[45]約束と約束
凪徒と同様重ね着をしてくるように言われたモモは、それに従いコートを身に着け再び車外に出た。
「行くぞ」
「え? あ、先輩?」
途端手首をむんずと掴まれ、足早の凪徒の歩調に強制的に付き合わされた。モモはしばらく小走りを余儀なくされたままサーカスの敷地を出て、車の行き交う道路端の坂を下った。大通りから路地に入って人通りがなくなると、やっと凪徒の歩みは緩やかになった。
「数日前の約束を忘れるなんて、お前はバカか?」
「えっ? あ、だって……」
やがて辿り着く静まり返った並木道。
あの大雨のせいで満開の桜はすっかり散ってしまっていた。等間隔で設置された街灯が照らすのは、既に芽吹き出した葉桜だけだ。
「いいから、来いよ」
──先輩?
凪徒は並木の街道をモモの手首を掴んだままズンズンと降りていった。五分ほど進んで現れた四つ角を右に折れ、更に進んだ先のT字路を左折する。再び五分ほど歩いた先に現れたのは、同じく葉桜を左右に並べた小さな川だった。
「あ……」
強く握られていた腕がふっと解き放たれ、見上げた凪徒の顔が「あっちを見ろよ」と言いたそうに視線を遠くへ向ける。その先へ首を振るモモの視界に入ったのは、一面を埋め尽くす桜の花びらだった。
「わぁっ!」
思わず目の前のフェンスまで走り寄り大声を上げていた。幾つかの街灯が川面に光を落とし、白い花びらの浮かぶ様を幻想的に映し出している。辺りが桜の木立で覆われているせいか、余計に闇を黒々とさせているので、その真白い絨毯は一層輝いて見えた。
「ギリギリセーフってとこだな。昼間見たら、もう綺麗じゃないぞ、コレ」
相変わらずロマンティストでないぼやきだ。──でも、やっぱり嫌いじゃない。
「ありがとうございます、先輩!」
約束を忘れていなかっただけでも嬉しいのに、こんなプレゼントが待っていただなんて。モモは心からの喜びを表す満面の笑みを凪徒に向けたが、彼の表情は意外に冴えなかった。
「先輩?」
「やっぱり……満開の夜桜、見たかったな」
コートの襟を立てて、少し寒そうに首をすぼめた横顔がポツリと呟いた。
「じゃあ、また約束してください」
「え?」
自分に向けられた凪徒の鼻先に、立てた小指を突き出してみせる。
「一年後。必ず夜桜を見に連れてきてください!」
「モモ……」
驚きを隠せない様子でも、右手の小指は吸い寄せられるようにモモのそれに絡みついた。
「一年も覚えていられるほど俺は賢くないぞ?」
「あたしが忘れませんから」
「お前もそう賢くは思えないけどな~」
「先輩~!」
その時、水面を走ってきた冷気を含む春風が、モモの髪を巻き上げるように吹き抜け、少女はギュッと目を瞑った。
「もう行くぞ。こんなんで風邪引かれたら俺が困る」
大きな右手がモモの髪をクシャクシャっと混ぜた──凪徒の癖。
「五日も怠けてて、明日の公演大丈夫かぁ?」
「ご心配なく! ずっと鉄棒でのイメトレは出来てましたから!」
ほんのり燈りの灯った川べりを二人の影が戻っていった。
──いつか……先輩の手は、あたしの手を握ってくれるだろうか?
手首を掴むのではなく、髪をかき混ぜるのではなく……。
ブランコの演舞で伸ばされた手に手を重ねるように、
いつの日か、あたしの手を──。
【後日談】
その五日後、高岡紳士は花純と桔梗と共に公演を見にやって来た。
楽屋裏でモモと団長に再会を果たし、照れ臭そうに語った事実──。
実は病院のX線撮影機器に不具合があり、大きな影が写ってしまったのだとか。
病院側は発覚後すぐに高岡邸に連絡を入れたが、不在であったために留守番電話にメッセージを残していた──ものの、その伝言に誰も気付いていなかった。
……と言うのはたてまえで、もしかすると花純と桔梗の計画の内だったのでは……?
本当の『食わせ者』は、実はこの双子姉妹であったのかもしれな……い!?
しかしあのエアソフトガン、その後どうなったのでしょうねぇ……。
【Part.2へ続く】




