第3話 サービス開発と最小の蒸し箱
翌朝、麻里は目を覚ますと、見慣れない部屋の小さなベッドの上にいた。
朝の光が小さな部屋に似合わないほど大きめの窓から射しており、窓際の一輪挿しに黄色い花が飾ってある。見たことのない花だが、可愛らしいと思った。
朝の光はその先の小さなちゃぶ台の上の手帳と、その上の小さな生き物を照らしていた。
「ひっ!」
麻里は生き物の気配に、思わず声が出た。慌てて口をふさぐ。
小さな生き物はこちらに気が付いたようだった。動物園やテレビで観たムササビに似ている。真っ黒な目で、麻里をじっと見ていた。
「おはよう。マリ」
生き物が、人の言葉で話した。しかも、麻里の名前まで知っている。
「え、話せるの?」
生き物は頷いた。
「うん。マリの、頭の中にいるから。名前はまだないから、付けて欲しいな」
麻里は、考える。
真っ先に浮かんだ名前は一つだった。お腹にいた、まだ形にもならなかった命に、心の中で呼びかけようと決めていた名前。
「……タマちゃん」
少し間があった。
「タマちゃん。いいね」
小さな生き物は、満足気に頷いた。
「じゃあ、説明する。マリは今、元の世界から見た、『異世界』にいる」
タマちゃんが、話し出した。
「『異世界』? やっぱり、日本じゃなかったか。……じゃあ、元の私は?」
「空っぽじゃない。麻里の身体には今、こちらの世界のマリの魂が入ってるかも。たぶん」
「ふーん……」
麻里はいきなり結婚式場を手伝わされたが、向こうはいきなり一人で手術後の病院だから、さぞ驚いたろう。しかも、家では我儘な夫。リュウタロウが喧嘩っ早いと言っていたから、早速ひと悶着あったかも知れない。それはそれで、胸のすっとする自分もいた。
「それから、これね」
タマちゃんが前足で、手帳をぱしぱしとたたく。
「マリの頭のごちゃっとしたのを形にする」
昨日はあれから遅くまで帳簿の整理をしていた。もう少し寝ていたい気もしていたが、起き上がってページをめくる。
「あ、文章が増えてる」
――結婚式場を運営する会社、長靖式場
――社長:人情のリュウタロウ、従業員:香りのカエデ、マリ
「何これ? 名前の前に何かついてる」
「次のページも、読んでみて」
いつの間にか肩に乗ったタマちゃんが促す。
課題1:会社の現状把握
・赤字?
・手元資金
・支払
課題2:新しいサービスの開発
・小さな成功:境界の布のマッサージで花嫁の息が整う
・見えた需要:新郎新婦の緊張をほぐす需要あり
・制約:直接肌に触れてはいけない
・問題点:マリしかできない、時間がとられる、品質が揃わない(標準化)
⇒方向転換:薬草茶、温かい布、足湯、よもぎ蒸しに似たサービス?
今後考えられる3ステップ:
1.現場リサーチ
2.最小限の実験
3.模倣しにくい仕組みづくり
「ああ、リサーチ、思い付きじゃだめってことか。あと、社長が言ってた実験、最小限から始めるということね。MVP、Minimum Viable Productってやつよね。ビジネス書で読んだ気がする。模倣は……まあ後で考えるか」
麻里はそこまで読んで、手帳をいったん閉じた。
「なんか、早速動きたくなってきた。朝食食べたら会社行こう」
――――――
会社はマリのアパートの一室のすぐ裏手にあった。事務室に入るとすぐ、麻里は社長にカエデの居場所を聞いた。
「前のマリより、仕事熱心で良いずらね。カエデは、裏の倉庫にいるだに」
式場の裏にあった小屋を覗くと、中にカエデがいて、大きな作業台の上にいくつかの薬草を並べていた。
棚には下から上まで草の瓶や木の箱が並んでいて、前に梯子が置いてある。瓶に入って中の見えるものは乾燥した草や、木の実、液体、粉末。様々な物が整然と並んでいるが、全て丁寧にラベルが貼られていた。
「話しかけて、良いですか?」
カエデがちらりとこちらを見て、「どうぞ」と言ったので入る。
「前のマリは、そんなこと聞かずにずかずか入ってきてたわよ」
カエデがふふっと笑う。
「ちょうど、昨日マリが言ってた『よもぎ』のような物がないか、見ていたの。この、ソレイユ皮とヴェルミア葉なら、温めの効果があるし、特にヴェルミア葉ならその辺にもよく生えてる。ソレイユ皮も、よく食べるソレイユの実の皮を捨てないで乾かせば手に入る」
麻里は近づいて、そっと香りを嗅いでみる。よもぎとは少し違うが、これはこれで癒されそうな、ほっとする感じの香りがした。
「薬草の配合とかで、独自性も出せるかもしれませんね」
カエデが首をかしげる。
「他ですぐに真似ができないようにするってことです」
ああ、とカエデが頷いた。
「足湯や布も同じ物を使えるかな。お茶にするなら、他の効能や味の違う薬草もありよね」
「色々な薬草茶から選べるの、良いですね」
麻里は思い浮かべて目を細める。
「これで、あと、空き箱があるなら、お金があまりかからない最小限での実験を、まずやってみませんか」
「ああ、倉庫に箱……あるけど、どういうのが良いのかしら」
それから二人で、座るのにちょうど良い位の大きさの空き箱を数種類見繕った。足湯や温かい布を浸すのに使えそうな浅い桶や鉢も見つかった。
「じゃあまず、試作品を作って、社長や私たちで試してみましょう」
そう言うカエデは、心なしか生き生きしている気がした。
――――――
午後の勤務時間になったので、麻里がカエデと一緒に事務室に戻ると、リュウタロウが早速聞いてきた。
「二人で話してきたか」
「はい。最小限で試すことにしたいと思います。まずは、私たちで」
カエデが報告する。
「ある程度形ができたら、お客様か他の形にもお試ししていただいて、意見を聞いてみたりもしたいです。アンケートって、やってますか?」
麻里が聞く。
「アン……? 知らないずら。教えて欲しいずら。次の式は、一週間後だに」
麻里はリュウタロウに、アンケートについて説明した。
「お客様に意見を聞くんです。結婚式で聞くなら、良かったこと、不満だったこと、欲しいサービス、とか。試作品についてなら、使ってみて良かったか、不安だったところがあったかとか、お金を払っても頼みたいかどうか、とか」
次から式の前後にアンケートを取って、ニーズや感想などを整理することにした。――麻里が。
そんな話をした後、麻里は早速帳簿整理の続きに取り掛かる。まずは現状把握、新サービスはその後、その方針は変わらない。それと別で元からマリがやっていた次の式までの準備もあるから、忙しい。ものすごく。
「そうだに」
「え、まだ何か?」
麻里が顔を上げずに応えると、リュウタロウが続けた。
「サービスの名前と、売り文句も考えないといけないずら」
試作もまだなのに、と思いながら、麻里は少し止まり、ふと頭に浮かんだ言葉を呟いた。
「……触れずに、心を整えます」
「心は、言いすぎかも。誰かに突っ込まれる可能性があるわ」
カエデが冷静に言う。
「じゃあ、この前整ったから、触れずに、息を整えます」
「お、売り文句はそれでよいだに。サービスは?」
カエデが言う。
「お茶はどんな薬草茶にするかだけど、温めるなら、温茶? あとも、温布、温湯、温箱? それか箱より、こう、守るような感じだったら……温守とか?」
「あ、それが良いです。流石、香りのカエデ」
麻里が顔を上げる。
「……香りのカエデって、何だに?」
リュウタロウが不思議そうに聞いて、麻里は慌てて黙る。
「なら、俺は何だに?」
麻里は今朝見た手帳を思い出して、言いにくそうに言う。
「社長は……人情のリュウタロウです」
「それは……俺にぴったりだに。義理人情は、大事だに」
リュウタロウがとてもにこやかに見えた。満足したようで良かった。
「じゃあ、マリは……整えるから、調律師マリだに!」
「まだ何も形になっていないのに」
麻里がふっと苦笑する。
「名前があると、仕事が本物になるずら」
そう言ってリュウタロウは嬉々として廊下を歩いていった。カエデと麻里はその背中を見ながら、少し笑った。
麻里は笑った自分に少し驚いた。
かなり久しぶりに、心から笑った気がした。




