第10話:私メリーさん今リマゾンの門前にいるの
(あぁ……癒したい。癒したい、癒したい。病人を癒したい……怪我をいやしたい……毒をころしたい……呪いを殺したい)
教会からしばらく歩くとリマゾンの城壁に到着する。行列はできているが、何時間もかかるほどではない。メリーも大人しく列の最後尾に並んでいた。
姿真似の術中は、聖女の特徴でもある輝蝶も姿を消し、周囲に気付かれることもない。
(あぁ、人を癒したい。人の敵を殺したい……殺したい、殺したい、殺す、殺す殺す殺す)
自力で治るはずだった傷を強奪したい。
泣き叫ぶ病気を蹂躙したい。
じわじわと内臓を蝕むはずだった毒を邪魔したい。
呪いを癒したあとに術者も癒したい。
「…ビア…」
(あぁ人を害する全てを殺したい)
「オリビア」
(全ての病魔に苦しみを!)
「オリビア!」
(全ての傷に恐怖を!)
「シスター・オリビア!」
(全ての毒にっ――)
肩をつかまれて思わず体を震わせる。
手の暖かさに感覚が現実に戻ってくる。
「は、はいっ」
メリーが今後の展望にふけっていると、いつの間にかメリーの順番になっていた。
反応しないメリーに業を煮やした門番が、訝しげに彼女の肩をゆすり、メリーはそこでようやく現実に引き戻された。
(そうでした。私は今シスター・オリビアになっているのでした)
「こんにちは、シスター・オリビア。いったいどうしたというのですか? それにマザー・ロレッタは?」
オリビア達がリマゾンを訪れるときは、ライラとマリア、ロレッタとオリビアという組み合わせで来るときが多く、オリビア単身で来ることは今まで無かった。
「今日は明日の典礼(ミサ)の準備にまいりました」
「そうでしたか、それはありがとうございます。それで、ロレッタさんはどうなさいました?」
「それが……最近は酷く咳き込むことが多くて」
「なんと! 大丈夫なのですか!?」
「いえいえ、命に別状はありません。今も教会で安静にしています」
「おお、そうでしたか、それは心配でしょう。そういえば先程、刻外にもかかわらず鐘の音が聞こえましたが……」
「はい。祈りをささげておりました。お騒がせして申し訳ありません」
衛兵の言葉を少し妨げるように答えが返ってきたが、オリビアは衛兵もよく知る人物だ、特に気にした様子もない。
「いえいえ。事情はわかりました。お大事にどうぞとお伝えください」
「はい、ありがとうございます」
そして、ついにリマゾンの街は聖女の侵入を許してしまう。
メリーならぬシスター・オリビアは街中を歩く。この街の事は聞いているが、実際に中に入るのは初めてだ。
(さて、ロレッタ達は起きたらどうするでしょうか?……追ってくるでしょうね。少なくともロレッタとライラは、そういう人です。
とはいえ、起きるのは早くても明日でしょう。それまでにこの街を出るしかありません)
聖女に癒された人間は無理に起こされない限りは丸1日近く眠ったままだという。
次は前のようにはいかない。ロレッタの病を治したのは、他ならぬメリーなのだから。
(それに今、聖女は遠い恐怖……いわば物語や歌劇の中の存在に成り下がっています。
もっと身近に……日常のすぐ隣にあるものにしなければ……おっと)
逃亡用の馬車乗り場を確認しつつ街をめぐると、街の人から話しかけられる。
「……すみません、典礼の準備があるのでこれで」
「あら、ごめんなさいね。また今度よろしくね」
「はい」
(仕方ありませんね、典礼の手伝いくらいは代わりにやっておきましょうか)
集落では正式な典礼などやったことはないし、メリーは治療師見習いであってニト教の神官でもない。
しかし、3年近く大聖堂で生活していた。周りはニト教の教徒ばかりだ、ある程度のことは知らず知らずのうちに身についている。
それに典礼といえば簡易治療院が開かれるはずだ。
(困りました。手伝う以前に、まず教会はどこでしょう?
それにしても、あちらの教会の人達は思った以上に街の人から好かれているみたいですね)
好かれているというのは、それだけ人となりが知られているということだ。つまり、ぼろが出る可能性が高い。
当然、オリビアの姿で教会の場所を尋ねるわけにはいかない。迷っている姿を見られるのも好ましくない。
しょうがないので、教会は街の中心や大通り沿いに建てられるという常識を頼りに、メリーは人通りの多い道を選んで歩き出した。
(……そういえば、知らない旅人が増えてるから気をつけなさい、と言われていました。わざわざ私に言うということは私を狙った人攫いでしょうか、どうでもいいことです)
メリーが追放されたことはあの場にいた聖堂騎士全員が知っている。当然マヌル以外に同じ考えをする人がいるわけで、水面下でのメリー争奪戦は始まっていた。
だが、あなた達が攫う人間は聖女だ。しかも自ら望んで嫌われ者の聖女になったやばい人間でもある。
(見つけました。ここがこの街の教会ですか、郊外にあったものと随分違いますね)
郊外の教会は近代の遺跡で、かつては周辺に小さな街が広がっていた。しかし、原因は不明だが街ごと放棄され、長く荒れたままになっていた。
のちにニト教が異端審問官の育成施設として整備・再利用することになる。表向きには、「哀れに思った神父が寄付を募って復興させた」という建前が語られている。
街にある教会は、一般的な教会としての役割を果たしている。典礼の開催、炊き出し、簡易治療院の運営、さらには治療師認定試験の願書受付まで請け負う。
(さて……さっさと教会に入るべきでしょうか? 旅支度もしなければ……あっ、そうだ! お金!
うぅ、お小遣いくらい貰っておくべきでしたか……しかし、あそこでお金をせびるわけにもいかないし)
(……あら?)
大通りにある建物と建物の間にできたような偶然の道、その奥から自分が呼ばれたような感覚を覚えた。
危機が迫っても聖女を呼ぶような人はいないだろう。それに、先ほどのロレッタやオリビアのときも、同じ感覚を覚えていた。
ロレッタから感じたのは「神よ」と祈った最後の瞬間だ。
オリビアの祈りを感じたのは土間に入ったときだ。甕の中に隠れているのも、それで分かった。
聖女はニトの化身、ニトへの祈りを自分も感じることができる。メリーはそう解釈する。
(……なるほど、伝承では隠れていても都合よく聖女が現れることがありましたが、そういう事でしたか。
何故これを……あぁ、言えるわけありませんね。ニト様に祈るななどと)
メリーは口もとを歪めて笑みをつくる。
「考えて答えがでないことは放置です。困っている人は見捨てておけません」
貧民街と揶揄されるこの一角には、街の創建期に建てられた古い家々が並んでいる。老朽化が進んでいるが、取り壊すにも金がかかるため半ば放置されている。
ほとんどの家屋は空き家となり、身寄りのない者や、金のない旅人の寝床として使われている。
治安は極めて悪く、地元の者が近づくことはまずない。住んでいるのは落伍者や無法者、路銀の尽きた旅人、そして彼らを狙うぼったくりの酒場や娼婦である。
そんな場所を、シスター服の女がふらふらと歩いていくのは、絡んでくれと言っているようなものだ。案の定、酒に酔った3人組と鉢合わせた。
一人はガイア。もじゃもじゃ頭で、かゆいのか頭をがりがりと掻いている。
もう一人はマッシュ。背丈は小さいが、落ち着きなく動く目だけがやけに目立つ男だ。
最後はオルデガ。マッシュとは対照的に大柄で、眉がない強面。腹は出ているが、筋肉もついており、安酒場の用心棒をしている。3人の中で唯一の定職持ちである。
「あぁ? なんでシスターがこんなとこ歩いてんだよ……?」
「炊き出しか? にしちゃ手ぶらだなぁ」
「説法でもしにきたんじゃねぇの? ほら、俺らに救いをくれよ、ぎゃははは!」
赤らんだ顔をゆらゆらと揺らしながら立ち上がり、路地を塞ぐように広がった。
「よぉ……シスターさんよ。こんな場所にいったい何のご用で?」
「ありがてぇお話なら聞きますぜ? ただし、ベッドの上でですが」
「ぎゃはは、そいつはいい! 是非とも相手してもらいてぇ」
下卑た笑いが路地に響く。普通なら怖気づいて動けなくなるだろう。それなのにシスターは逃げるそぶりも見せず、マッシュとオルデガへ手を伸ばした。
まるで自分から絡みにいくように。にこやかに、微笑んで。
「おっ? もしかしてマジか?」
「ヒヒヒ、とんだシスターがいたものだ」
男たちがにやにやと笑みを浮かべていると、シスターの輪郭がぐにゃりと歪んだ。
はじめは、酒のせいで視界が揺れたのだと思った。
だが、布の色が滲むように変わり、髪の色が溶けるように置き換わる。
そこには別の姿の女性が立っていた。変わらない笑顔で。
どこからか、3匹の蝶が彼らをからかうように飛んでから聖女の元へ舞い戻る。
3人の喉がひゅっと鳴った。全員の表情から血の気が引いていく。
「うふ……うふふ……あはははははははは!」
「「「ひぃ……っ!!!」」」
ガイアは悲鳴をあげて逃げ出し、マッシュとオルデガは互いにすがりつきながら、助けを求めるように空を掻く。
「離して、離してください!」
「何故ですか? 私の説法を聞きたいのでしょう?」
「お願いです、なんでもしますから!!」
「ではヒールをして差し上げますね」
「それだけはご勘弁を!」
「助けて……」
「はい、助けましょう。何に怯えてるのですか?」
あなたです。
「病でも、怪我でも、毒でも呪いでも構いません。聖女のヒールは、すべてを癒します。ヒール!」
「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」」
聖女の癒しを言語化できた人はいない。
ある者は「心臓を握りつぶされる」と言う。
ある者は「体中をかき混ぜられる」と言う。
ある者は「世界から孤立した」と言う。
ある者は「全てを喪失した」と言う。
いずれにせよ肉体的だけでなく、精神的な苦痛をも伴う名状しがたい痛みと癒しを受けた人は語る……
「くくく、ははははは、ひゃはははははははははは!」
メリーは笑顔を絶やさない。癒しを受ける人を不安にさせないように、今日も彼女は笑顔で癒しを与える。
※)笑顔の受け取り方は個人差があります。
■聖女はニトへの祈りを感知する 認知度:D
実はロレッタも知っています。しかし、ニト教であるがゆえに祈らずにはいられません。
ニトの教えに背くようなことをしているのですから、懺悔せずにはいられないのです。




