらくのあいだ何も言わなかった。
が、やがて渋々と口を開く。
「……せめて無茶はするな。陛下は銚子港の軍施設に寄る。通り道は駅前から漁港へ抜ける大通りだ。
あそこで旗を振る人の列に混じれば、姿は見えるだろう」
「分かったわ! ありがとう!」
「ただし、手紙を渡すなら侍従にしなさい。それだけは約束――」
伍代が言い切るよりも早く、真澄は家を飛び出していた。
波の音が、風の音が、普段より一層大きく聞こえる。
たなびく無数の日の丸の旗の中で、少女の胸の内だけが、静かに燃えていた。
銚子駅前の通りには、早朝から大勢の人が集まり、ざわめきが凄かった。
軒並みに連なる国旗が悠然と、それでいて威厳を湛えてはためき、壮観だった。
老若男女の町民が一同に集い、まるで海から風が押し寄せるように道の両側を埋めている。
「皆さんいいですかー? 手旗は肩より上! 下げないでくださいー!」
役場の人間が、声をかけている。
「陛下の車が通るときは、声をそろえて“万歳”を三唱してくださーい!」
人々の表情は、どこか張りつめていた。
ぎこちない笑みで、緊張の方が勝っている様子。
それでも互いに『国のためにありがたいことだ』と言い合い、誰もがその瞬間を待っていた。
真澄はその人波の中に紛れていた。
町の中心を貫く広い道。
沿道にはすでに憲兵と特高警察の姿がちらほら見える。
周囲を鋭く見張っており、腰には軍刀を下げていた。
それを見て、真澄の心臓の鼓動が早くなる。
太鼓の音が遠くで鳴った。
次の瞬間、ざわめきが波のように広がる。
誰かが叫んだ。
「来たぞ! 陛下のお車だ!」
黒塗りの車がゆっくりと通りに現れる。
前には軍の先導車、後ろには憲兵のトラック。
沿道の人々が一斉に旗を掲げる。
「ばんざーい!」「ばんざーい!」
群衆の声は、まるで波濤のようにうねりをあげた。
真澄の心臓は、今にも爆発しそうだ。
手紙を持つ手が、震えが、止まらない!
少女は手のひらに指で、“人”という字を3回書いて、飲み込んだ。
(私の、国を想うラブレターが、届きますように――)
車の列が目の前を通る。
(よし、今だ……!)
真澄は息を吐き、一歩踏み出して群衆から抜け出した。
先導車が通り過ぎ、護衛の列が後に続く。
そして車列がゆっくりと徐行の速度で進む。
黒塗りの車……窓は半開きだ。
真澄は地面を蹴った。
足元で砂利が飛び跳ねる。
風を切るように。
少女は、黒塗りの車へと全力疾走する。
群衆がどよめき、憲兵の怒号が響く。
「待てーーッ!!」
「天皇陛下! この手紙を受け取って下さいーっ!! 」
真澄の伸ばした手が! 手紙が! あともう少しで車窓へ届く――
(私の想い、届けーーっ!!)
真澄のすぐそばで火柱のような怒声が上がる。
憲兵が、真澄を押し倒し、そのまま地面に押し潰した。
容赦のない大人の力で、少女の腕を後ろへねじり上げる。
「痛ぁーいッ!!」
真澄の手から、手紙がこぼれ落ちた。
渡せなかった手紙が――
届かなかった想いが――
憲兵の足に踏まれ、泥にまみれてゆく。
黒塗りの車は速度を落とすことなく、ゆっくりと過ぎ去っていった。
「天皇陛下! 天皇陛下!! お願いです!! この戦争を――!」




