冷徹魔導師の介入
「アリシアは、俺の女にする」
その一言は、王宮の大広間に雷鳴のように響き渡った。
楽団員も令嬢も、そして王太子でさえ言葉を失い、空気が張り詰めていく。
アリシアは信じられない思いで、その声の主を見た。
人々を押しのけながら堂々と進み出たのは、眩い銀髪に黄金の瞳で無表情だがとてつもない美貌をもつ男――レオン・ヴァルト。
王宮にその名を知らぬ者はいない。
国外でも名を轟かせ最高峰と称される天才魔導師で冷徹無比。
人前で笑うことがなく、誰とも馴れ合わず、研究と戦場以外の姿は滅多に見せない。
噂では、魔法の才能は百年に一人の逸材だとも囁かれていた。
そんな人物が――今、自分を庇っている。
(なぜ……どうして、私なんかのために……?)
胸の奥に生まれるのは、驚きと戸惑い、そしてほんの少しの温もりだった。
凍りついていた心に、火が灯るような感覚にアリシアは戸惑う。
一方で、妹カトリーナは顔を引き攣らせていた。
優雅に笑みを浮かべていたはずの唇が、震えて形を失う。
(嘘……? あの冷徹魔導師が……お姉さまなんかを……?)
カトリーナの胸に渦巻くのは、信じられない怒りと焦りだった。
これまで常に自分が優れていると証明されてきた。
殿下も家族も、すべては自分のものだと思っていた。
それなのに、誰もが羨望する魔導師が――よりによってアリシアを「俺の女」と呼ぶなんて。
「レ、レオン殿……っ、一体どういう意味で?」
エドワードが声を震わせる。
自分こそが王太子であり、この場の主役であるはずなのに、存在感は一瞬でかき消されていた。
レオンは冷ややかな視線を彼に向ける。
「そのままの意味だ。彼女がお前ごときに侮辱される筋合いはない」
「ごとき……だと?」
エドワードの顔がみるみる赤く染まる。だが、誰も彼に味方しない。
人々の注目は、ただ一人レオンに注がれていた。
冷徹な黄金の瞳が、大広間を一望する。
その眼差しに射抜かれただけで、令嬢たちは小さく息を呑み、貴族たちは思わず視線を逸らした。
まるで魔力そのものが空気を支配しているようだった。
やがて、彼はアリシアの前に立った。
その存在感は圧倒的で、アリシアは思わず息を詰める。
「アリシア。もう耐える必要はない」
低い声が彼女の耳に届く。
冷たいはずの声なのに、不思議と心を震わせるほど優しかった。
アリシアの胸に、これまで決して味わったことのない感情が広がる。
それは守られているという安心――温かな安堵だった。
「レ、レオン様! その方はわたくしの姉でして……殿下が見捨てるのも当然のこと。無能で陰気な彼女など――」
カトリーナが必死に言い募る。だが、その言葉は最後まで続かなかった。
レオンが彼女に一瞥を投げただけで、カトリーナの喉は詰まり、声が凍りついたのだ。
黄金の瞳に射竦められ、全身から力が抜け、言葉は消えた。
「下らん」
冷酷な一言が落ちる。
「誰が無能かは、俺が決める」
その言葉は、アリシアの胸を強く打った。
これまで誰も肯定してくれなかった。存在を認めてくれなかった。
それなのに、彼は堂々と断言した――「俺が決める」と。
目頭が熱くなり、アリシアは思わず視線を落とす。
そんな彼女の手を、レオンはためらいなく取った。
温かい手が重なる。
長い孤独に慣れ切ったアリシアの心に、その熱はあまりにも強すぎて、震えが走る。
「この場にいる誰もがどう思おうと関係ない。アリシア、お前は今日から俺の女だ」
堂々とした宣言が、再び人々を震え上がらせる。
王太子の婚約者を奪うなど前代未聞。だが、レオンにはその非常識すら力に変えるだけの威圧感があった。
「待て、レオン! お前、王太子に逆らうつもりか!」
エドワードが声を荒げるが、レオンは冷笑を浮かべただけだ。
「逆らう? 違うな。お前が俺に敵うかどうかの話だ」
その一言で、再び空気が凍りつく。
魔導師としての力量差を誰もが知っている。エドワードに勝ち目はない。
人々の心にはっきりとした図式が刻まれた――この場を支配しているのは王太子ではなく、冷徹魔導師レオンなのだと。
レオンはアリシアの腰に軽く手を回し、その身体を抱き寄せた。
周囲が息を呑む。
彼はそのまま堂々と背を向け、アリシアを連れて歩き出した。
ざわめきと視線を背に受けながら、大広間を後にする。
アリシアは振り返ることができなかった。
ただ、握られた手の温もりにすがりつきながら――心臓が壊れそうに早鐘を打つのを感じていた。
(どうして……どうして、こんなふうに……私を……)
胸の奥で繰り返される問いに、答えはまだない。
けれど確かなことが一つあった。
孤独に凍えていた自分の世界は、今この瞬間、確かに変わり始めている――。