第6話 男爵令嬢ソニア ②
「ソニア、君……。今、クラウディアのことを悪役令嬢と呼んだよな」
あたしの叫びを、オルランド様が聞いていた……。
ま、マズい。
どうしよう。
貴族学院に通ってもいない、単なる男爵家の娘であるソニアが、会っているはずもない侯爵令嬢のことを。
悪役令嬢呼ばわりにしたなんて。
どうしよう。
さすがに咎められる……?
と思ったのに。
オルランド様は、思わずといった感じであたしの両手を取った。
「もしや、君にも前世の記憶があるのか⁉ ニホンの、あの素晴らしき『原作』、アニメ、そしてゲーム化された、あの物語の記憶が……」
「えっ!」
びっくりした。
ニホン、アニメ、ゲーム。
そんな単語、この世界には、ないのに!
期待に満ちたオルランド様の瞳。
ああ……。
「……美しき『原作』の世界。悪役令嬢クラウディアを排し、王太子オルランドと、心優しき男爵令嬢ソニアの真実の愛の物語。ここは、その世界のはず……です、よね?」
恐る恐る聞いてみたら。
オルランド様が、感極まったとばかりにあたしを抱きしめてきた。
「ああ! やっぱり! 君も知っているのかこの世界のことを!」
「アニメも見ましたし、ゲームもやりこみました。でも一番好きなのはやっぱり『原作』小説で。筋はありきたりですけど、オルランドとソニアの真実の愛を表現するフレーズ、原作者の表現力! 湧き上がる涙を止めることができないほどに、美しい文言!」
「ああ……分かる! 分かるよ! 例えば『旅人が幾日も砂漠を旅し、食べ物も水もなく。このまま渇いて死に、砂となって風に吹かれるのか……。そう思った瞬間に、オアシスを見つけた感動。それに酷似した思いがオルランドの胸に湧きあがったのだ』」
『原作』の一節を、オルランド様が言った。
ああ……、この人は……。やっぱり……。
「『失った半身。それを求めてどのくらいの年月を旅したのだろうか。もう、出会えることはない。もう、探しても無理だ。何度も涙を流した。もう、探すのをやめよう。繰り返し思っても、探すことをやめられなかった。その半身たるオルランドが、ソニアの前に現れたのだ。今、ここで。手を伸ばさねば。蜃気楼のようにオルランドは消え去ってしまうかもしれない。その恐怖は、オルランドが王太子であり、ソニアは男爵令嬢でしかないという身分差を、越えさせた。今、ここで、手を伸ばして、半身を取り戻す。それが魂からの叫びであった』」
『原作』で一番気に入って、何度も読み込んだ一節を声に出した。
「ああ、ソニア……、君にも『原作』の記憶があるんだね」
「ええ、オルランド様。あたしは、確かにニホンで、生きて、そして、あの『原作』を読みました……」
手と手を取り合って、瞳を見合わせて……。
そうして、あたしはオルランド様と同時に叫んだ。
「なのに、なんで悪役令嬢がいないんだ⁉」
「なのに、なんで悪役令嬢がいないの⁉」
もう、それからは。
あたしとオルランド様は、なぜこの世界に悪役令嬢クラウディアがいないのかを話し合っていった。
「あたしとオルランド様がこの貴族学園で出会っているし、名前も外見も一致しているから、絶対にあのお話の世界のはずなのに……」
「フェルナンデス侯爵家の令嬢、クラウディアはこの世界にも実在しているんだがな」
「え? いるのに、学院に通わないの⁉ まさか、クラウディアも転生者で、悪役令嬢をしたくないから、逃げているの⁉ 原作崩壊なんてひどいじゃない!」
「いやそれが……探りを入れさせたのだが。クラウディアは本当に病弱らしいんだ」
「えええええ⁉」
「倒れて、ベッドから起き上がれなくなって。言葉も赤ん坊のように『あー』だの『うー』だのしか言えないらしい」
「あたしたちの真実の愛を邪魔する前に、神様の罰をフライングで受けたカンジ?」
「かもしれないが……。どうもよく分からない」
「でも、とにかく、悪役令嬢って存在がいなければ、あたしとオルランド様の恋は、崇高でも真実でもなくて、ごくフツーの身分差のある恋でしかないじゃない。そんなの盛り上がりに欠けるわよ!」
「だよなあ……」
困惑したけれど。
悪役令嬢が不在のまま、それ以外はすべて原作通りに。あたしとオルランド様は、学園生活を過ごしていったの……。
続きます。
次回は、「とある酔っ払い」が登場です。