玖
「……随分と変な食べ方ですね」
いつもの居酒屋"舞"にて、俺はポツリとこぼした。
俺の視線の先にはナッツと漬物を交互に食べる和田さんの姿がある。ナッツは安価であるし、ここの漬物は美味い。ただ、それを一緒に食べる人は見たことがない。
「そうか? 意外といけるぞ」
どちらも塩分のある食べ物であるし、味的にも合いそうだとは思えない。
「本当っすか?」
と、悟は真似するように白菜の漬物とピーナッツを一緒に口へ運ぶ。
旨くも不味くないらしく、なんとも言えない表情をしている。
「俺は別々がいいっすね」
「まあ、俺以外でやってる奴を見たことがないな」
「自覚あったんですね」
当方の言葉を意に介した様子もなく、スコッチを一息に飲み干した。店に入ってからそれなりに時間が経つが、顔色は一向に変わらない。
和田さんのザルっぷりは、巷で噂になるほどだ。二桁の会合で一升瓶を一息で飲み干して尚、素面と変わらなかったとか、数付でも有数の酒豪の森さんに飲み勝ったとか。信憑性は知らないが。
「それより、お前ら格闘とかの心得はあったか?」
「喧嘩はそれなりにやっていましたよ」
悟が自慢げに言う。彼の喧嘩はせいぜい知り合いの小競り合いだからあてにならん。
「俺は特に……。何か問題が?」
「あるかないかと聞かれると、少しあるな」
「え、クビにとかならないですよね」
「そこまでとは言わんが、この先苦労はするぞ」
「いや……、そういう機会は中々なかったので」
「今までの仕事なら必要はなかったが、玖組から仕事が来る以上そうは言ってられん」
こちらとしても少々勘付いていたことだ。金になる仕事というのはそれなりの苦労がつきもの。これから仕事が増える以上、数付ならば戦闘も増える訳だ。
「特に谷河原、お前はそのことを念頭に置いておいた方がいい。この前のような体たらくだと、少し困るぞ」
「う、面目ないです」
この前の調査で脚を怪我したのも記憶に新しい。ただ、こちらの言い分としてはもう少しマシな装備なら、もうちょっと結果が変わったのではないかとも考えてしまう。
「とは言っても、現場で慣れていってくれ、としか俺は言えんのだがな」
「教えてくれる人がいないんですかね」
「わざわざ従参組のために時間を割いてくれるような物好きがいればな」
つまりはいないということだ。希望を見せといて、新たな問題点を浮き出しにするなんて……、和田さんの考えることはよくわからない。
俺はたくあんとアーモンドを一緒に口に入れた。どちらもポリポリとした食感であるが、味は……。どちらも喧嘩することもなければ、調和することもない。どちらも主張が強い訳ではないので、不味くはないが、俺としては別々でいい。
なんともいえない口の中を琥珀色の液体で流す。
「そういえば、悟は?」
「風に当たると出ていったばっかりだが」
俺も悟はどちらも酒に強くはない。2人きりなら、同じペースで程よく飲めるのだが、和田さんと飲んでると知らず知らずのうちにまあまあな量のアルコールを摂取しており、びっくりするぐらい酔いが回るのが早い。
そこを察したのか、和田さんは水を注文し、俺に渡してくれた。俺は遠慮なく飲み干して一息をつく。
「そういえば、結局調査の方は進展なしのままでしたね」
「……俺としては順調なまであると思っていたが」
頼みの綱であった改造屋が一足先に始末されて、振り出しに戻ったと思っていたが、和田さんはそう思わないようだ。
「俺らの目付は間違ってなかったことがわかっただけでも収穫だ。それに他の二桁が手際よく調査できるはずもない」
「そういうものですかね」
「そういうものだ。武田の野郎も頭を使うタイプだが、結局は金しか目がないから大したこともできん」
従組組長の武田には相当恨みがあるようで、彼のことに関して口を開けば悪態ばかりだ。
「その、和田さんは昔は何してたんですか?」
「何って今も昔も数付だが」
「いや、そういう意味じゃなくてですね……。二桁の人にしては随分と顔が広いじゃないですか。森さんにも気に入られていますし」
これに関しては常々疑問に思っていたことだ。従参組という底辺も底辺こ組織で、組長ではあるものの森さんとあれだけの関係でいられるのは変だ。
森さんこそ今は漆組だが、昔は弐組組長で鬼と呼ばれるほど、兎に角強かったという話しか聞かない人だ。
「中央地区に通っていた時期もあったよ。ただ、ヘマしてここに飛ばされただけだ」
すごく興味のある話ではあるが、相手の失敗を深く追求するのは難しい。それが上司ともなれば尚更だ。
「元々は情報系の組員としていたから、人より多く知っているだけだ」
「そうなんですね」
「まあ、俺には丈に合わなかった仕事だったかもな」
「そんなに厳しい環境なんですか、中央地区は」
「数付同士の競争もだが、組員同士の競争も激しいからな。うかうかしているとすぐに他の奴らに足元を掬われる。のんびりとやりたい俺には少し合わないな」
「はあ、色々大変なんですね」
出世して終わり、なんてことはない。上に行けば行くほど、そこから落ちないように守っていく困難さは極まるだろう。
このまま死ぬまで必死に働いていくのかと思えば、なんだかクラクラしてくる。
「それこそお前の方はどうなんだ。とっとと出世したいのか? それともこのままでいいのか?」
「えっと……」
出世はしたい。母さんのこともあるし、収入が増えることに越したことはない。が、競争激しい数付で這い上がれる自信はない。
「まあ、焦って答えを出さなくてもいい。下手に先のことばかり考えると身近な問題に気づかないものだ」
「はあ?」
「悟が戻ってこない。どっかで潰れてるんだろう」
あいつの存在をすっかり忘れていた。どうりでやけに静かな訳だ。
「俺としては、騒がしくなるのも嫌ですが」
「ふっ……。仲がいいのは良いことだ」
「それは心外です。あいつはただの腐れ縁です」
「そういうことにしてやるから、とっとと拾ってこい。従参組とはいえ数付が路上で酔い潰れるのは些か問題だ」
了解です、とだけ告げて、俺は一旦席を外すことにした。まったくあの阿呆にはつくづく手を焼かされる。
────
「まったくあいつは……」
我ながら夜中に一人ぶつぶつ呟く姿は不審者そのものだが、この辺りは人気がほとんどないので問題にならない。お陰で、店からの明かり以外はほとんど光源がなく探しにくいことこの上ない。
「おーい、悟」
そう呼びかけても返事がない。一体あいつはどこで潰れてるんだ。普段よりペースが速かったとはいえ、完全に潰れる量ではなかったと思うが。
これだからあの阿呆は……、と嘆息していると、ようやく人影らしいものを見つけた。そこそこ歩いたところなので、もはや頼りになるのは月のあかりだけだ。
地面に突っ伏しているらしい影に、俺は声をかけた。
「おい悟、どこで潰れてるんだ」
「に、逃げろ……!」
いつもの能天気とは違う、逼迫した声だった。
すぐさまに俺は、異常な事態だと感じた。悟は阿呆とは言え、タチの悪い冗談は言わない。
「おい、何があった悟」
「とにかく逃げ」
悟が言い切る前に何者かが悟の腹を蹴った。悟は力なくゴフッと息を吐くだけだ。
「……仲間かぁ?」
悟を蹴った黒い影がそう告げた。
月明かりの元に晒されるとその全貌が見える。くすんだ赤を基調としたパーカーに口元は黒い布らしきもので顔を隠している。
「動くな!」
咄嗟に携帯している拳銃を構えた。
「なんだ、おめぇも従参組かよ」
こちらの威嚇に臆する様子もない。
「せっかく、新しい武器の試し斬りをしようかと思ったのに、これじゃあ斬り甲斐もねぇよ」
「健司、俺らじゃ敵わねぇ。とにかく逃げろ!」
「黙ってろ」
今度は悟の顔面を蹴り付けた。
その瞬間に、恐怖心は消え失せ怒りが込み上げる。
「悟に何をしやがる!」
躊躇うことなく俺は引き金を引いた。
「……んな安物で俺に勝てると思ってんのかぁ?」
弾丸は金属音と共に弾かれた。腕によって。
「んな……!?」
「そんなへっぽこじゃあ、傷もつかねぇぜ」
「後ろだ!」
悟の叫び声に反応して振り返ると、いつのまにか大男が立っていた。
「死ね」
不気味な仮面つけた大男は斧らしきものを振りかざす。
「……っ!!」
間一髪のところで横に躱すが体勢が大きく崩れてしまった。
「どこ見てんだよっ!」
視界外から蹴りが飛び込んでくる。俺は避けることすらできずに腹にもろに受けてしまった。
「うぐっ」
息ができない。だが、このまま倒れるわけにも……。
「おらよ!」
今度は顔面に蹴りが入る。鈍い音が耳を貫く。目がチカチカすると同時に鼻から生温かい液体が流れる。
どうやら3人いるらしい。仮に一人だったとしても俺は勝てなかっただろう。
「こいつ本当に数付かよ」
俺を蹴った相手は女性らしい。ふらつきながらも立つ俺にもう一度蹴りを入れた。
立つのがやっとな俺は再び地面に転ぶ。
「従参組って奴だ。雑魚の寄せ集めみてぇなものだ」
「じゃあ、大した金にもなんないの?」
「いや、数付であることに意味がある。それだけで、一般人よりも報酬は弾むさ」
痛みで視界が霞むが、俺はもう一度引き金を引いた。
乾いた破裂音が響く。
「うお! っぶねぇな」
やっぱり弾丸は当たらない。
「ウゼェ真似すんな」
大男に喉を片手で掴まれ持ち上げられる。
「こいつバラしていいか?」
「そいつはお前に任せるわ。俺はこいつをやる」
「私は?」
「一緒にそいつを解体しとけ。こっちは少しレアもんだからな」
「そうなのか?」
「こいつ右腕に機械埋め込んでる。丁寧にやんねぇと」
必死に抵抗を試みるがびくとも動かない。次第に酸素が切れて視界が霞んでいく。
「腕は私がやるから」
「分かってる。俺は残ったとこでいい」
ふざけるな! 俺はこれから母さんと姉さんを養っていかないといけないのに……。ようやく、数付でうまくいきそうなのに! 死んだら意味がないじゃないか!
「暴れんな」
「あがっ、かはぁ……」
腕の力がより一層強まり、ますます意識が遠のく。嫌だ、死ぬわけには……。
「痛っ!」
不意に解放されて、俺は地面に倒れ込んだ。咳き込みながらも状況を確認しようと顔を上げる。
「なんだよ、これは」
大男の腕に何か棒状のものが突き刺さっていた。彼はそれを引き抜き地面に叩きつけた。どうやら金属製らしい。
視線を巡らせると、人影が見える。口元にはタバコを咥え、手には大男に刺さったものと同じような棒を持っている。
彼が歩を進めていくうちに、その顔が見知ったものであることに気づいた。いつもの鉄仮面な顔で、口から紫煙を吐き出すのは、
「和田さん!」
「ん? また仲間かよ」
「どうせ従参組の雑魚だ。2人も3人も変わらねぇよ」
「はあぁ……。やっぱり、訓練くらいはした方が良さげだな」
こんな状況下で、和田さんは能天気なことを言う。そんな場合じゃないはずなのに。
気づけば、俺のそばにいたはずの女がいない。すでに和田さんに肉薄していた。その両手には自分の得物であろう鉈が握られている。
「この刃を味わえ!」
迷うことなく首元に目がけて振りかざす。和田さんは表情一つ変えずに後ろへ躱した。
「明日、ちょっと知り合いに掛け合ってお前らを鍛えてくれる奴を探すわ」
攻撃されているはずなのに、いまだに能天気な話は終わらない。
「余裕かましている場合かよ!」
2つの鉈は常に和田さんを捉えようと、首へ、胸へ、腹へと振り回される。女であるはずなのに、その速度は凄まじく、その鉈が木の枝の如く軽々と振り回されている。これも改造とやらのお陰なのだろうか。
だが、和田さんは意に介した様子もなく、スーツを掠めんばかりの最小限の動きで全て躱していく。
「まあ、漸く分かったろ。これからはこういう奴らを相手にしていくんだぞ」
「ああっ、くそ!」
「俺も行く!」
なかなか攻撃の当たらない女に業を煮やしたのか、大男も加勢しようと駆け出した。巨大に似合わずそれは俊敏で、すぐさまに和田さんの元まで辿り着く。
「和田さん、もう一人来ます!」
「分かってる、分かってる」
顔色一つ変えずに、和田さんは2人の猛攻を躱し続ける。
俺は突然の出来事の連続で混乱し始めていた。悟を探しに行ったら、当の悟が傷だらけで、そして3人の敵に俺は手も足も出ずにやられて、和田さんがやってきたと思ったらその敵の攻撃をいとも容易く避ける。
一体、この敵は何者かも分からないし、和田さんの謎も深まるばかりだ。
「なんで当たんねぇんだよ!」
「谷河原、脚を治したばかりなのにまた怪我するとは災難だな」
「こうなりゃあ……!」
大男は背後に回り込み、和田さんが挟み撃ちとなった。しかし、和田さんは後ろ見えているかのように攻撃を避ける。
「いい加減終わりだ」
と、和田さんは高くバックジャンプをし、大男の頭を掴み倒立した。
「なっ!」
そのまま両膝を後頭部にぶつけて、大男の顔面を地面叩き伏せた。
「がぁぁ……!」
仮面は割れて、鼻からは血が出ている。
それを見た、すぐさまに女が飛び掛かる。先ほどよりもその身のこなしが速くなっている。
「くそくそくそぉ!」
振り回すごとにその速度が上がっているように見えるが、和田さんに当たる気配はない。なんなら、立ち位置すら動かなくなってきている。
「改造でもしたか? それとも機械でも埋め込んでんのか?」
「黙れ!」
「まあ、いい。あとで調べてやる」
不意に和田さんは、いつのまにか持っていた短刀で受け止めた。
「ほう……、あいつはやるぞ」
パーカー男が呟いた。先ほどから仲間であろう2人が苦戦しているにも関わらず、傍観を決め込んでいる。
「あっ」
鍔迫り合いをしていた両者だが、和田さんが上手く力を逃し、女のバランスが崩れた。すかさず、首元に短刀を刺し、引き抜いた。
「かはっ」
真っ赤な噴水が出て、彼女はそのまま倒れ込んだ。
「があぁぁっ!」
大男が咆哮しながら和田さんに飛び掛かる。
しかし、近づくことは叶わなかった。
「あ? ああ……」
額には先ほどと同じ、金属製の棒が深く突き刺さっていた。
「お前だけだ」
「はああ、全く使えねぇにも程があるな」
「まるで自分は使える奴みたいな言い方だな」
「しゃしゃり出てこんなザマならな、そう言いたくもなる」
月明かり照らされた和田さんを見ると、返り血を浴びているものの表情はいつも通り。そのいつも通りさが、不気味に映る。
「あんたもわかるだろぉ? こんなド無能な仲間を持つんだからよぉ」
男の問いかけに対し、和田さんは何も答えずに何かを投げつけた。甲高い音とともに、棒が弾かれ地面に落ちる。
「おいおい、天下の数付が不意打ちかよぉ?」
「お前の喋り方が気に食わなくてな」
2人が対峙すれども、近づくことはなくただピンとした空気が張り詰めるだけ。俺は動くことも出来ずに固唾を飲んでいた。
「お、おい何をしている!」
この静寂を絶ったのは、赤の他人の通行人だった。
「流石に長居し過ぎたな。また今度、あんたの首をもらうぜ」
「……」
そういい、彼は足早に立ち去った。和田さんは追いかけることなく、俺たちの元は駆け寄った。
「おい立てるか?」
「は、はい……」
あいつらに何も出来ずにやられるだけだったという情けなさに胸中を支配されそうになる。それと同時に、この和田颯斗という人物がますます分からなくなった。