黒と黒
どうも初めまして。
雫石草介と申します。
こちらのサイト様を使わせて頂くのは初めてでございまして、何分不慣れなのですが、どうぞ宜しくお願い致します。
とある年の八月上旬、本作の主人公黒猫こと僕は、燦々と照りつける太陽の下、細幅のブロック塀の上でうたた寝を享受していた。
ここで皆さんに僕のの身の上を簡単に説明しておこう。進んで話したい事ではないのだけれど、まぁ礼儀として自己紹介はしなければならないだろう。
端的に言ってしまうと僕は捨て猫だ。
親が誰なのか僕は知らない。
とある駐車場に捨てられ(育児放棄というやつだ)息も絶え絶えと言った感じに死の間際を彷徨っていた僕を偶然通りかかった心優しい人間が拾ってくれた。
が、僕はお世辞にも品行方正な黒猫とはとてもじゃないが言えない黒猫だった。
糞尿を家の彼方此方に撒き散らす所為で家の中はいつも悪臭で満ちていたような気がする。自分自分そう思うのだから、人間からしてみれば堪ったものではなかっただろう。
反省すべきなのだろうが、僕は勝手気儘な猫だから反省なんてしない。当たり前だよね。
だって猫なんだもの。
そんな傍若無人な態度を取り続ける僕に対して、ついに飼い主が業を煮やしたんだ。
飼い主があの時見せた目と言ったら、怖いなんて形容の仕方じゃ足りない位の代物だったね。僕を拾ってくれた時の温厚で慈愛に満ちた瞳は何処に行ってしまったのかと思ったよ。それ程恐ろしかったんだ。まるで蛇に睨まれた蛙のような気分だったよ。
いやまぁ僕は蛙ではないから、蛇に睨まれた蛙が本当は何を思っていたのかなんて僕には理解出来ないのだけどさ。
兎に角君にも見せてやりたかったよ、あの飼い主の目を。
でもさ、感謝はしているんだ。
なんせ小汚い黒猫の僕を拾って立派な大人になるまで餌を与え、寝床を与えて育ててくれたんだからね。感謝こそすれ、憎むなんて事はあってはならないわけだ。
こうなったのも全ては僕の所為、自業自得というやつなんだよ。
そして、僕は晴れて自由の身となった。
人間たちの言葉を使うならホームレス、浮浪者というやつだね。人間だったら将来を悲観するあまり、無駄に悩んだり、落ち込んだり、時には手首を切ってみたり、馬鹿げた事をするのだろうけれど、僕はそんな事はしないんだ。だって猫だからね。猫は楽でいいよ。
まぁ本当の事を言うと暖かい家の中で、炬燵に身体を突っ込んで丸まって惰眠を貪りたいところなのだけれど、野良となった今ではそうも言っていられないわけで。
兎に角僕はこうして野良の黒猫になったわけだ。自己紹介が少し長かった気がするけど、もしも君の気に障ったとしたなら申し訳ない、許してほしい。
でもあれか、人間の通う学校なんかじゃ、長ったらしい自己紹介をクラス全員でするのが当たり前なんだっけ?
確か飼い主の娘がそんな愚痴を言っていた気がする。まぁどうでもいいか、そんな事は。
こう言うのを瑣末事って言うんだろ?
飼い主の口癖がこれだったんだ。
四六時中口を開けば瑣末、瑣末と連呼しているものだから、嫌でも覚えてしまったよ。
さて、そろそろ冒頭に戻るとしようか。
このままだと話が脱線し過ぎて、何処かも知らない終着駅に着いてしまいそうだからね。
いや、僕はそれでも構わないんだよ?
でも君たちは嫌だろう?
冒頭でも言ったように、僕はその日ブロック塀の上でうたた寝という惰眠を貪っていたわけなんだけど、まぁいつもの事だね。
家を追い出された後はいつも寝てるか、飯を調達しに行くか程度の事しかしていなかったから。
それで昼食を摂った後で昼寝をしていたわけだ。僕は友達と呼べる友達なんて一人もいなかったのだけれど、その日偶然そいつは僕の前に現れたんだ。
なんと言うか、これも飼い主の口癖だったのだけれど、まさに晴天の霹靂だったね。
空を見上げてもそこには真青の絵具が塗られているだけで、黄色の雷なんて一切無いと言うのに、なんで晴天の霹靂なんて言葉を作ったんだろうね? 猫の僕には皆目見当がつかないよ。
端的に言うと、そいつは烏だった。
漆黒の羽を纏った闇の遣いとでも言えばいいのかな。
僕の隣に細っこい今にも折れてしまいそうな、足を綺麗に並べて、そいつは僕を見下ろしていたんだ。
それにしてもなんて鋭い目をしてやがるんだ。まるであの飼い主のようじゃないか。
一瞬飼い主の顔が目に浮かんで、辟易してしまったよ。その位、こいつの目と飼い主の目は似ていたんだ。
「お前、何もんだよ。ここいらじゃ見ねぇ顔だな」端的に言って腹が立ったね。見ず知らずの黒猫に対する態度じゃないと思うんだ。
「関係ないだろ。さっさと失せな、この鳥頭」秀逸な返しだと思わないかい。僕はこれを言った時点で勝ったと思ったね。羽をバタつかせて、どっかの空に逃げて行くと思ったんだよ。
だけどさ、物事ってのはそう簡単に運ばないもので、そいつは微動だにしないで、僕を見下し続けていたんだ。
「失せるのはお前だよ、猫頭。ここいら一体は俺たち烏の縄張りなんだ。てめぇらみたいな小汚い野良野郎が来ていい場所じゃないんだよ」
参ったよ。人間の捨てたゴミ袋を毎日のように突っついている鳥風情に小汚いなんて言われるなんて、これこそまさに晴天の霹靂だよ。確かに僕は毎日シャワーを浴びているわけではないけどさ、そんなに汚くはないと思うんだよね。毛繕いもしてるしさ。
「ここが君たちの縄張り? そんなの誰が決めたんだい? 第一にここら辺は人間が途方もない時間と労力をかけて開拓した土地なんだよ。君たちの縄張りなんて実に馬鹿げた話だよ」
その時一瞬だったけど烏の眉間に皺が寄るのを僕は見たんだ。端的に言うと困惑しているような顔だった。どう切り替えせ馬いいのか分からないと言うような、そんな顔。
僕はこれを好機だと思って更に畳み掛けた。
「そんな事も分からないなんて、君はやっぱり鳥頭だな。その小ちゃい頭の中身は一体なんなんだ? ゴミ袋の端でめ詰まっているんじゃないのか?」烏の眉間の皺が更に深くなったのを僕は確認した。完全に勝った。これが論破と言うやつか。確か、飼い主の口癖の一つだったような気がする。論破と発言した後は、いつも決まって何とも形容し難い醜い顔をしていた。
勝ったと思い込んでいた僕は、その時ちょっと気が緩んでいたんだ。
ふと気付くと烏の鋭利な嘴が僕の眼前に迫っていて、今にも僕の顔面を蜂の巣にしようと狙いを定めていたんだ。
僕は大きな勘違いをしていたんだね。
烏が眉間に皺を寄せたのは、何も返答に窮していたわけではなく、怒りの所為で皺がよっていたんだよ。
完全に僕の勘違い。
その時の烏の目は、最初に見せた僕を見下した目とは全くの別物だった。飼い主が見せた目とも明らかに違う。烏の目には殺意が宿っていた。殺意の塊。その尖った嘴は、死を司る神が持つ大鎌のように僕の目に映った。
僕は反射的に跳躍した。跳躍の瞬間、ブロック塀が衝撃で壊れてしまうのではないかと危惧を覚える程の勢いで僕は跳躍した。
何処からともなくリンという鈴の音が聞こえた気がした。
しなやかな身体が宙を舞う。地に足を着け、全体重を下半身に乗せ、その刹那、全体重を上半身に移し、まるで人間のスプリント選手のようなスタートダッシュをきる。
この工程全てが一瞬の出来事。きっと烏を虚を突かれ、彫像のように固まっているに違いない。そう思って、後ろを振り返ったのが間違いだった。烏は猛然と大きな翼を羽ばたかせながら、僕を追って来ていたのだ。
鋭い眼光。獲物を捉えるハンターの目。
あまりの恐怖に身が縮む思いがしたが、それでも僕は走った。息が切れても、足が軋みを上げても兎に角走り続けた。




