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金色の鳥との出逢い

 月は煌々(こうこう)とあたりを照らし、石造りの床にくっきりとした影を落としている。静まり返った高い塔のてっぺんで、小さな影がベッドの上を転々としながら溜め息をついた。

 影は、この城の姫君、今年八歳になったばかりのレティシアだった。

 やがてあきらめたようにレティシアは、半身を起こした。

「眩しくて眠れないわ」

 お月様を見上げ、唇を尖らせて文句をいってみたが、本当はそうじゃない。お月様のせいなんかじゃないのだ。


 ぺたりと床に裸足の両足を落とすと、ひんやりとして気持ちがよかった。

「お母様。今ごろ、どうしていらっしゃるんでしょう?」

 簡素な綿の長い寝巻きの上に短いケープを羽織って、レティシアは窓の傍へ歩いていった。


 **..**..**..**..**..**..**..**


 この国は、元々レティシアの父が治めていた。レティシアは、末の弟王子だけ母が同じで、あとは母がそれぞれ異なる三人の兄を持つ唯一の娘として皆から可愛がられて育った。一番上の兄は、第一后妃の息子ですでに十八歳と成人しており、后妃はすでに亡くなっていた。

 二番目の兄は、正式な后妃ではなかったが、気も強く、それと比例して権力も強い妾妃の息子で、十七歳。歳も近いせいか、一番目の兄とは折り合いが悪く、ことごとく反発しあっていた。

 三番目は、第ニ后妃の息子でレティシアとは母も同じ兄妹であった。彼はまだ十一歳になったばかりで、利発で優しい兄であったが、身体が弱かった。

 丈夫で元気なレティシアに比べて、腺病質でいつも熱を出して寝込んでばかりいた。それでもレティシアにとっては、『優しい大好きなお兄ちゃま』であった。


 そして、一昨年の秋、父である国王が突然の病で亡くなった。

 ある晩に、「胸が苦しい」と一言いったきり、彼は二度とその目を開けなかった。神様の気まぐれで、ふいに命のろうそくの炎が、ふっと吹き消されたのだ。

 だが、母もレティシアも泣いているひまはなかった。まるでそれを合図にしたかのように、王位継承者の兄と二番目の兄が、流血沙汰の騒動を起こしたのだ。最初は、小さな火種だった。

 やがてそれは、領土全部を飲み込む大きな炎となり、血で血を洗うような血族同士の王座を巡る戦となった。

 一年にも及ぶ戦の後、勝ったのは二番目の兄、であった。母とレティシアは引き離され、別々の塔に幽閉された。

 身体の弱いレティシアの兄も、侍女によれば幽閉されたということだ。

 一番目の兄の行方は知れない。

 亡くなったのだという者もいれば、いや、どこかで再起をかけて潜んでいるのだ、という者もいた。レティシアには、どちらが本当かわからない。

 二番目の兄は言った。

「レティ、お前は女の子だし、私はお前が可愛いから殺しはしない。だが、自由に外へ出てもらうこともできないんだ」

 兄はその後、小さな声で、

「それにうちの母が、レティの母君を嫌っているんだ」

 と、付け加えた。

「あのおば様が?!」

 いつもレティシアにお菓子をくれて、頭を撫でてくれた人だったのに。きつい顔をしていても、優しい人だと信じていたのに。

 呆然としている間に、レティシアはたった一人でこの東の塔に幽閉されてしまっていた。

「人間の悪意には、果てしがない」

 と、言う言葉を八つになるかならないうちにレティシアは、身をもって実感することになったのだ。


 それから何ヶ月か過ぎ、季節もだいぶ変わった。

 秋が過ぎ、寒い冬が終わって、外は春の日差しが溢れている。だが、レティシアは外へ出ることは許されていなかった。唯一、幽閉されている塔の丸い部屋の周りにぐるっと巡らされた狭いベランダへ出て、空を見上げ、日光を浴びることしかできない。

 しかし、露台バルコニーの手すりは高すぎて、レティシアの身長では下を覗き込むことすらできなかった。

 見えるのは空と雲と太陽、星と月、感じるのは光と雨と雪、風と香り。他には何も見えない。

 せめて花や木でも見えるといいのだが、あいにく塔は庭の木々のどれよりも高い。

 時々気まぐれな小鳥がパンくずを貰いにやってくるが、

露台バルコニーが汚れます」

 と、いう侍女の一言で餌付けはあきらめざるを得なかった。

 このごろすっかり柔らかくなった春風の中に、かすかに花の香りが混じっていることもあって、レティシアは外をより一層焦がれていた。

 レティシアの世話をしているのは、こちらが話し掛けない限り、必要最低限のことしか話さない厳格で固い雰囲気の無口で愛想のない侍女でレティシアは、それも嫌だった。

 そのうえ一番いて欲しい夜になると、侍女は扉に頑丈な鍵をかけ、そそくさと下へ降りていなくなってしまうのだ。

 レティシアは、毎晩たった一人で長い時間を過ごさねばならなかった。まだ母親が恋しい年頃であるはずなのに、優しく撫でてくれる手もなければ、話し掛けてくれる声もない。レティシアの枕は、毎日涙に濡れていた。

 そんなわけでレティシアは、最近ちゃんと食べられず、ちゃんと眠れなかった。

 疲れていれば、それでも何とかなるのだろうが、狭い部屋の中では、存分に身体を動かすこともできない。

 部屋の中をぐるぐる歩き回るくらいしかすることもなかった。

「こんな時こそ、お勉強なさい」

 さすがにみかねた侍女が、何冊かの図鑑を持ってきてくれると、レティシアはすぐにその本に夢中になった。

 図鑑には、いろいろな国の植物や動物たちの絵が、綺麗な色刷りで載っていた。

「綺麗な色。綺麗なお花。可愛いウサギ」

 レティシアは、飽きずにその図鑑を何度も何度も読み返した。

 中でもお気に入りなのは、南の大陸に住むといわれる大きな翼を持つ金色のゴールデンバード、別名がDragonBirdドラゴンバードという美しい鳥だった。

 それは体長が6フィート(1.8メートル)にもなるという巨大な鳥で、片翼だけでも18フィート(5.5メートル)に近く、羽の色は濃い金茶色をしていた。両翼を広げたら、いったいどれだけになるのだろう、この部屋いっぱいになるのだろうか。レティシアにはその大きさの見当もつかない。

 縁取りをしたような大きなきつい、しかしとても美しい金色の目が特徴で、見た目の優美さと比例した気性の荒さによって、”ドラゴンバード”と言う別名が付けられたという。


「あんな大きな翼があったら・・・・・・」

 そうしたら、自分も窓からぽーんと飛び出て好きなところへいけるのに。

 ううん、きっとこんな大きな鳥ならば、私のこともその背に乗せて飛んでいってくれるのに。

 お母様やお兄ちゃまの幽閉されているところにだって、すぐ行けるだろう。

 今日も眠れないレティシアは、大きな月を見上げ、ため息をついた。

「でもそんなこと、絶対に無理だもの」

 それにもしかしたら・・・・・・、とレティシアは唇を噛んだ。

 もしかしたら、もう・・・・・・。

 ふいに、ばさりと何かが羽ばたくような大きな音がして、びくっとレティシアは身を縮めた。

 すぐそばの窓の側で、何かが動く気配がする。

 こんな夜中に、こんな誰も登って来られないような高い塔の上に、いったい何が降りてきたというのだろうか?

 レティシアは足音を殺してベッドの側に駆け戻った。枕もとに護身用の小さな短剣が置いてあるのだ。

 今まで刃物は怖くて触ったことすらなかったが、こんな場合には心強い味方になりそうだ。

 たとえ、うまく使えそうになくても。


 小さな震える手の中にしっかりと短剣を握り締め、レティシアはそっと出入り口になっている硝子のはまった大きな扉をすかして露台バルコニーを覗き、はっと息を呑んだ。

 月の灯りに照らされたそこには、大きな金色の鳥が止まっていたのだ。

 あまりの驚きにレティシアは、短剣を取り落としそうになった。

 いや、よくよく見れば鳥ではない。

 レティシアは震える足でゆっくりと窓の側に寄り、夜気を含んで冷たくなった硝子に小さな額を押し付けた。

 月の光の中に金色の影が見えている。

 そこには鳥ではなく、金色の髪に白いマントの一人の青年が、片方の膝を立てた姿勢で座り込んでいた。

 少し癖のある腰のあたりまでの長く淡い色合いの金髪は、無造作に背に流されている。

 俯いた白い顔は、苦しそうにゆがめられていて、纏っている白いマントには点々と赤黒いしみがついていた。

 彼が苦しそうに息をすると、金色の髪がふわりと揺れてそれがまるで鳥の羽毛のように見えた。


「どうしよう・・・・・・」

 レティシアは、躊躇した。

 黙って静かにベッドへ戻って、布団をかぶってしまったほうがいいのか。あるいは、見つからないように物入れの陰にでも隠れていたほうがいいのかもしれない。

 迷っていて握りがおろそかになったレティシアの小さな手から、するりと短剣が抜け出したのはその時だった。


 がしゃんと、静まり返った夜の中に大きな音が響く。

 レティシアは、きゅっと首をすくませた。

 その音に驚いたように青年の顔が上がる。 長い前髪がふわりと顔の左側にかぶさっていてよく見えないが、さほど人相の悪くない顔に見えた。

 硝子越しに青年とレティシアの視線が絡み合った。

「・・・・・・人が、いたのか・・・・・・」

 彼の唇がそう動いたような気がした。

 もうこうなってはしかたがない。

 レティシアは、落とした短剣をさっと拾うと右手に構えた。

「何者ですかっ! 夜中に無作法ですよっ!」

 ありったけの勇気を振り絞って、レティシアは扉の内側から声をかけた。

「・・・・・・」

 硝子の向こうで青年が何か言っている気がしたが、よく聞き取れない。

 思い切って扉を引きあけると、むっと血の匂いがレティシアの鼻をついた。

 傷を負っている。

 戦が起こってから、何度も否応なく嗅がされたおなじみの血の匂いに、レティシアは顔をしかめた。

 青年はその整った顔に、かすかに微笑をうかべた。

「これは失礼しました、小さなレディ。あいにく無頼の輩に襲われて傷を負ってしまいました。こちらへお邪魔するつもりはなかったのですが、降りざるを得ませんでした。このような無作法を、どうぞお許しください」

 動けないほど傷がひどいのか、あるいはレティシアを怖がらせないようにか、座り込んだままの姿勢を崩さず、青年は軽くお辞儀だけをした。その口調は、静かで優しくかつ丁寧だった。

 彼が頭を動かすと、金色の羽のような髪がふわふわとゆれて、レティシアには彼が本当に金色の鳥のように思えた。


 第一、普通の人間がこんな高い塔の上にどうやってやってきたと言うのだろう?

 鳥のように空を飛んできたとしか思えない。

「翼にけがをしたのですか?」

 思わず口に出したレティシアの質問に青年は目をぱちくりさせ、それから低く柔らかな笑い声をあげた。

「いえいえ、けがをしたのは、翼なんかじゃありません」

 口元の微笑を消さずに、青年は軽く胸を押さえた。

「こちらのほうに少し」

 マントに隠されてはいるが、よく見ると彼の胸には何本か細い矢が刺さっているようで、レティシアは悲鳴をあげそうになって慌てて口元を押さえた。

 涙が知らないうちにあふれて、レティシアの頬を濡らした。

「ひどい!」

 ひどい、金色の鳥に矢を放つなんて。

「ああ、ごめんなさい、小さなレディ。どうやら、驚かせてしまいましたね。大丈夫、たいしたことはありませんから」

 青年の口調は変わらず穏やかだが、少しかすれて聞こえるのはやはり傷のせいだろう。

 レティシアはかぶりを振って、青年の側にひざまずいた。

「私のことはいいんです。何か私にできることがありますか?」

 もうレティシアの頭の中に、青年に対する恐怖はなかった。

 ただ、この傷ついた金色の鳥を助けたい一心だった。

 青年はちょっと驚いたように目を大きく見開き、それからレティシアににこりと笑って見せた。

「ありがとう、小さなレディ。では、僕に水を一杯、いただけないでしょうか?」

「お水? それだけでよろしいの?」

 レティシアは、急いで部屋の中に駆け戻ると、持っていた短剣をベッドの上に置き、枕元に置かれているお盆の上から小さな小さな水差しを取り上げた。


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