[22]マフィンと決意
翌朝、春霞といった様子の靄が立ち込める冷たい空気の中、凪徒は団長室へ向かっていた。
彼が目覚めた時、既に秀成はパソコンの横に突っ伏していた。その肩に上着を掛けてやり、起こさないようにと静かに外へ出た。さすがに二晩も血眼になって画面に張り付いていれば、途中で落ちてしまうのも無理はない。
「団長、起きていますか?」
凪徒はガラス戸の外側から小さく声をかけたが、ややあって真ん丸の影が近寄り、その扉を開いた。
「おはようございます、団長」
「おはよ。随分早いの、何時だ?」
パジャマ姿がカーテンを寄せて、まだ眩しいとは言えない朝の薄明かりが暗い部屋に射し込まれる。
「すみません……起こしちゃいましたか?」
凪徒の言葉には既に鋭いものは消えていた。
「いや……着替えるから、ちょっと待っとれ」
と、奥に立てられたパーテーションの陰でモソモソと音を立て、しばらくして普段着の団長が現れた。テーブルに置かれたオジサン臭いセカンドバッグを手に取り、扉の傍らに立つ凪徒に一つ目配せする。
「団長?」
「腹が減っては戦は出来んぞ? ハンバーガーでも食べに行くか?」
──説教は戦なのか?
そう苦笑する面を履物に手を伸ばす団長の背に向けて、凪徒は無言で頷きその後ろに続いた。
☆ ☆ ☆
「モーニングセットとやらもなかなか美味いの。が、こんな時間から随分お客がいるもんだ」
団長はキョロキョロと辺りを見回しながら、ソーセージ入りのマフィンを美味しそうに平らげた。
平日の朝であるからか、サラリーマンらしきスーツの男性が多い。そんな中で中年のオヤジと顔立ちの良い青年がジャージ姿で朝食をほおばっているのは、傍目にもなかなかの異色と思われた。
「団長……昨夜は本当に申し訳ありませんでしたっ」
まだ途中のマフィンを一度トレイに戻し、膝に手を当てて上半身を倒す。座ったままではこれが精一杯だったが、いつになく痛々しい言葉と態度は、団長に伝わったように思われた。
「凪徒……顔上げろ」
「はい……」
そうして戻した沈痛の眼が、目の前の団長のいつもの表情を映し込んだ。
「ふうむ。八十五点!」
「へ?」
突然つけられた点数に戸惑う凪徒。百点満点だとしたら、なかなかの高得点だが?
「もう反省したんだろ? いい顔しとる。あとの十五点はこれから次第だ。今日の公演二回、しっかりやっとくれ」
「は、はいっ」
そうして勧める団長の手に気付き、再びマフィンにかぶりついた。
「あの……団長。団長にとってモモって何ですか?」
「ん? 随分唐突だの」
凪徒は暮から訊かれた質問を団長に投げてみた。まだ出せないでいる自分の答えを、代わりに出してもらおうと思った訳ではない。団長の団長としての答えが欲しかっただけだ。
「そうだの……モモに限らずだが、敢えて言うなら『宝物』かの。もちろんお前も含めて、サーカスのスタッフ・動物達全員」
「宝物……」
意外に高い位置の答えが返されたため、自分にとっての答えを出すには参考にならない気持ちがした。もちろんモモがそんなに低い位置だとも思っている訳ではないのだが──。
「こんなこと、言葉にするもんでもなかろうがの。ま、モモに再会出来れば、おのずと答えは出るんじゃないか?」
「え……?」
──モモに再会。いや、団長は「出来れば」と言った。出来なければ──?
「今日を合わせて三日あります。必ずモモを探し出します。もちろん、その前に今日明日の公演は完璧にこなします!」
凪徒は湧き上がった前向きな気持ちに口角を上げた。にこやかな団長の笑顔と共に最後の一口を放り込んで、ゴクリと呑み込み席を立った──。
★次回更新予定は五月八日です。




