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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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7.強制

 通知が来たのは、夜明け前だった。


 眠れない夜だった。眠れない理由は特にない。ただ目が開いていた。天井を見ていた。石造りの天井は、前世のアパートの白い天井とは全く違う質感で、見るたびにここが別の世界だということを思い出させる。


 スマホの画面が光った。


 手を伸ばした。



 [シーン通知]

 30分後からシーン003「飢饉の夜明け」が開始されます

 内容:領地南部の村で食料不足が表面化します

    村人が領主館へ陳情に向かいます

 出演者はシーンに沿った動きを心がけてください



 三十分。


 私は起き上がった。


 シーン003。ゲームの本編が、始まった。


 このシーンはゲームの冒頭に近い場面だ。飢饉が深刻化し、南部の村人たちが領主館へ陳情に押しかける。ルーはその陳情を冷たく追い返す。それが引き金になって、ルカが村人たちの前に立ち上がる。勇者の物語の、実質的な始まりだ。


 私はゲームでこの場面を何十回も見た。


 ルーの台詞も覚えている。「飢えるなら飢えればいい。それが農民の分というものだ」。残酷な言葉だ。プレイヤーとして初めて見た時、画面の前で顔をしかめた記憶がある。


 そしてその台詞を、今日は私が言う。


 着替えた。鏡を見た。目つきの鋭い顔が返ってきた。


 三十分の間に、準備できることを考えた。


 陳情を追い返す。それは変えられない。シナリオの強制力がある。結果として村人たちは絶望し、ルカが動く。その流れは固定されている。


 ただし三十分がある。


 私はスマホを開いた。メモを確認する。南部の三村の現状データ。魔素濃度、水量、推定収穫量。この数字を頭に入れておく。追い返す前に、できることが一つある。



  *



 夜が明けきらないうちに、村人たちが来た。


 十二人だった。男が七人、女が三人、それから老人が二人。全員が疲れた顔をしている。数日ろくに食べていない人間の顔だ。歩き方が重い。それでも来た。


 私は本邸の門の前で待っていた。


 セレンが隣にいた。昨夜のうちに「早朝に来客がある」とだけ伝えておいた。理由は言わなかった。セレンは何も聞かなかった。


 村人たちが门の前で立ち止まった。先頭にいる男が、私を見て少し怯んだ。それでも前に出てきた。


「ルー様、申し訳ございません。このような刻限に」


「用件を」


 短く言った。男が息を吸った。


「南の三村は、今月の食料が底をついております。子供と老人から順に食事の量を減らしておりますが、それも限界で。どうかご支援を」


 私は村人たちの顔を順番に見た。


 十二人。全員の顔を、一秒ずつ見た。


 先頭の男の後ろに、若い女がいた。赤ん坊を抱いている。赤ん坊は静かだ。泣く力も残っていないのかもしれない。その隣の老人は、立っているだけで膝が震えている。


 ゲームの画面には、この顔たちは映っていなかった。


 名前のない村人たちとして、背景に溶けていた。


 私は息を吸った。


 今から言う言葉を、自分の口から出すことになる。


「飢えるなら飢えればいい」


 声が出た。


 自分の声だった。感情のない、平坦な声だった。


「それが農民の分というものだ。領主に泣きつく前に、自分たちで考えろ」


 男の顔が歪んだ。老人が目を閉じた。赤ん坊を抱いた女が、唇を噛んだ。


 私はその顔を全部見た。


 一つも見逃さなかった。


「帰れ」


 男が何かを言おうとした。しかし言葉が出なかった。十二人は、それぞれの足取りで、来た道を戻っていった。


 門が閉まった。


 セレンがいた。私の横で、真っ直ぐ前を見ていた。表情がない。ただそこにいる。


 私は振り返らずに、本邸へ戻った。



  *



 自室に戻った。


 扉を閉めた。鍵をかけた。


 スマホを取り出した。手が動いていた。何をしようとしているのか、一瞬わからなかった。


 メモを開いた。


 南部三村の現状データを見た。推定在庫量、最低限必要な一日あたりの食料量、残日数。計算は昨夜のうちに終わっている。


 三村合計で、あと十日分の食料がある。


 シミュレーションを開いた。


『南部三村に対して、領地の備蓄から食料を無記名で送付した場合の影響』


 砂時計。


『断罪の証拠には繋がらない。ただし出所が不明な食料の到着は村人に混乱を与える可能性がある。ルーからの支援と判明した場合、悪役令嬢の評判に影響が出る』


 無記名で送る。出所を特定されない方法を取る。


 次を入力した。


『食料を第三者の商人を経由して送付した場合、出所の特定を防げるか』


『可能性は高い。ただし商人の口が堅いかどうかに依存する』


 口の堅い商人。


 テオ、今はマルクだ。北の第二村に配置した。農家だが、移動手段がある。配置したばかりで目立たない。


 私はメモに手順を書いた。


 マルクを経由して食料を送る。出所はマルクの農家から余剰分を分けたという形にする。マルクは口が堅い。あの人間は必要なことしか話さないタイプだ。二日間でわかった。


 問題は量だ。領地の備蓄から取りすぎると記録に残る。少量ずつ、複数回に分ける。十日あるなら三回に分けて届けられる。


 書きながら、手が少し止まった。


 これは計算だ。南部三村が完全に飢え死にすれば、シナリオに支障が出る。ルカが立ち上がる前に村が消滅してしまえば、勇者の物語が始まらない。だから最低限の食料を送ることは、断罪へのシナリオを維持するためにも必要だ。


 そういうことにしておく。


 計算だ。


 メモを保存した。



  *



 昼過ぎ、シーン通知の続きを確認した。


 シーン003は「村人が陳情に向かい、追い返される」という内容だった。その結果として、ルカが動くはずだ。ゲームでは翌日か翌々日に、ルカが村人を集めて独自の食料調達を始める場面に繋がる。


 スマホのシミュレーションを回した。


『シーン003の結果として、ルカが行動を起こすまでの時間』


『一日から三日以内。天候や村人の動向によって変動する』


 一日から三日。


 その間に、食料の手配を済ませる必要がある。


 マルクに文書を送った。領主館からの公式文書ではなく、使用人の個人的な書状という体裁にした。内容は「北の余剰作物を南部に分ける手配をしてほしい」という依頼だ。報酬として、マルクの農家に翌月の種代を領地費用で出すことを約束した。


 セレンを通さなかった。


 これはセレンに知らせない方がいい。セレンが知れば、気づく可能性がある。何かを気づかれてはいけない時期だ。まだ。


 文書を屋敷の使用人の一人に託した。北の村への用事がある人間に、ついでに届けてもらう形をとった。


 これで手は打った。


 あとはルカが動くのを待つ。



  *



 二日後の夕方、遠くで声が上がっているのが聞こえた。


 窓から外を見ると、南の方角から人が集まってくる気配があった。松明の明かりが複数見える。村人が動いている。


 スマホを取り出した。通知はない。


 ゲームの記憶を確認した。この場面だ。ルカが村人を集めて、共同で食料を確保する計画を立てる夜だ。ゲームでは、この夜の焚き火を囲む場面が感動的に描かれていた。


 私は窓の外を見続けた。


 松明の明かりが、少しずつ増えていく。集まってくる人間が増えているのだ。暗い中で、光が広がっていく。


 ゲームで見た場面が、今は窓の外で起きている。


 画面越しではない。風が冷たい。松明の煙の匂いが、かすかにここまで届く。


 私はその匂いを嗅ぎながら、窓の外の光を見ていた。


 あの光の中に、ルカがいる。ゲームで何十回も見た場面の中心にいた、農民の青年が。


 感情は、ない。


 ただ見ていた。


 しばらくして、窓を閉めた。


 部屋が静かになった。


 スマホのバッテリーを確認した。六割。シミュレーションを回しすぎた。今夜は観測だけにしておく。


 メモを開いた。今日の記録を書く。シーン003の経過、食料手配の進捗、ルカの行動開始の確認。


 最後に一行書いた。


『赤ん坊は静かだった』


 それだけ書いた。

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