第8話(終話)消えた花婿と新しい式、そしてその次へ
新婦の控室で、麻里の手にある真っ白な便箋には、一言だけ、書かれていた。
『ごめん。結婚はできない。僕のことは忘れてください』
新婦はまだ、顔を上げずに泣き続けている。
カエデは言葉を失い、介添えの女性もおろおろするばかりだった。
麻里は手元の作りかけの時間管理表を見る。
式まであと一時間。受け付けはその三十分前から始まる。――時間がない。
「親族はもう、いらしています。どうしましょう」
介添えの女性が、新婦に聞こえないように言う。
「受付に言って、帰ってもらう? それとも、新婦だけでも予定通り、温守をしてしまうか……」
カエデが言う。その手には、箱と薬草があった。
「温守……」
新婦の心と身体を整える、温守。
でも、新婦だけ整えようとしても、参列者が来て事態を知ったら……。
また、新婦を含め、全員の心がぐちゃぐちゃになりかねない。
麻里は、その箱を見てしばらく考え、そしてカエデに聞く。
「温守の箱って、いくつありましたっけ?」
麻里の問いに、カエデが首をかしげる。
「箱? ええと……最初倉庫にあった箱を使っていたのを、途中から新品に変えて、それが十個でしょ。……で、最近注文が増えたから、また少し頼んでいたのが昨日届いたの。十個位」
「最初使ってたのとか、色々試していたときの、合わせたらどの位あります?」
「うーん、試験的なのも含めてなら、十五個位かな? でも、なんで?」
「今日この式に来る予定の人数は?」
そこでカエデの表情が変わる。
「元々は三十六名の予定になってるけど」
コンコン、と控室の扉を叩く音がした。
「連絡があっただに。カエデかマリ、いるならちょっと来てくれだに」
リュウタロウの声だ。
麻里は新婦が外から見えないよう気を付けながら、そっと扉を開ける。
「なんですか?」
「大変だに。新郎のご家族、来ないと連絡がきただに」
リュウタロウが小声で言った。
「新郎も、来ないって手紙を渡してきましたね」
麻里も小声で言う。
「なに!」
リュウタロウが思わず大声を出し、口をふさいだ。
カエデも箱を置いて扉の方へ来る。
「新郎のご家族が、来られないそうです」
「四名、新郎を含めて、五名、じゃあ、三十一名? え、もしかして……」
麻里は言う。
「足りますね……やりましょう」
リュウタロウが、いぶかし気な顔をする。
「やるって、式をそのままするだにか?」
「いいえ、そのままはしません」
麻里は、リュウタロウとカエデを見て言う。
「やりましょう。全員で、温守」
「全員で、温守!?」
今度は二人が大声を出す。
後ろにいた新婦と、介添えの女性が振り向いた。
「え、どうしたんですか? 何かさらに悪い事でも?」
新婦が顔を上げて聞いた。
麻里は、敢えて笑顔で、彼女に答える。
「いいえ。サービスで、来られる方全員に、人気の温守を提供させていただけることになりました」
「私だけの予定でしたよね。式の前に」
麻里は、大きくうなずく。
「そうです。本当なら、新婦様だけ、式の前に清めて息を整えます。でも、今日は、来てくださった皆さん全員、整えましょう」
新婦は泣き止んでいた。
「え……でも、全員って、高いですよね……」
「料金は変わりません。式はもうキャンセルできないので返金もできないのですが。なので、温守の分をサービスいたします」
カエデは既に準備のため走り出していた。ツグミにも声をかけ、二人で倉庫へ向かって走って行く。
麻里が廊下へ出ると、そこにはまだリュウタロウがいた。
「追加料金を取らないって、赤字になるだに。食事だけして帰ってもらうのではだめだにか?」
麻里は、大きく左右に首を振る。
「いいえ。これは、“損切り”です」
「損切り?」
「はい。金銭的にはマイナスに見えますが、必要な広告宣伝費だと思ってください。チャンスにするんです。未来の顧客への、先行投資です」
リュウタロウは、少し考えて、うなずいた。
「分かっただに。社長として、了承するだに。そうとなったら、受付に急ぐだに」
リュウタロウは既に人の集まり始めている受付の方へ駆けて行った。
そして、麻里は向き直り、新婦に話しかける。
「手順が変わりますので、少し、打ち合わせをしていました。今回、全員で温守をしますので、事前の新婦だけの温守はなくなります。今、急いで会場の準備をしています」
新婦がうつむく。
「すみません。私、運が、悪いですね」
麻里は境界の布を取りだし、新婦の肩に掛ける。
「いいえ、結婚してから分かるより、ずっと良いです」
布越しに、新婦の肩をほぐし始めた。
「私なんて、結婚式は無事にできましたが……その後、夫の悪いところが見え始めました。どんどん居場所がなくなって、辛くなりました」
固く縮こまった新婦の肩を、少しずつ指で押していく。
「今は夫から離れられて、また少しずつ幸せになっているところです」
少しずつだが、肩の力が抜けていると感じる。
「だから、きっと、あなたは運が良かったんです」
「そうなんでしょうか……」
新婦の顔に少しだけ、笑顔が見えてきた気がした。
近くで聞いていた介添えの女性がぽつりと言った。
「あなた、若く見えるけど……苦労してたのね」
あ、今は「麻里」じゃなかった。と、思った時には遅かった。が、「そうなんですよ」と言って胡麻化した。
――――――
時間になった。
司会の合図で、式場に、新婦が、新婦の父に手を引かれて入場した。
参列者は披露宴会場のいくつかに分かれたテーブルの席に座り、拍手で新婦を迎える。テーブルには白や淡い色の花が飾られていた。
最初に予定していた、式は無い。
そして皆、何故か穴の開いた箱のような席に座らされていた。
新婦が、挨拶を始める。
「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます。既にご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、今朝、新郎から、『来れない』と、連絡がきました」
会場が少し、ざわつき始めた。絶句している者もいた。
「ですが、式は、少し形を変えて行うことになりました」
新婦は、笑顔で隣に立ったリュウタロウを見る。
「私、社長のリュウタロウです。今こちらの式場で人気の温守、通常は新婦のみに行いますが、――本日は、新婦含めたこちらの全員に、大サービスしますだに!」
新婦も箱に座り、カエデが新婦から順に、箱の中に蒸気を巡らせ始める。ツグミもカエデの指示に従って、参列者の席に草と蒸気を入れ始めた。
麻里は前に立ち、話し始める。
「私、調律師のマリと言います。今日は皆さんで、身体を温め、心を整えて、新婦の新しい明日への一歩を支えてください!」
「下から蒸気が巡ってきましたね。まずは、息を、合わせましょう――」
「いい香り」
「温かいね」
あちこちから、そんな声が聞こえてきた。
気が付くと、みんなの強張った顔がほんのり赤くなり始めていた。
「何かちょっと変だけど」
「でも、楽しい」
少しずつ、笑顔が広がっていた。
温守が終わると、用意していた食事も出し、好きなようにおしゃべりをして、帰ってもらった。
式が終わると、新婦が麻里たちのところへ来て言った。
「ありがとう。悲しくなるはずの式が、おかげさまで良い思い出になりそうです」
「それは良かっただに。良い口コミも、気が向いたら宜しくだに」
リュウタロウも笑顔で返す。
「ふふ。友人が結婚する予定になったら迷わず伝えます。次にまた、私が良い人と結婚するときもまた来たいです」
リュウタロウに、カエデ、ツグミ、そして麻里は、笑顔で新婦を見送った。
麻里が手帳を開くと、そこにはまた新しいページが追加されていた。
・温守の準備にかかる費用(埋没費用)の諦め
・結婚式から参列者全員の新しい儀式へのピボット(業態変換)
肩に乗った、タマちゃんが語りかける。
「うまくいった。新サービス、できた」
「新サービス、に、なるかな」
麻里が呟く。
すると、近くにいたリュウタロウが言った。
「今日の、良かっただにね。料金出す人には、新サービス、したいだに。サービス名、何にするだにか?」
「そうね。みんなで温守をして、呼吸を整えるから……守りの式? 温心の式?」
カエデも頭をひねる。
「良さそう。利益を原価に少し乗せてみますね」
麻里も笑顔で答えた。
――――――
それから、あのときの新婦の口コミもあり、温守の注文はさらに増えた。時々だが、温心の式も、頼む人たちが出てきた。
「人も増えたけど、マリが手順書、と、時間管理表、整えてくれてたから、問題なくできてるだに。そろそろカエデの仕事を手伝える人も増やすだに」
リュウタロウの言葉に、カエデが反応する。
「良かった、助かる!」
そんな二人を見て、麻里も微笑む。
最近は、ここが自分の居場所だ、と、自信を持って言える気がしている。
毎朝楽しみに起きて、事務所に足を運ぶ自分がいる。
そんなことを思っていると、タマちゃんがまた、麻里の肩をとんとん、と叩いた。
麻里は手帳を見る。
第一フェーズ:0から1 温守の誕生
第二フェーズ:1から10 標準化、ブランド確立
第三フェーズ:10から100
⇒村で完成した仕組みを、全国展開へ
「え、全国?」
思わず口にする。
「マリ、どうしただに?」
リュウタロウが聞いてきた。
麻里は、意を決して言った。
「社長、次は第三フェーズ――全国展開を、目指しませんか?」
「マリ、大胆になっただにね……でもマリが言うなら、できそうな気がするだに」
リュウタロウがそう言って、にやりと笑う。
「人を増やしてもらえるなら、やりたいわ」
カエデも同意する。
麻里は立ち上がる。
「じゃあ、決まりですね。国中の式場に、触れずに、身体と心を整える仕組みを届けましょう!」
次の日も見えないと思ったいつかの麻里はもういない。
麻里の前には道が続いていて、一緒に歩く人たちがいた。
その次へ、麻里はまた足を踏み出した。
― 完 ―
最後までお読みいただきありがとうございました。




