第102話 好きという言葉を、探りに渡しません
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は王都側で、茶会後に内容を探ろうとした男について確認していくお話です。
シャロンが「市の話が好き」と言えた一歩を、セドリックも大切に受け取ります。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
茶会の翌朝、セドリックは王都屋敷で目を覚ました。
前日はハーディ伯爵家でシャロン嬢を迎え、その後、王都屋敷へ戻った。
父と母はハイレン領本邸にいる。
エミリアとノエルも本邸だ。
つまり今、王都側で直接動けるのはセドリックだけだった。
王都騎士団の午前の務めを終えたら、ハーディ家へ向かう。
その後、必要であればエヴァンズ家にも確認を取る。
昨夜届いたハーディ夫人からの追伸。
茶会後、エヴァンズ夫人の馬車付きの従者に、見知らぬ男が声をかけた。
茶会の内容、特にシャロン嬢の様子を尋ねた。
ハーディ家の者が近づくと、男は去った。
それは、まだ事件とは言えない。
だが、ただの好奇心とも言い切れない。
セドリックは身支度を整えながら、机の上の確認表へ目を向けた。
初回茶会。
シャロン嬢、自分で線を引く。
市の話を好きだと言えた。
茶会終了時、迎えにより安堵。
茶会後、内容を探る男あり。
ベリス夫人との関係は未確認。
最後の一行を見て、セドリックは静かに息を吐いた。
未確認。
便利な言葉ではない。
必要な線だ。
断定しない。
だが、見逃さない。
騎士団の務めは、いつも通りだった。
報告書。
巡回の確認。
馬の状態。
詰所での短い打ち合わせ。
ただ、婚約発表後ということもあり、何人かから祝意を受けた。
「グランフェル卿、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
そう返すたびに、まだ少しだけ胸が落ち着かなくなる。
婚約者。
シャロン嬢は、自分の婚約者になった。
正式な文書に名前が並び、王都にも領地にも知らせが出た。
それは嬉しい。
だが同時に、彼女へ向く視線も増えた。
祝いの言葉の中に、探りが混じることもある。
セドリックは、それをもう知っている。
昼前、務めを終えたセドリックは、王都屋敷へは戻らず、そのままハーディ伯爵家へ向かった。
ただし、騎士団の制服のままではない。
任務としてではなく、婚約者と両家に関わる確認として訪ねるため、王都屋敷から控えめな外套を届けさせていた。
ハーディ伯爵家では、夫人が待っていた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
セドリックが礼を取ると、ハーディ夫人は首を横に振った。
「こちらこそ、早く確認した方がよいと思いましたの」
応接室へ案内されると、夫人はすぐに本題へ入った。
「男に声をかけられたのは、エヴァンズ夫人の馬車付きの従者です。名はマーク。昨日は馬車の準備のため、屋敷の裏手に控えていました」
「男は、ハーディ家の敷地内へ入ったのですか」
「いいえ。門の外です。従者が馬車の具合を確認している時に、通りがかりのように近づいたそうです」
「会話の内容は?」
ハーディ夫人は手元の紙を見る。
「『今日の茶会は、ずいぶん静かだったようだね』と始めたそうです。マークが答えずにいると、『ベルフォールの令嬢は泣いたのか、怒ったのか、それとも大人しく座っていたのか』と」
セドリックの胸の奥が冷える。
泣いたのか。
怒ったのか。
大人しく座っていたのか。
どれを聞いても、シャロン嬢を一人の女性として見ていない。
見世物の結果を知りたがる者の言葉だ。
「その後は」
「マークは、主人の茶会について外で話すことはない、と答えたそうです。すると男は笑って、『では、市の話で得意げだったかだけでも』と」
セドリックの目が静かに細められる。
市の話。
そこまで知っている。
単に茶会があったことを知っていただけではない。
誰かから、中の会話の一部が漏れた可能性がある。
あるいは、茶会の内容を探るにしても、狙うべき話題を最初から知っていた。
「ハーディ家の使用人は、その時点で近づいたのですね」
「ええ。門番が様子を不審に思って近づくと、男は去りました」
「特徴は?」
ハーディ夫人は紙を渡してくれた。
年齢は三十前後。
背は中ほど。
濃い茶の髪。
右頬に薄い傷。
紺の上着。
王都の下町寄りの話し方。
歩き方にやや癖があり、左足を少し引く。
セドリックは一つずつ目を通した。
「見覚えのある者は?」
「ハーディ家の使用人にはいませんでした。ただ、エヴァンズ夫人の従者が、どこかで見た気がすると」
「どこででしょうか?」
「それを、今日確認したいとのことでした。エヴァンズ夫人からも、あなたが訪ねるなら話を通すと返事が来ています」
「ありがとうございます」
ハーディ夫人は静かにセドリックを見る。
「茶会そのものは、初回としてよい場でした」
「はい。報告を拝見しました」
「シャロン嬢は、怖がっていらしたわ。でも、逃げませんでした」
「……はい」
「それから、市の話を好きだとおっしゃった時、とても自然でした」
セドリックは顔を上げた。
ハーディ夫人の目は穏やかだった。
「だからこそ、あの言葉を悪意の材料にされたくありません」
「同感です」
「好きだと言えたことを、便利だの得意げだのと歪められるのは、見過ごせませんわ」
好きだと言えたこと。
それは、シャロン嬢にとって大切な一歩だった。
領地の話。
市の話。
かつて跡継ぎとして学んだもの。
失った役目と結びついていたもの。
それを、彼女は自分の好きなものとして言えた。
その言葉を、探りの男が持ち去ろうとしている。
セドリックは静かに頷いた。
「必ず、確認します」
「ええ。ただし、怒り方はお間違えなく」
「母にも、父にも言われました」
「では、私からも重ねます」
ハーディ夫人は少しだけ微笑んだ。
「怒りは必要です。でも、王都社交では怒った者を悪者にするのも簡単です」
「承知しています」
セドリックは礼を取り、ハーディ家を後にした。
次に向かったのは、エヴァンズ伯爵家の王都屋敷だった。
エヴァンズ夫人は、昨日の茶会で市の話をしてくれた方だ。
セドリック自身は深い親交があるわけではないが、グランフェル家とは王都社交上の付き合いがある。
屋敷へ着くと、夫人自ら応接室へ通してくれた。
「グランフェル卿。昨日は、シャロン嬢に少し不用意な尋ね方をしてしまったかもしれません」
席についてすぐ、エヴァンズ夫人はそう言った。
セドリックは首を横に振る。
「夫人が悪意を持って尋ねられたとは聞いておりません」
「それでも、あの方は一瞬強張りましたわ」
「はい」
「けれど、その後の返答は立派でした。領地の助言のためではなく、互いを知る確認の一つだった、と」
夫人は少し目を細めた。
「それで、こちらも気づきましたの。あの話題は今、慎重に扱うべきなのだと」
「お気遣い、感謝します」
「いいえ。私の方こそ、学びましたわ」
そう言ってから、エヴァンズ夫人は表情を改めた。
「門前で声をかけられた従者を呼びましょう」
呼ばれて入ってきたのは、三十代半ばほどの従者だった。
落ち着いた顔つきで、礼儀正しく頭を下げる。
「マークと申します」
「昨日の件について、詳しく聞かせてください」
「はい」
マークは、ハーディ夫人から聞いた内容をほぼ同じように語った。
門の外で近づいてきた男。
茶会の内容を探る言葉。
シャロン嬢が泣いたのか怒ったのか。
市の話で得意げだったのか。
セドリックは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「その男に、見覚えがあると聞きました」
マークは少し眉を寄せた。
「確かではありません。ただ、以前、ベリス夫人の屋敷近くで見たことがあるように思います」
ベリス夫人。
また、その名の近くへ影が伸びる。
だが、まだ影だ。
「屋敷の使用人ですか?」
「そこまではわかりません。正門から出入りする者ではなく、裏門の方で荷を運ぶ者たちに混じっていたような」
「いつ頃ですか?」
「半月ほど前です。主人のお使いで、近くの仕立屋へ行った時でした」
「顔の傷は?」
「それで覚えていたのだと思います。右頬に薄い傷がありました」
「左足を少し引く歩き方も?」
「はい」
セドリックは確認表ではなく、持参した小さな手帳に書き留めた。
右頬の傷。
左足。
ベリス夫人邸近く、裏門付近。
半月前。
荷運びに混じる。
「その男が昨日名を名乗ることは?」
「ありません」
「金を渡そうとしましたか」
「いえ。ただ、軽く話を聞こうとするような態度でした。こちらが答えれば、もっと踏み込んだかもしれません」
「あなたが答えなかった判断に感謝します」
マークは深く頭を下げた。
「主人の茶会のことを外で話すことはございません」
エヴァンズ夫人が満足そうに頷いた。
「よい従者でしょう」
「はい」
セドリックは真面目に答えた。
マークが下がった後、エヴァンズ夫人は少し声を落とした。
「グランフェル卿。これは、ベリス夫人が動かしているとお考えですか」
「現時点では断定しません」
「そう答えられるのは立派ですわ。私なら、かなり疑います」
「疑っていますよ」
セドリックは静かに言った。
「ですが、疑いと断定は分けます」
エヴァンズ夫人は一瞬目を丸くし、それから小さく笑った。
「なるほど。シャロン嬢とお似合いですわね」
突然の言葉に、セドリックは少しだけ言葉を失った。
「……そうでしょうか」
「ええ。昨日の茶会で、シャロン嬢も似たような線の引き方をなさいました」
夫人は穏やかに続ける。
「領地の話題を避けきるのでもなく、便利な令嬢として扱わせるのでもなく、確認の一つだと置き直した。あれは、簡単なことではありません」
「ありがとうございます」
「それから、市の話を好きだとおっしゃった時、あの方の表情が少し変わりました」
「変わった?」
「ええ。役目ではなく、興味として話している顔でした」
セドリックは黙った。
見たかった。
その表情を。
しかし、見られなかったからこそ、彼女が自分で立てたのだとも思う。
開始時にいて、茶会の間はいったん離れ、終わる頃に迎えに行く。
シャロン嬢が選んだ距離は、正しかった。
「夫人」
「何でしょう」
「昨日の茶会でのシャロン嬢の言葉を、外で面白おかしく語らないようお願いできますか」
エヴァンズ夫人の表情が引き締まる。
「もちろんです。私の領地の市の話をしたことも、あの方が好きだとおっしゃったことも、場を越えて広げるつもりはありません」
「ありがとうございます」
「ただし、もし誰かが悪意ある形で広げたなら、その時は私も言いますわ。あの場で私は、あの方が便利さを誇ったのではなく、好きなものを好きだと言ったのを聞いた、と」
セドリックは深く礼を取った。
「心強く思います」
エヴァンズ家を出た後、セドリックは王都屋敷へ戻った。
外はまだ明るい。
だが、王都の明るさは時に厄介だった。
どこから見られているかわからない。
どの馬車が、どの屋敷へ向かうのか。
誰が誰を訪ねたのか。
それさえ、話題になる。
王都屋敷へ戻ると、家令が出迎えた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま戻った。父上と母上、ベルフォール家へ報告を出す。すぐに文の準備を」
「承知いたしました」
小サロンに入ると、セドリックはまず手帳の内容を整理した。
ハーディ家の証言。
エヴァンズ家の従者マークの証言。
男の特徴。
ベリス夫人邸近くで見かけた可能性。
ただし、所属は未確認。
茶会内容のうち、市の話に関心を示したこと。
シャロン嬢が泣いたか、怒ったか、大人しくしていたかを尋ねたこと。
文字にすると、改めて腹が立った。
泣いたか。
怒ったか。
大人しくしていたか。
どれも、彼女の姿を見ようとしていない。
崩れたかどうか。
扱いやすかったかどうか。
噂が効いたかどうか。
そういう見方だ。
セドリックは筆を持つ手に力が入りすぎないよう、ゆっくり息を吐いた。
父へ宛てた報告には、事実を淡々と書く。
母へは、茶会の場が初回としてよく機能したことも添える。
ベルフォール家への文には、さらに慎重に言葉を選んだ。
シャロン嬢が茶会で自分の言葉で立ったこと。
市の話を好きだと言えたことが、他家の夫人からも好意的に受け止められたこと。
その一方で、茶会後に内容を探る男がいたこと。
ベリス夫人邸近くで似た男を見たという証言はあるが、現時点では関係を断定しないこと。
そして、最後に短く添えた。
――シャロン嬢が「好き」とおっしゃった言葉を、探りや噂の材料にさせたくありません。確認できることを一つずつ確認いたします。
書いた後、少し迷った。
個人的すぎるだろうか。
だが、これは必要なことだと思った。
好きという言葉は、守るべきものだ。
人の口で歪められていいものではない。
セドリックは封を閉じた。
その頃、ハイレン領本邸では、ギルバートとアメリアが王都から先に届いた短い速報を読んでいた。
セドリックからの詳報はまだ届いていない。
だが、ハーディ夫人が別途、グランフェル家本邸へも簡単な報告を送ってくれていた。
茶会は無事。
シャロン嬢は必要な線を引いた。
茶会後、探りの男あり。
アメリアは文を読み終え、静かに息を吐いた。
「やはり、動いていますね」
「ああ」
ギルバートは短く答えた。
「だが、茶会の中では崩せなかった。だから外で探った」
「そう見えますね」
「なら、次は外で言葉を作る可能性がある」
アメリアは表情を引き締めた。
「シャロン嬢が市の話を好きだとおっしゃったことを、どう扱われるか」
「そこだ」
ギルバートは文を机に置いた。
「便利だという噂が使えなくなれば、今度は『領地へ口を出したがる令嬢』という形に変えるかもしれない」
「あり得ます」
「セドリックには、事実確認を急がせる。ただし、直接抗議はまだ待つ」
「はい」
アメリアは少しだけ目を伏せた。
「でも、シャロン嬢が好きだと言えたことは、守りたいですね」
「ああ」
ギルバートは低く頷いた。
「人の好きなものを、噂の餌にさせるな」
それは短い言葉だった。
だが、グランフェル家の方針としては十分だった。
夜、王都屋敷で報告文を送り出したセドリックは、一人小サロンに残っていた。
茶は冷めている。
確認表は文字で埋まっている。
けれど、最後の行だけはまだ空いていた。
セドリックは少し考え、そこに書いた。
好きという言葉を、探りに渡さない。
書いてから、静かに筆を置く。
シャロン嬢が、市の話を好きだと言えた。
それは、彼女が過去の役目から自由になったという単純な話ではない。
跡継ぎとして学んだ時間も、父の隣で見たものも、帳簿に向き合った日々も、彼女の一部だ。
失ったものではなく、歩んできたもの。
ハーディ夫人の言葉が思い出される。
才や経験は、人を測る道具ではなく、その方が歩んできたもの。
ならば、シャロン嬢の好きも、誰かの測りに乗せさせない。
便利か。
役に立つか。
出しゃばりか。
そんな言葉に変えさせない。
セドリックは窓の外を見た。
王都の夜は明るい。
明るい分、影も多い。
ベリス夫人の影は、まだ確かな形を持っていない。
だが、少しずつ輪郭は見えている。
焦らない。
けれど、止まらない。
シャロン嬢が最初の茶会で自分の言葉を守ったのなら。
自分もまた、その言葉が外で歪められないよう、必要な確認を続ける。
好きという、小さくて大切な言葉を。
探りに渡さないために。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
茶会の中では守られた言葉も、外へ出れば噂の材料にされる危うさがあります。
セドリックは断定を急がず、けれどシャロンの「好き」を歪めさせないために動き始めました。
次回もよろしくお願いします。




