34. 母のエプロン
お題「エプロン」
玄関を開けると、家のにおいがした。住んでいた時には気づかなかった我が家のにおいだ。うちってこんなにおいだったんだな。当時は馴染んでいて感じることのなかったにおいに、懐かしさはない。
十数年ぶりに足を踏み入れた実家は、初夏の日が高い時間だというのに薄暗かった。居間の明かりをつける瞬間、カチカチッと小さく瞬いた。蛍光灯のままだった。
テレビ台の引き出しを開ける。保険証はすぐに見つかった。
貴重品の保管場所も家具の配置も、カーテンでさえあの頃のままだった。あの頃のまま色あせていた。
勝手が変わっていないのは助かる。押し入れから旅行鞄を引っ張り出して、母のタンスから適当に見繕った下着やタオルを詰め込んだ。
日曜だというのにトラブル処理のため課員総出で休日出勤をしていると、午前中、職場に電話があった。
警察からと取り次がれて、みんなの注目の中で出てみれば、母が交通事故に遭い、病院に運ばれたとの知らせだった。携帯電話番号を訊かれ、病院にも伝えてもいいかと言われ、断るわけにもいかなかった。
五分ほどで地元の大学病院を名乗る電話があった。実家の近所のスーパーは店の前が駐車場になっているのだが、ブレーキとアクセルを踏み間違えた車が、来店した母を轢いたらしい。手術が必要なのですぐに来院してくださいとのことだった。
上司に報告すると、当事者でもないのにたいそう慌てふためき、あれよあれよという間に会社を追い出されてしまった。
私はといえば、驚きはしたものの、心配よりも面倒だなという気持ちの方が大きかった。
母とは折り合いがよくない。はっきりいって悪い。決定的な決別するなにかがあったわけではないが、根本的に合わない人というのはいるものだ。たとえ親子であっても。
父がいる間はよかったが、その父が私の就職二年目に亡くなると、家はますます居心地のよくない場所になった。母には父の生命保険金があったし、使い切る前に年金受給も始まるはずで、私が家計を支える必要はなかった。私はまだたいして貯まっていない貯金をはたいて、一人暮らしを始めた。それ以来、連絡も取っていない。
警察とはすごいなと感心する。母に携帯電話番号は知らせていないから、知っている連絡先は当時の就職先だけだ。一度も転職していなかったからとはいえ、音信不通の娘につなぐとはさすがだ。
呼び出された病院に行ってみれば、待っていた警察から事情を説明され、入院費を含む治療費は加害者が負担することなどを伝えられた。職場の電話番号は、母の財布に入っていた私の名刺でわかったそうだ。就職して初めての名刺で、ずっと持ち歩いていたのか印字はかすれ、所属の課も現在とは違っていた。
それから主治医から怪我の状態と手術についての説明の後、同意書やら緊急連絡先やら家族構成やらひたすら書類を書かされた。最後に、保険証を持ってくるよう指示される。家の鍵を持っていないことを理由に逃げようとしたが、お母様の荷物はこちらですと渡されてしまった。つい、今日は無理なので近日中にとささやかな抵抗をしてしまい、事情を知らぬ他人にあたってしまったことに軽く落ち込む。同時に、私がそんな態度をとることになったのは母のせいだと思え、無性に腹が立った。
病院の正面玄関を出て、タクシー乗り場に向かう途中、道の向こうに花屋が見えた。見舞客をあてにしてるのか、病院の近くで花屋を見かけることが多い。ただ、この花屋がターゲットにする客層は見舞客ではないのか、店先にはカーネーションが並んでいる。ああ今日は母の日かと気づき、小さくため息をついた。
保険証を取りに来たついでに、入院に必要なものを持っていかなくてはならない。寝巻などレンタルできるものはレンタルですませてもらおう。病院の売店で手に入るものは買えばいい。母自身の金で。そこまで準備してあげる気はなかった。
母にしたって、今さら娘の世話になりたくはないだろう。私の職場を知っているにもかかわらず一度も連絡をよこさなかったことでもよくわかる。
念のため、二階や縁側、浴室の窓など、戸締りを確認する。近所に買い物をするための短い外出のつもりだったのなら、施錠漏れがあるかもしれない。母のためというより、なにかあって近所に迷惑をかけたらいけないという気持ちの方が強かった。
ガスの元栓を確かめるため台所に向かうと、ダイニングセットの椅子の背にエプロンがかけられていた。買い物に行こうとして、使っていたエプロンをはずしたのだろう。みすぼらしいほど使い古したエプロンだ。色あせ、あちこちほつれを直した跡がある。
まだ使っていたのか。感情の癖のように蔑みと苛立ちが沸き上がって、消えた。
私が高校の家庭科で作ったエプロンだった。完成を母の日に合わせたカリキュラムだったと思う。自分で使う当てもないので学校の指示通り母に渡したが、使っているところは一度も見たことがなかった。どうせ新しいエプロンを買うのを惜しんで使っているだけなのだろう。
母を、というより、高校時代を懐かしんでエプロンを広げてみる。授業中のおしゃべりに熱中しすぎて作業が遅れ、結局居残りして仕上げたんだっけ。そんなことを思い出す。
ふと、ポケットに触れると、乾いた音がした。探ると一枚のメモ用紙が出てきた。買い物メモのようだ。メモをしたのに、そのメモを忘れて買い物に行くとは、なんて抜けているのだろう。
メモをポケットに戻しかけ、手を止めた。改めてメモの内容に目をやる。
キャベツ
ひき肉
玉ねぎ
パン粉
トマト缶
クリームコーン
牛乳
小麦粉
軽くあきれる。年配の独り者がこんなにがっつりとしたものを食べるのだろうか。しかも自分のためだけに作るには面倒ではないだろうか。私が料理を得意としないからかもしれないが。
はっとする。
今日は、母の日。
いや、それだけじゃない。病院で書類に記入した日付を思い返す。今年の母の日は、私の誕生日でもある。
ロールキャベツとコーンスープ。私の好物だ。子供の頃の。
もしかして、と思う。帰ってくるはずもないのに、誕生日には私の好物を用意していたのだろうか。毎年、毎年。私の作ったエプロンをつけて。
メモをテーブルに置き、エプロンを丁寧にたたんだ。
それから、自分のバッグから名刺入れを取り出すと、現在使用している名刺を一枚、買い物メモの横に置いた。革製の名刺入れは、使い込んだ風合いが見て取れる。入社当時から使っているものだ。誕生日プレゼントもくれたことがない母からの就職祝いのプレゼントだ。
入院用の荷物を入れた旅行鞄を提げて実家を後にする。
そういえばと、病院の前に花屋があったことを思い出す。ベッドサイドにカーネーションの一輪くらい置けるだろうか。
そのうち、退院祝いにエプロンを贈ってやってもいい。エプロンくらい何枚でも買ってやる。
乗り込んだタクシーの窓から見る風景は、実家にいた頃は毎日通っていた道だ。今ではすっかり変わっていて、あの頃の感情すらよみがえってはこない。
道はすいている。病院には早く着きそうだ。
午後の日差しはすでに傾き、頬にやわらかなぬくもりが降り注いでいた。




